history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

きょうは組立て体操の話を。なんで今更なんて話が聞こえそうだが、最近読んだ本のなかに組立て体操の話がでてね。それで、組体操のはなしを語りたくなったのw

僕が最近読んだ本ってこの本ね

体育会系〜日本を蝕む病〜 (光文社新書)
サンドラ・ヘフェリン
光文社
2020-02-28



この本の著者はある外国語スクールの講師だったようで、そのスクールにおいて日本人の働き方について疑問をいだいたと。その働き方というのは体育会系的な職場の雰囲気だと。健康や命のリスクを伴い、合理的に考えると全く理解不能なことが日本の社会において、ごく普通に行われ、日常化していると著者は懸念を示しているのですね。日本がそうした社会になるのは学校教育にも原因があるとこの本の著者は主張するのですね。そのなかでも組立て体操とりわけ人間ピラミッド。そうした学校教育の悪しきものの一つだと。組み立て体操という一つの苦しい事をみんなでやった、やればできるという、成功体験が下手すると美化され、そうした子供が大人になって、他人に対して苦しい事を強いるような人になる危険があると。

僕自身も小学校のころに組立て体操やったことがあるのですね。正直、二度とやりたいとおもいませんね。特に人間ピラミッド。僕は運動神経が鈍いうえに、子供のころはひょろっとしていて力も弱かったのですね。今でこそティップネスに通っているため、体格もよくなって、ある人から学生時代にハンドボールでもやっていたの?って言われたほどになりましたが、子供のころは弱かった。もう、「スペランカー」というゲームにでてくる主人公並みに弱かったw




だから人間ピラミッドでひとを上にのせるとつらかったですね。僕の上に人がのって、そのまま僕がバランスをくずしてよろめき、上の人が落ちてしまったのです。それで、同級生から非難されましたもの。人間ピラミッドなどの組体操は協調性を養うといわれておりますが、僕から言わせれば、いじめを助長するものでしかないって。それに危ない。調べによりますと1969年以降9人が死亡、けがをして障害が残った子供の数は92名だといわれております。

しかし、僕が小学校を卒業して以降、組立て体操とりわけ人間ピラミッドはどんどん進化しました。悪い意味で。人間ピラミッドの段を増やしたり、あるいは人間ピラミッドをした状態でそのまま動いて移動したりと。人間ピラミッドを見ているほうはいいが、やっているほうは大変なんです。特に大阪のある学校で、生徒数157名による10段ピラミッドが崩れた事件はショッキングでした。一人が骨折、ほかの子も軽傷だったもののけがをしたと。僕もその動画を見たのですが、どう考えても異常でした。死人が出なかっただけでも良かったと思えるくらいでした。組体操をやって骨折どころか、半身不随になったり、へたすりゃ命を落としてしまうと。




人間ピラミッドがどんどん高度になるにつれて犠牲者も増えたというので、組体操そのものを廃止するところも出てきたのですが、まだ全面的に禁止されたわけじゃなく、組体操をするか否かは学校ごとの判断にゆだねられるようになったのですね。やはり組体操は、運動会の華だから見たいという意見もあるのですね。しかし、けがや下手すりゃ命をおとしかねない高リスクのことを小学生ないし中学生でやるのは僕はどうかと思います。練習時間もそんなにあるわけじゃないし、子供だって力のある子もいれば、そうでない子もいる。まして将来のある子供たちの未来を考えたらなおさらだ。どうしても組体操をみたければ、体操部の子か、運動神経の良い子や力の強い子を選抜してしっかり練習させた上でやった方がいい。

「何言っているんだ!、人間やればできるんだ。」って声が聞こえそうですが、「やればできる」という考え方は世界のどの国にもあるのですが、どちらかというと自分自身に対して「私はできる」と言い聞かせる行為であって、日本のように他人に対して命令するものではないとおもいます。これは24時間テレビにも言えるのですが、他人に苦労を強いて、その苦労を成し遂げる姿をみて感動する姿は、いわゆる感動ポルノそのものだと思います。だから、僕は24時間テレビ大嫌いなんですね。もっとも、最近は感動ポルノ批判からか、障碍者に無理をさせる企画はあんまりやらなくなったようですが。

それにしても、組立て体操はいつからはじまったのでしょうね。調べによりますと、もともとは紀元前2000年の古代エジプトから始まったといいます。エジプトの壁画に組立て体操をやっている様子が描かれているといいます。といいましもほんとに組み立て体操の初歩の段階なので、人間ピラミッドのような大技はまだなかったようです。中国でも漢の時代からそれが見られたといいます。

