history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

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2016-10-12



1 座間の事件と映画のモデルの人物
 座間の9人殺人事件は衝撃を受けましたね。事件のことを知るたびに身の毛がよだちます。マスコミやツイッターには憶測を含め、いろいろと犯人の青年のことを言っております。

マスコミの情報では座間の犯人は、優しくて、彼女もいて、コミュ力も高い、仕事もできる人だった、だからそんなことをするなんて信じられないという話を聞いております。しかし、意外と凶悪犯ってIQが高くコミュ力が高い人が少なくないのですよ。

たとえば、「IT」(映画化もされた)に出てくる殺人鬼のモデルがいまして、彼の名をジョン・ウェイン・ゲイシーといいます。彼は、優秀なビジネスマンで20代で会社を立ち上げました。ボランティア活動にも熱心で、青年会議所の幹部や民主党の有力な党員になるほど人望の厚かった人物でした。しかも大統領夫人や議員さんともパイプがあったというから相当ですね。そんな彼が33人も殺したというのですから・・・

いかにも妖しそうな人間が、コミュ力が低くて変なことばかりしていたら、普通の人は警戒して逃げます。けれど、ジョン・ゲイジーは名士と呼ばれるような人物で、子供たちにも優しい人だったから、殺された人たちも気を許したのでしょう。

奇しくも「IT」のリニューアル版が最近上映されました。座間の事件で騒がれているときに上映されるなんて僕は本当に驚きましたね。座間の犯人の青年とジョン・ゲイジーが何となく似ているなと思うから。座間の犯人も殺人なんかしないで、もっといいところでコミュ力なり才能なりを発揮すればよかったのに・・・・



2 犯人をかばう意見
 話を座間の話に戻します。ツイッターでは臓器移植だとか、犯人の青年は暴力団の下っ端で命令されてやっただけだったとか、いろいろ書かれておりますが、僕が驚きのあまり腰をぬかした書き込みがいくつかありました。

それは、「○○君(犯人の名前)、君は本当はいい奴じゃないのか?自殺したいという人が死ぬのをてつだってあげただけじゃない」という彼をかばう書き込みです。ほかにも彼をかばうような書き込みをいくつか見ました。なるほど、犯人のビジュアルがいかにもキモオタだったら、「こいつなら悪いことをしそうだ」と誰もフォローしないが、今回の座間の犯人がビジュアルは一見悪くないだけにかばう人間もでるのだな。ていうか、そんな話をするつもりはない!僕はあまりにも呆れて言葉を失いましたね。

確かに、彼の幼少期の生い立ちをみると気の毒な一面もありますけれどねえ・・・でも、本人が自殺したいといっているからって本当に殺してよいか?また、命令されたからと言って簡単に人を殺めてよいものか?

これから、僕が古代インドのアングリマーラという殺人鬼のお話をします。口をアングリして聞かないでくださいねw

3 アングリマーラが殺人鬼になるまで
 アングリマーラが殺人鬼といいましたが、彼がもともと殺人鬼だったわけではありません。もともと彼はアヒンサという名前でバラモンの子供でしたが、500人の弟子をもつバラモンのもとで修業をしました。アヒンサはその500人の弟子をもつ師匠に大変気に入られておりました。

しかし師匠の奥さんがアヒンサに恋をしてしまったのです。師匠が出かけているとき、奥さんはアヒンサを誘惑しました。しかし、アヒンサは「修行の邪魔をしないでください!私はよこしまなことをしたくないのです」と。そりゃそうですね。不倫ですもの。しかし、それで収まらないのが師匠のおくさん。師匠の奥さんは自分の衣装をやぶり、あたかもアヒンサに犯されたように見せかけました。帰ってきた師匠はその姿をみてびっくり。師匠はアヒンサを激しく罵り、そしてアヒンサに無理難題を押し付けます。

それは百人の人間を殺し、その死体から百本集めなさいというもの。この師匠、すげえ悪い奴ですねえ。もちろん、アヒンサははじめは考えたのですが、ほかならぬ師匠の言葉だからと、この師匠の愚かな主張をそのまま受けいれてしまうのです。素直というか、バカというかなんというか。素直で人の言うことをよく聞くとのは良いことなのかもしれないけれど、時と場合によりますね。素直すぎて悪人の手足になるようでは元も子もありません。

そして、アヒンサは本当に次々と人を殺してしまうのです。いつしかアヒンサはアングリマーラという有り難くないあだ名がつくほど人々から恐れられたのです。アングリマーラとは「指の首飾り」という意味だそうです。

そして99人もの人を殺した後、アングリマーラはお釈迦様(ブッダ)に出会いました。ブッダはアングリマーラをさとし、無益な殺害をやめさせました。そしてアングリマーラは罪を悔い改めブッダの弟子となりました。

4 償い
 アングリマーラがブッダの弟子になって10日ほどたち、アングリマーラが町へ托鉢たくはつにいきました。托鉢とは、お坊さんが修行のため、はちを持って、家の前に立ち、経文を唱えて米や金銭の施しを受けて回ることです。しかし、アングリマーラが托鉢にいくたびに彼は血まみれになるのです。なぜでしょう?

