history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、歴史を中心にいろいろ語ります。2020年3月より、過去記事の加筆修正も含め、リニューアルしました。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。

今日は僕の誕生日です。年齢は言えませんw

また今日は歴史検定の試験日なのですね。僕も受講しようかと思ったのですが、今年は何かと忙しく、父が入院したりしてバタバタしていたので勉強もまともにできなかったので、今回は見合わせました。
その代わり、今年の歴史検定の問題が来年に書籍化されるので、そうしたら購入させていただきます。

また、歴史検定のサイトから練習問題を見せてもらいました。世界史の一級の練習問題を見せてもらいましたが難しい。特に僕は学生時代、日本史を勉強し、世界史は全く知識がないのでなおさらです。しかも、一級になると歴史の教科書に載っていないことも出てくる。だからヤマカンで解くしかない問題もある。

https://www.kentei-uketsuke.com/sys/rekiken/practice1w
(クリックすると問題が出てきます)

この問題によりますと、現代は「大航海時代」を「大交易時代」と提唱する意見も少なくないとありました。僕も思わず「へえ」って感心しました。大航海時代は「大航海時代」という呼び方がヨーロッパ中心史観を脱しきっていない、という批判があるからだとか。もしかしたら、将来歴史の教科書で「大航海時代」という言葉が消えるかもしれませんね。設問は、(大航海時代の)15世紀前半のアジア諸国について述べた文として正しいものを選べ」という問題。選択肢の一つに「応仁の乱があって室町幕府が衰え、戦国時代になった」「沖縄では中山王が北山、南山を倒して(沖縄)統一し、中国に朝貢した」って下りがありました。選択肢の内容自体は間違っていないのですね。ところが、この選択肢は不正解なのですね。応仁の乱は15世紀後半の出来事であって15世紀前半ではないので間違いと。歴史的な出来事だけでなく、その出来事がいつ起こったのか正確に把握していないと解けない問題ですね。

あと別の選択肢にチョーラ朝のラージャラージャ1世なんて人物が出てきますが、知らんwそんな人w。チョーラ朝という王朝の名前は山川の教科書に出てくるけれど、ラージャラージャ1世という人物は出てきません。

(追記)

今日、何気にブックオフに行ったら、「歴史能力検定全級問題集」が売っていたのです。定価だと800円くらいするのに、570円くらいで売っていました。しかも、ブックオフのアプリをスマホに入れていたので、割引サービスが使えて、値札の570円よりもさらに安く、170円くらいで買えました。これは僕へのささやかなプレゼントかなって。


2019年度版だから、一昨年ですね。この問題集の優れたところは、5級から1級まで、世界史も日本史の問題も網羅しているところ。早速、僕は世界史の1級を解いてみました。すると、三十問中、十一問しか解けませんでした・・・

やっぱり難しいなって。2019年度の世界史一級はアジアよりもヨーロッパから多く出題されました。選択肢だけでなく、記述と論述(60文字程度)が出てきますが、特に論述の問題で苦戦しました。ベトナム戦争でアメリカが参戦に至った経由を書けという問題も出てきました。一応模範解答は、

「ゴ=ディン=ジェム政権に対し、南ベトナム解放民族戦線ができ、北ベトナムがそれを支援して戦争となり、南ベトナムが劣勢になったので、北爆を仕掛けて参戦した」


ちなみに僕の回答は「東側が支援する北ベトナムと西側が支援する南ベトナムが対立が悪化し、トンキン湾事件をきっかけに参戦した」w。模範解答に比べ、僕の解答がいかにクソかわかりますねwもっと勉強せねば。



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皆さんにクイズです。上の三人の肖像画、それぞれ誰か言ってください。


え、馬鹿にするなって?

上から聖徳太子、源頼朝、足利尊氏だろっ!!


