history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

日本が戦争に負けた理由が書かれた本はたくさんあって、正直真新しい内容ではないのですが、日本が戦争で負けたこと、外交や戦略などで失敗したことをいまさらなじるつもりはありません。人間のやることですからミスはあるだろうし、予想外のことが起こることもありうるわけですから。失敗したことを学ぶことは明日への成功にもつながると思うのですが、失敗したことを恥じるばかりになかったことにしたり、ごまかしたりしたらどうなるのか?今日はそんなことを考えさせるお話しをします。

日本が大敗した大東亜戦争の敗因をさかのぼってみると、日露戦争の成功体験と無関係ではないようでして。

日露戦争は、海軍はロシアでバルチック艦隊を撃破するなど素晴らしい戦いぶりをみせましたが、地上戦においては陸軍は、南満州で「かろうじて勝利を獲得した」というのが現実だったようでして。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けの不思議の勝ちなし」という言葉がありますが、勝ったからと言って、それにうぬぼれてはいけない、仮に一回目の戦いのときに勝った戦法をそのまま次の戦いで使っても勝てる保証はないと思われます。ところが、大東亜戦争のときの指導者たちは、日露戦争のときの戦い方をほぼそのまま受け継いだといってもよいでしょう。

具体的に言えば日露戦争当時の帝国陸軍は「白兵銃剣突撃主義」を、帝国海軍は「大艦巨砲の艦隊決戦主義」を採用しておりました。以来36年にわたり我が国独特の軍事教義としてかたくなに守り続け、そのまま大東亜戦争に突入し、結果として敗戦を迎えたのです。

海軍の「大艦巨砲主義」は確かに日露戦争当時は絶大な威力を発揮したと思われますが、大東亜戦争当時は、戦闘機の時代となっておりまして、大艦巨砲主義が通用しない時代になっていたのですね・・・


昭和の初期に小沼治夫少佐とういう人物がいたのですが、彼は帝国陸軍がほこりと「白兵銃剣突撃主義」の過大評価を自戒すべきだと警告をしたのです。

いわく「日露戦争は美化されている。先頭の大部分は陣地攻撃であるが、敵がまじめに抵抗した場合の攻撃はほとんど全部が頓挫しており、成功した例は極めて少ない。敵は退路に脅威を感じて退却しているのだ。機関銃の前に歩兵は無力である。日本軍といえども物的戦力の裏付けが不可欠である」

また帝国陸軍が我が国独自の戦法としていた「夜間攻撃」にしても、厳しい批判を小沼はしておりました。


いわく「夜間攻撃の実相も、想像されるような輝かしいものではない。地上に伏せ命令号令に応じないものが、単に兵にかぎらない模様である。かの有名な弓張嶺の夜襲においても、敵火を受けるや連隊長の命に応じるものもなく、勇敢な中隊長が奮然突進したのは、敵が退却を開始したときであった。夜間攻撃を容易と誤認し、容易に命じる者があれば実に危険である。特に優秀な第一線将校を失うことがおおいこと、翌日の戦闘に及ぼす影響の大きさなどを慎重に考え、その採否を決することが重要である」と。


陸軍が日露戦争以降誇りとしてきた「白兵銃剣突撃主義」と「夜間攻撃」にケチをつけるのだから、陸軍の幹部たちは当然小沼をウザいと思うようになりました。小沼は「戦闘の実相」という研究報告を書いていたのですが、この研究報告を陸軍中央は「慎重検討の要あり」として、公表を禁じる処置をとったのです。

また、日露戦争が終結した1906年2月に大山巌対象は「日露戦争史編纂要領」を定め、日露戦争の事績を後世に伝えることを目的として研究資料を編纂したのです。陸軍と海軍がそれぞれ何冊か研究資料をへんさんされました。

そのなかに陸軍参謀本部が編纂した「明治卅七八年日露戦史」を編纂する際、なんと「陸軍にとって不利・不名誉なこと」や「失敗したこと」などを書いてはダメだと上から言われてしまうのです。