ヨーロッパでは中世以降のイタリアで祭日に披露され、19世紀になるとドイツで近代的な組み立て
体操が行われるようになりました。19世紀のドイツは国民主義が非常に高まったころで、盛んにおこなわれたといいます。それがヨーロッパ各地に広まり、日本にも伝わったといいます。

学校教育において組み立て体操が行われるようになったのは1951年くらいだと。1951年のちゅうがく、高校用指導要領には三段の人間ピラミッドの図解が掲載されていたといいます。このころはまだ3段だったのが、だんだん段数もふえてエスカレートしたのかなって。







今日は歴史の話とずれてしまいます。きわめて個人的な話になりますが、僕はLGBT、つまりゲイです。子供のころから女性が好きになれず、男の子のほうがどちらかというと好きでした。むしろ、子供のころに女の子にいじめられた経験から、いまも女の人は苦手です。おばあちゃん子だったから、おばあちゃんは平気なのですが。逆に男の子のほうがよく寄ってきましたね。僕が子供のころはLGBTなんて言葉もなかったし、「とんねるずのみなさんのおかげです」にでてくる保毛尾田保毛男(石橋貴明が演じた)というキャラがでてきたのですが、この人物が名前の通りゲイだったのですね。しかし、「みなさんのおかげです」が放映されていた当時はLGBTなんて言葉もなく、ゲイなんて嘲笑の対象だったので、僕も肩身が狭い思いをしたものです。

今もネットやユーチューブの男性の筋肉をみるとドキドキしちゃいますね。かといって、男の人と付き合いたいといえば、それも微妙で、一緒に喫茶店に行こうとか、ちょっとどこかに出かけようとか、そのぐらいならOKですが、あんまりベタベタされるのも嫌で。まして同性婚となると構えてしまいますね。電車の中で時々、イケメンの男性を見ると「あれ、いい男」って思っても、それでおしまい。

学生の頃、イケメンの子と仲良くなって初めのころは、うれしかったのですが、あちらのイケメンの子のほうがどうも積極的に僕のところに電話してきて、それから、僕のほうが少しうっとうしくなって。ある程度、距離を置いてくれたほうがありがたいなって。

僕は芸能人とかスポーツ選手とか、歴史上の人物だとか、漫画やアニメに出てくる男性のほうが好きかな。会うこともなく遠くから眺められるから。最近、亡くなった鳥山明の「ドラゴンボール」にでてくるヤムチャなんて好みかな。漫画では咬ませ犬的で損な役割だけれど、結構強いし、イケメンだし、野球もうまいし。

芸能人とかスポーツ選手は結構いるので、この場で全部言うのは大変なので折に触れてちょこちょこお話しようかなって。

歴史上の人物だと護良親王と加藤清正かな。護良親王ことは以前に数回にわたって触れました。加藤清正はまた別の機会にきちんと触れたいと思います。

ともあれ、ドラマの「ドラゴン桜」(2021)に出てくる女理事長の話にこんなセリフが出てきます。

「バカねあなた、どの時代を生きてんの? 今はLGBTは当たり前、多様性の時代よ」「堂々としてなさいよ」


僕が学生のころ、こんなセリフを言える人は現実の世界はもとより、ドラマやアニメでさえ出てこなかったセリフだった。それくらい時代が変わったのですね。

ドラゴン桜(2021年版)ディレクターズカット版 Blu-ray BOX
太内村 遥
TCエンタテインメント
2021-11-10








漫才の歴史は意外と古く、平安時代にその原型があったといいます。当時は漫才と言わず、千秋萬歳(せんずまんざい)」(略して「萬歳」)にあります。基本は「太夫」と「才蔵」の2人組の芸です。2人は新年のめでたい日に家々を訪れ、その玄関先で芸を披露します。太夫が扇、才蔵が鼓をもち家々を回ります。

太夫と才蔵は、七福神などおめでたい言葉を節にのせて歌を歌うのですね。これは「今年一年、悪いことが起きませんように」と神に祈るのですね。歌だけでなく時に面白いことを言って楽しませるのですね。

万歳は神事の一種とされていますが、そんなに堅苦しいものではありませんでした。鼓を持ち面白いことを言うのが才蔵。つまりボケです。扇子を持った太夫がたしなめる、いわゆるツッコミ。そんな2人の掛け合いで笑わせます。笑う門には福来ると言ういう意味で、新年からわっはっはって笑えば、おめでたいですよね。それが昭和初期になり横山エンタツ・花菱(はなびし)アチャコという漫才コンビが、楽器を持たず、歌も歌わず、会話だけで笑わせる漫才をはじめたのです。それが今の漫才につながったのですね。