って声が聞こえそうですが、正解はなんとも言えません。実はこの三つの肖像画、本当は誰なのかわからないのです。一番上の聖徳太子の肖像画ですが、僕が高校までの教科書には聖徳太子ってはっきり書いてありましたし、かつての1万円の肖像画もまさにこの絵でした。ところが最近の教科書には「伝聖徳太子」とあるのです。つまり、聖徳太子の肖像画だと言われているが、はっきりはわからないということ。この肖像画は別人の可能性もあるのです。この肖像画は実は本人の死後100年経ってから描かれたもの。つまり、目の前の聖徳太子本人を見て描いたものではないのです。そのため、聖徳太子の風貌を正確に描かれたわけじゃないのです。

二番目は源頼朝だと言われておりますが、これも「伝源頼朝像」とあるのです。それどころか、この肖像画は足利尊氏の弟の足利直義の可能性もあるというのです。

三番目の肖像画は足利尊氏だと言われておりますが、その可能性は低そうなのです。そのポイントはこの武将の絵の上にある花押です。この花押は尊氏の息子の足利義詮のものですが、息子の花押が父の絵の上に描かれることはまずありえないというのです。さらに、この肖像画の武将というのが品がないのです。とても征夷大将軍とは思えない。だらしなくのばした髪、モジャモジャのヒゲ、折れた弓矢を見る限り、これはもっと位が下の武将かもしれないと。もしかしたら尊氏の家臣の高師直の可能性があると。もちろん、この肖像画が尊氏の可能性も低いかもしれないが、ゼロではないのですね。

歴史の教科書で、日本最初の貨幣は「和同開珎ワドウカイチンだと教わった人も多いかと思います。今の歴史教科書では違います。富本銭フホンセンというものが最古の貨幣だと書かれているのです。富本銭の存在は古くから知られておりましたが、それまでは、おまじないとか祭祀に使うものだと考えられていたのです。それが1999年(平成11)に大量に発見され、それまでの常識が覆されたのです。

その発見された場所が奈良県。今の奈良県立万葉文化館のあるところです。僕もコロナ前に奈良に訪れ、万葉文化館に訪れました。そこに何やら発掘現場みたいなのがあって、なんだろうなって思ったのですよ。万葉文化館にも富本銭のことが紹介されていました。僕もそれで富本銭のことを知りました。万葉文化館建設に先立ち1997年に発掘調査を行なったのですね。そして2年後の1999年に富本銭が見つったのですね。

富本銭が鋳造チュウゾウされたのは天武天皇の時代。天武天皇は強力なリーダシップを持っていて、色々と政治改革を行ったのです。それで貨幣制度も取り入れようとしたのですね。当時、アジアで貨幣制度があったのは中国と日本だけでした。すごいですね。この富本銭の直径は2・4センチ、重さが4・3グラム。当時の中国の開元通宝とほぼ同じくらいの大きさなんですね。悪く言えば中国のパクリですが、ただマネをするのではなく日本独自のデザインを加えました。天武天皇は中国の貨幣制度を参考にした上で、中国に引けを取らないような国づくりをしようとしたのですね。

ただ、当時の日本は物々交換がメインで、富本銭はそれほど普及しなかったのですね。



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(富本銭)

歴史の教科書で「大和時代」なんて言葉を覚えた方も多いかと思います。僕もそうでした。しかし、現代は「古墳時代」と言います。この時代の大和政権が国家と呼べるほどの勢力を持っていなかったからです

それで、最近の歴史教科書では「大和朝廷」という言葉が出てこないそうです。代わりに「大和政権」ないし「ヤマト政権」という言葉が出てくるのです。「大和政権」はともかく「ヤマト政権」と書くと宅急便が自民党に代わって政権を握ったのかなんて思わず思ってしまいますがwかくいう僕も昔、ヤマトでバイトしたことがありますw



そもそも「朝廷」という言葉は天皇を中心に政治を行う場所という意味があるのです。しかし、古代の日本は小さな国が乱立していて大和王朝も、その中の一つでしかなかったのです。もちろん、当時から非常に大きな勢力ではあったのですが、まだ日本を統一したわけじゃないので、朝廷というのもちょっと違うだろうということで「大和政権」となったのです。