失敗や都合の悪いことに目を背けずに、そこから学習をすることは、同じ失敗を繰り返さないためにもとても重要なのですが、陸軍の上層部はそのようには考えなかったようです。たしかに不利・不都合・不祥事・過失・失敗をするのも問題ですが、人間である以上ミスもあるでしょうし、予期せぬトラブルが起こり、思わぬ過失をしてしまうこともあるでしょう。けれど、それを美辞麗句をつかってごまかしたり、なかったことにすることはとても問題です。まるで平成の原発事故の問題と通じるものがあると思われました。


※ 参考文献






先の大戦で負けた理由はいろいろあると思います。

昭和天皇は、日本が戦争に負けた理由として4つの要因をあげました。





  1. 兵法の研究が不十分だった


  2. あまりに精神に重きを置き科学の力を軽視したこと


  3. 陸海軍の不一致


  4. 常識のある首脳者が存在しなかったこと




僕も日本の敗戦に関する資料をいくつも読んでみたけれど、だいたい昭和天皇のあげた四つの理由に集約されるなと思いました。それくらい昭和天皇の分析の的確さに驚かされました。

第一に関して、日本軍の戦いは『孫子』と照らし合わせてみると、『孫子』に書かれていることの真逆といってもいいくらいのことをやっていたという文献もありました。




第二に関しましては当時の日本軍は精神論が重んじられる傾向があり、それが問題だったと。

第三は陸海軍の不一致。不一致も問題ですが、より深刻だったのは両者の不仲。陸軍と海軍はことあることに対立し、アメリカと戦う前に国内の敵と戦わなくてはいけなかったのです。

第四に関しては、山形有朋や大山巌、山本権兵衛という大人物がかつては日本にいたのですが、昭和に入ってからそういう人物がトップにいなかったのです。たとえば、東条英機は官僚としては大変優秀でしたが、その生真面目な性格が首相になってから災いしたといってもよいでしょう。現に東条本人も自分は政治家むきじゃないと認めておりますし。トップとは言わなくても富永恭次や牟田口廉也も評判が悪いようで。




※ 参考文献



いま、オリンピックたけなわです。日本の活躍は大変喜ばしいことです。

オリンピックの歴史の話題をしようかと思いましたが、戦後71年ということもありまして「日本がなぜ負けたのか」について、僕がブログを書きながら学んでいくというものです。

プロ野球の元監督の野村克也さんに「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という名言があります。ちなみに、この言葉野村さんのつくった言葉じゃないそうですね。

なんでも松浦静山という人が書いた剣術書『剣談』からの引用だそうですね。

「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に何か負ける要素がある。勝ったときでも、何か負けに繋がる要素があった場合がある」という意味だそうです。

つまり、試合に勝つためには、負ける要素が何だったか、どうしたらその要素を消せるかを考えて行く必要がある。また、もし勝ち試合であっても、その中には負けに繋がることを犯している可能性があり、その場合はたとえ試合に勝ったからと言って、その犯したことを看過してはならないということでしょう。

それに、負ける理由を学べば、たとえ勝つことができなかったとしても、大負けを防いだり、負けることに伴う被害を最小限に抑えることができるのでは?と僕は思うのですね。

そういや、ホリエモンか誰か忘れましたが「成功者の話より、失敗した人の話をきけ(反面教師になるから)」ともいっていましたっけ。

それでは、先の大戦についても「負けに不思議の負けなし」の言葉があてはまるのでしょうか。

そんなことを考えながらブログを買い行きたいと思います。


ただ、日本の敗戦につきましては結構語りつくされたテーマなんですよね。語りつくされたテーマを書くのは本当に難しいし、気を使うんですよ。この話をすると「あんた、そんなことも知らないの?」とか「そんなことわかっているわい!」とか突っ込みが入りまくりそうで正直メッチャ怖いのですがw

また、日本の敗戦となると外交的な知識や地政学、軍事的な知識が必要になってくると思うのですが、あいにく僕は専門的な話はできません。ただ、ブログを書きながら、そういった話を僕自身が学んでいくことができればと思います。




今回の記事を書くにあたり、以下の本を中心に参考にします。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
山本 七平
角川グループパブリッシング
2004-03-10














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