ルイ・ヴィトンのかばんが浮力があって、水に浮くって話を知ったのは「金田一少年の事件簿」。その話が本当かどうか、結論から言えば何とも言えません。

僕もユーチューブで、実際にルイ・ヴィトンのトランクが水に浮くかどうか実験する動画を探したのですが、全然見つかりません。ルイ・ヴィトンのトランクが高くて100万円近くするといいますし、あとでお話ししますが、現在販売されているトランクは水に浮かないそうです。


あくまで「金田一」に出てくる知識ですが、140年以上前、旅行の移動手段といえば、汽車か船がメインで、飛行機なんてなかった。それで、水難事件にそなえて、ルイ・ヴィトン社は、旅行トランクが水に浮くように設計したといいます。仮に船が転覆しても助かるように。昔は転覆事故が多かったといいますからね。ネットで調べると、タイタニック号の沈没の際、ルイ・ヴィトン製のトランクを持っていた乗客は助かったといいます。沈没から数十年後たって、沈んでいたヴィトンのトランクを引き上げたところ、引き上げ後に海に浮かんだ数々のトランクの中で、ヴィトン製のものだけが浸水がなかったため、トランクの中のものが一切濡れなかったとと。しかし、それはあくまでウワサ。下手すりゃ後世の作り話かもしれない。

ウワサとはいえ、ルイ・ヴィトンのトランクは水に浮くって話がマジかどうか別にして、ルイ・ヴィトンのトランクを欲しがる人がふえたのですね。実際、ルイ・ヴィトンのトランクは水に強く、傷がつきにくく、メンテナンスも手間がかからないという長所もあるのは事実なんですね。たいせつに扱えば大変長持ちするそうです。そして、21世紀初頭、顧客からの要望の多かった鞄の軽量化を名目に生地の製法を変更し、現在製造するトランクは浮かなくなったといわれております。だから、ルイ・ヴィトンのトランクが本当に水に浮いたかどうかは、なんともいえないのです。







この間、Amazonのビデオで久々に「グレムリン」見ましたが、懐かしいですね。子供の頃に見た時は、怖いなって思ったけれど、大人になってみてみると、以前ほど怖いなって思わなくなった。「チャイルドプレイ」だとか「シャイニング」とか、「グレムリン」よりもっと怖いホラー映画やサスペンス映画を見慣れた後となると「グレムリン」が取り立てて怖いとは思わなくなったですね。むしろ、ちょっと怖いところもあるけれどコメディー色や風刺も込められた映画だなって。


さて、この映画に出てくるグレムリンという化け物のモデルが日本だと言われておりますが、僕は半分は当たっているかもしれないが、半分は違うと思います。

まず本題に入る前に、「グレムリン」のあらすじを。主人公ビリーの父親が、息子のビリーのためにチャイナタウンにある骨董品屋でモグアイという謎の小動物を買おうとします。この小動物は、けむくじゃらで耳が異様にデカく、猫のような猿のようなそんな生き物です。しかし、骨董屋の主人は売り物ではないといって拒否します。しかし、骨董屋は金に困っており、主人の孫がこっそり、ビリーの父にモグアイを売ってしまいます。主人には内緒で。

父からモグアイを渡されて、ビリーは大喜び。ビリーはそのモグアイに「ギズモ」って名前をつけます。意味は、新製品。生き物に製品って名前をつけるのも変な感じですが。そのモグアイを飼うのは大変難しく、三つの決まりを守らなくてはなりません。一つは水をかけない。水をかけるとモグアイの数が増えてしまう。二つ目は、光を当てない。光が弱点。特に日光に当たるとモグアイは死んでしまいます。三つ目が1番重要で、深夜の12時過ぎに食べ物を与えてはならない、するとモグアイはグレムリンという鱗だらけで半魚人のようなおぞましい生き物に変化し凶暴化してしまう。結局、ビリーたちは決まりを破り、モグアイの数も増やしてしまい、挙句に狂暴化させてしまい、人間に危害を与えるようになるのです。



まあ、グレムリンが水を浴びて、どんどん数が増えていく有様は、ヒッチコックの「鳥」と共通するものがあるなって。グレムリン騒動はクリスマスに起こった事件として描かれているので、この映画を見るのは、本来クリスマスの方がいいかもしれない。

で、改めて「グレムリン」見てみると、映画にフッターマンというおじさんが出てきて、たびたび外国製の電化製品やら車を批判し、車は国産つまりアメリカ製に限ると言っているのですね。フッターマンは、かつては第二世界大戦の英雄だったが、現在は失業中という設定。

この映画が上映されたのは1984年。当時のアメリカは貿易赤字に苦しんでいたのですね。また、財政的にも赤字で、双子の赤字という状況だったのですね。ベトナム戦争で莫大なお金を使った挙句に、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻。米ソ間の軍事的緊張が高まっている状況。軍備にかけるお金がばんばん膨らみ財政的に苦しくなる一方。