また、天皇という言葉自体もこの時代は使われておらず、大王と呼ばれていました。日本で最初に天皇と名乗ったのは飛鳥時代の推古天皇からだと言われております。

ブログネタ
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1 本国と同化される一方で

 沖縄おきなわの近世と近代の歴史をお話も今日で4回目になります。

前回の記事で琉球処分にて琉球王国はなくなり、沖縄県として日本国の領土の一つとなったと書きました。そして、沖縄は明治政府に支配されます。

沖縄は独自の生活習慣や文化を持っておりましたが、それらは古い、遅れた慣習だと明治時代に否定され、禁じられ、さらに本国との同化も進められてきました。

そうした中で事件が起こったのです。1903年に起きた人類館事件です。大阪で第5回観行博覧会カンギョウハクランカイが開かれました。会場には見世物小屋が立ち並び、その中の一つに「人類館」がありました。ここでは日本人の他にアイヌや琉球、朝鮮、台湾の先住民、中国人、インド人、ハワイの人たちが集められ7種の土人と呼び、それぞれの地域の風俗や習慣を見世物にしようとしたのですね。そうしたら、中国人留学生や韓国の留学生から抗議の声があがったのです。

彼らだけでなく沖縄の人まで抗議したのです。「人類皆兄弟、人を見世物にするなんてSDGsに反する」と抗議した?違います。「俺たちを台湾人やアイヌと同一にして見世物にするな」って抗議したのです。つまり、あいつらと一緒にするなってことでしょう。よく考えればひどい話ですが、当時の沖縄人は自分達も本国と同じ皇国公民として認識していたのですね。実が太田朝敷(おおた ちょうふ)と呼ばれる人物も同じ意見でした。そのが太田朝敷の話を次の項目で触れます。


2 太田朝敷(おおたちょうふ)について
 そんな沖縄について「これはいかん」なげき、沖縄の自立を目指した人が少なくありません。その一人が太田朝敷(おおた ちょうふ)。あいにく僕はHK教育テレビの高校講座「日本史」を見て初めてこの人の名前を知りました。

太田朝敷とはどんな人物かというと、主に明治時代から昭和初期にかけて活躍かつやくしたジャーナリストです。明治26年に沖縄最初の新聞「琉球新報りゅうきゅうしんぽう」の創刊に加わったそうです。ちなみに「琉球新報」は「紙ハブ」と呼ばれおそれられていたようです。なかなか過激な論調だったのかな?

昭和5年に「琉球新報」の社長になり、その後、県会議員,首里市長もつとめたそうです。




「他府県」に「我から進んで同化する」こと「若し消極的に同化させやうとすれば・・・、幾多いくたの不利を感じなければならぬようになります」

 『女子教育と沖縄県』(太田朝敷)


これは太田朝敷の言葉です。沖縄の自立のためには、沖縄人だとか変なプライドは捨てて日本人として生きようと言いたかったみたいですね。

下手に本国といがみ合うよりも、現実を受け入れ、日本に従ったほうが被害ひがいが少ないと太田は思ったのかもしれません。そのうえで近代化すれば沖縄の人たちの意識も変わるだろうと。沖縄人の意識も変われば、沖縄自立の道へと進むだろうと太田は思ったのでしょう。

太田は精神面だけでなく経済面でも沖縄の自立を目指そうとしました。沖縄の主要産業はサトウキビ。太田は製糖業の振興しんこうをすることで沖縄の経済発展を進めようとしましたが、沖縄と同じく製糖業せいとうぎょうが盛んな台湾たいわんされてしまい、これはあまりうまくいかなかったようです。

3 太田朝敷の学歴

 太田朝敷は慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがくの出身だったそうです。平成のいまは沖縄出身の学生が東京の大学に入る事はめずらしい事ではありません。僕のいた大学にも沖縄出身の人がいました。

だけど、明治時代の当時はとても珍しい事だったそうです。

慶應義塾大学といえば福沢諭吉(ふくざわゆきち)。

福沢諭吉は国家の自立を説いた人物で、そのためには西洋の文化を取り入れよとも言っていたそうです。後の太田の行動を見ていると、福沢の影響えいきょうを受けたのだろうなとおもいました。


それでは、みなさんぐぶりーさびら!!(沖縄の方言でさようなら)


※ おまけ

喜納昌吉さんの『花』をどうぞ。映らなかったらごめんなさい)




※ 今回の記事は「高校講座 日本史」などを参考にしました。

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