それは、アングリマーラに殺された遺族たちが、石や棒でアングリマーラをボコボコにしたのです。殺されたものの遺族の悲しみは大変深いものです。そして、被害者に対して恨みさえ思うのです。いくらアングリマーラがブッダのもとで修業をしても、殺されたほうは許さないのです。ジョン・ゲイシーのこともそうですし、今回の座間の事件でもそうでしょう。事件現場にメッセージ付きの花束がおかれており、そのメッセージには「うちの子に生まれてきてくれてありがとう」とありました・・・

アングリマーラの額から血を流し、着ていた衣は破け、身体はあざだらけになり、帰ってくるのです。それも毎日。その姿を見てブッダは言いました。「アングリマーラよつらいだろうけれど耐えなさいよ。お前は本当は地獄へ行き何万年も苦しむのですよ。これに耐えてこそ、お前は本当に生まれ変われるのです」と。

そして、アングリマーラは殴られても、罵られても耐えに耐えました。そして、石を投げられることも次第になくなりました。アングリマーラが心から自分の罪を償い精進をしたからです。その姿に、かつて石を投げたり、ぶったり、罵った人たちも思わず手を合わせたのです。


※ 参考サイト


http://buddha-tree.com/2013/07/17/352/






東日本大震災は未曽有うの被害をもたらしました。しかし、あのような大きな地震とともに巨大な津波が1000年以上前に、しかも同じ東北で起きたのです。地震の規模は少なくともマグニチュード8.3以上であったそうです。恐ろしいことです。

その地震とは869年に発生した貞観地震です。869年といえば平安時代の初期で、朝廷では藤原家が実験を握っておりました。

貞観地震では、高さ9メートルの津波が何回も押し寄せたと推定され、仙台平野では内陸数キロメートルにまで達したというから恐ろしい・・・・

被害の様子を歴史書には、このように書かれております。



五月・・・廿六日癸未 陸奧國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝玳長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乘船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

現代語訳(意訳)
5月26日20時、陸奥国で大地震が起きた。(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らし、人々は叫び声を挙げて身を伏せ、立つことができなかった。ある者は家屋の下敷きとなって圧死し、ある者は地割れに呑まれた。驚いた牛や馬は奔走したり互いに踏みつけ合い、城や倉庫・門櫓・石や土などで築いた塀などが多数崩れ落ちた。雷鳴のような海鳴りが聞こえて潮が湧き上がり、川が逆流し、海嘯が長く連なって押し寄せ、たちまち城下に達した。内陸部まで果ても知れないほど水浸しとなり、野原も道も大海原となった。船で逃げたり山に避難したりすることができずに千人ほどが溺れ死に、後には田畑も人々の財産も、ほとんど何も残らなかった。

(『日本三大実録』より)



甚大な被害が出たのですね・・・さて、このときの朝廷はどうしたかとうと、地震から3カ月を経た貞観11年9月7日((ユリウス暦869年10月15日)になってようやく、從五位上紀春枝を陸奥国地震使に任命したそうです。震災への対応の遅さは、今と比べて通信網や交通網が発達していなかったとはいえ、昔もあまり変わらないのですね・・・


九月・・・七日辛酉・・・以從五位上-行左衛門權佐-兼因幡權介-紀朝臣-春枝,爲陸奧國地震使。判官一人、主典一人。

現代語訳(意訳)

9月7日辛酉(かのととり)の日、従五位上行左衛門権佐兼因幡権介である紀春枝を陸奥国地震使に任命した。また、判官一人、主典一人を併せて任命した。(『日本三大実録』より)


発災から4カ月を経た11年10月13日(ユリウス暦869年11月20日)の記事には、清和天皇が、陸奥国の国境が被災地とする詔を発しました。朝廷は民夷を論ぜず救護にあたり、死者はすべて埋葬するように命じました。被災者に対しては租税と労役義務を免除したとのことでした。

※ おまけ
震災当時の仙台市商業施設の動画です。動画を見ても、震災が恐ろしさを感じます。震災の時は落ち着いて行動するものだとは頭でわかっていても、いざ実際に大地震がきたら僕は冷静ではいられないと思います・・・