かたや、日本は莫大な貿易黒字だったのです、その原動力は1970年代の石油危機を乗り越えたことにありました。日本は省エネ技術や太陽光発電などの技術革新で、石油危機を乗り越えたのです。この結果、燃費に優れた日本製の車や、信頼性の高い日本製の電気製品が世界を圧巻したのですね。安くて性能も良い日本の車や電気製品は人気が高かったのです。また、日本は防衛費にお金をかけなくても良かったので、防衛費に回すお金を経済の発展に回すことができたのですね。それで、1981年の日本のGN Pは世界の10%を占めるほど。しかし、こうした経済の発展はアメリカの強い反発を生むのですね。日米の貿易摩擦です。日本の輸出攻勢はアメリカの産業に大打撃を与えるのです。

アメリカの自動車業界では30万人もの労働者が解雇され、日本車の非売運動まで発展します。「グレムリン」のフッターマンもそうした状況で工場を解雇され、外国産とくに日本産の電化製品には嫌悪感を抱いていたのですね。

またギズモもアメリカの国旗を好み、おまわりさんから「アメリカびいきなんだな」って言われるほど。それくらい、日本とアメリカの関係はいいとは言えなかったのですね。

そして、アメリカは双子の赤字状況を脱却すべく、1985年にプラザ合意を行いました。これは日本や西ドイツ、イギリスいった国々の首脳をアメリカのプラザホテルに集め、アメリカのドルの価格の是正を求めたものですが、槍玉に上がったのが日本との間の貿易赤字。結局、日本の車や家電商品が安いから売れるわけで、ドルの価格が下がり、いわゆる円高ドル安状況になれば、日本の車や家電商品が高くなる、それで日本製のものが売れなくなるのです。円高ドル安ってちょっとわかりにくいですが、これはアメリカ人の立場から見て、円の価格が高く、ドルの価格が安くなったという状況。円、つまり日本のお金の値打ちが高くなれば、日本製のものの値段も上がってしまうってことですね。

そうなると、困るのは日本。車や電気製品がアメリカで売れなくなったのです。円高になると、輸出に頼っている日本は困ってしまうのです。それで好景気に沸いた日本も円高不況になってしまい、日本の工場が海外に出て行ってしまったりといろいろ大変なことになって、それからバブル経済を生み出すことになるのですが、それ以降の話はまた別の機会に。

グレムリンが上映された1984年はプラザ合意の一年前ですね。グレムリンの映画に出てくる、グレムリンの正体は日本じゃないかとも言われておりますが、確かに当時のアメリカ人にとって、当時の日本人は小憎たらしい悪魔のような存在かもしれない。しかも80年代といえば、先の戦争から40年しか経っておらず、日米両国、お互いに戦争の記憶も残っている状況。両国の指導者たちも戦争を知っている世代。

でも、グレムリンは知日派のスピルバーグも関わっているし、この映画のダンテ監督も日米の対立とか、そうした話を盛り込みつつも、自然への畏怖を忘れ、お金儲けに走る人間への警告をしたかったのかもしれない。映画でも、骨董屋の主人が、人間は愚かで自然の摂理を踏みにじってまで、幸せを得ようとすると言ってます。

実際、アメリカでも環境問題に関心を持つ人が増えたのですね。温暖化、それからフロンガスによるオゾン層破壊が問題になったのもちょうどこの頃。

また、1990年に「グレムリン2」が上映されます。2の方がコメディ色が強く、マネーゲームに走り過ぎて、人間としての情だとか、自然への畏敬を忘れてしまったことへの批判が1よりも込められておりました。むしろ、2のほうがダンテの言いたかったことが込めれているなとおもうし、僕も2のほうが好きですね。グレムリン2には遺伝子をいじくって新しい生物を作り出す研究所が出てくるのですね。ちなみに「グレムリン」は小説にもなっているのですが、そこではモグワイは科学が発展した星で科学者が人工的に作り出した生物だという設定なんですね。それで科学者がモグワイを地球に送り込んだって話。

そして、守銭奴の象徴が、クランプという富豪。クランプはニューヨークの王者と呼ばれる人物で、不動産を中心にアメリカの経済を動かすほどの人物ですが、一方で偏屈で人間性に欠けている面もあった。グレムリン騒動で彼もラストで更生するのですが。そのクランプのモデルが、トランプ元大統領。トランプは日本では、大統領になるまで、それほど知られた人物ではなかったのですが、アメリカではこの頃からすでに有名人で、評判もあまり良くなかった。「バックトゥザフューチャー」に出てくる悪役のビフもトランプがモデルだと言いますし。横暴でモラルに欠ける人間と看做された人物がのちにアメリカの大統領になるとは。いろいろ考えさせられます。









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