※ 参考サイト 

ウィキペディア

1 戦中に起きた3つの大地震
 今日は、東北の話から脱線して、戦時中の地震の話をします。戦争中というと地震がないようなイメージが自分にありました。が、中島飛行機という会社で働いていた人が、「戦時中は地震が多く、仕事で疲れてウトウトしていたら、突然ぐらっとして、目が覚めた」なんて話を聞きます。ウィキペディアなどで調べてみると1943年9月10日には鳥取地震が、1944年の12月8日には東南海地震が、1945年の1月13日には三河地震が起きました。いづれも千人以上の方々が犠牲になりましたが、正確な犠牲者の数や詳しい被害の状況はよくわからないそうです。

なぜなら、地震によって戦意が失われることを恐れた当時の政府当局が、報道管制をしたからです。それは敵への情報流出も作戦へ影響するため。当時の日本は、「国民全員が火の玉となって戦え」でしたから、槍が降ろうが、地震があろうが、お構いなし。

でも、いくら戦争中でも、地震だとかそういう大事な情報はきちんと流さなきゃダメだと思うんだけれどもねえ・・・他の自治体や赤十字などからの支援を受けるにしても、軍隊を派遣するにしても、情報がわかんないんじゃどうしようもないです。もちろん三河地方に駐在していた軍人さんたちは懸命になって救助活動をしましたが、三河地方にいる軍人さんだけではマンパワーが足りません。情報がないから助っ人もよべない。だから、余計に被害が大きくなってしまいます。もし、戦時中に東京や大阪で大地震が起きたら。考えるだけでもぞっとします・・・

しかも悪いことに三河地方は軍事工場も多く、学徒勤労動員という学生さんたちが工場で働いておりました。震災だけでなく、米軍の空襲の恰好のターゲットとなりました。そのために震災と空襲のダブルパンチで亡くなった人もたくさんいました・・・

2 鳥取地震
 鳥取地震は起きた時間が悪かったそうです。なぜなら、おきたのは9月10日の午後5時37分。午後5時37分といえば夕方。方々の家々でお風呂を沸かしていたり、夕食の支度をしていた頃です。そこへドーンという音とともに地面が上下に揺れたといいます。七輪や風呂の焚口から出火して大火災。燃え広がる火を消すのに、翌朝5時すぎまでかかったといわれています。

それは、まともな防災活動をせず、やったのは住民によるバケツリレー。戦時中は空襲の際に起きた火災はバケツリレーで消せと言われたのです。戦時中は日本のあちこちで竹やり訓練とともにバケツリレーの訓練もされておりました。今じゃ考えられない非科学的なことが大マジで信じられていたのです。もちろん当時の人にもバケツリレーの効果を疑問視する人もいました。しかし、そんな人は密告をされたり、隣組のメンバーからしばかれたりしたのです。ひどい話になると妊婦にバケツリレーどころかハシゴに乗ることを強制され、そのためにおなかの中の子が流産したという悲劇まであったという話も聞いたことがあります。そんな感じでしたから、皆しぶしぶやらざるを得なかったのです。しかし、それは全くの効果なし。結局、死者は1083名で、鳥取市の中心部は壊滅し、古い町並みは全て失われてしまったそうな・・・


3 戦時中のマスコミの地震報道

 さて、鳥取地震をマスコミはどのように報道したののでしょうか?地元の「日本海新聞」(9月13日付け)の一面トップはなんと「ニューギニアのポポイでの戦果」!その一面の片隅に内務大臣が被災地を視察したことが書かれ、具体的な被害状況は二面に小さく書かれていただけ。

あと、1944年の12月8日におきた東南海地震も被害が大きかったのです。だけど、各紙の1面トップはいずれも昭和天皇の大きな肖像写真および戦意高揚の文章で占められていたそうです。地震についての情報は、(1面ではない)紙面の最下部のほうにわずか数行程度、申し訳程度に記載されただけで、しかも「被害は大したことはない」「すぐに復旧できる」といった主旨だったそうです。

しかも、呆れた事にアメリカのニューヨーク・タイムズは「地球が6時間にわたって揺れ、世界中の観測所が、「破壊的」と表現した」と、この東南海地震を大々的に報じたそうな。外国のメディアが被害の深刻さをきちんと伝えて、日本のマスコミが「大した事ない」と報道するなんてシャレになりません。要するに、軍国主義マンセーで、一般国民がどうなろうと知ったこっちゃないって事ですね。軍部からの圧力があった事は同情できますが、あきれてしまいます。

しかし、これを笑い話だと思ってはいけません。東日本大震災における原発事故に関しても、日本のあちこちのメディアに東電から圧力があったといいます。そして、今後も戦前のような報道規制が起こる可能性がゼロだとは言えないのです・・・

※ 参考サイト 
ウィキペディア


※ 参考文献




隠された大震災―太平洋戦争史秘録
山下 文男
東北大学出版会
2009-10

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