history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

紅白歌合戦の司会者が決まりましたね。白組が嵐の櫻井翔さん、紅組が広瀬すずさん、で総合司会が内村光良さん、アナウンサーの桑子真帆さん。個人的には「歴史秘話ヒストリア」の井上あさひさんに紅組の司会やってもらいたかったなあ・・・・ファンには申し訳ないけれどジャニーズの司会もそろそろ飽きてきたし・・・でも、総合司会の内村光良さんを選んだのはGJ。去年は内村さんがいらしたから面白かった。おっと、本題に入りましょうwww

前回の記事で、三部会のことをふれました。第三身分たちが政治的に目覚め、第一身分や第二身分に反発しだしたのです。きょうはテニスコートの誓いについて。教科書にも出てくるお話なので、ご存知な方も多いかと。

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(テニスコートの誓いの絵。中央に立って手をあげているのが国民議会議長バイイ。ロベスピエールやミラボーといった革命の有力人物も描かれている)

三部会で採決の仕方でもめていましたが、第三身分は指をくわえて黙っていたわけじゃありません。第三身分は自分たちに協力してくれそうな貴族や聖職者に接触しました。そして1789年6月17日に、第三身分は「国民議会」を称し、三部会から分離独立をしたのです。こうした第三身分の動き。国王であるルイ16世は第一身分も第三身分も仲良くやろうよという立場でしたが、まさにルイ16世に対する裏切りのようなもの。しかし、第三身分は国王をないがしろにする気持ちはなく、「国民議会」をひらいたあと「国王バンザイ!\(^o^)/」と叫んだそうです。

ルイ16世は、改修工事を口実にして、第三身分が会合を開いていた部屋を閉鎖せました。そりゃ、ルイ16世にとって、第三身分のやり方は看過できるものではありません。しかし、それにくじけないのが第三身分の議員たち。6月20日に、第三身分は室内球戯場きゅうぎじょうに集まって、会議を開いたのです。この会議ではパリ選出のバイイ議員の主導の元「憲法制定までは解散しない」とちかいあったそうです。この誓いによって彼らの心は一つに、そして強固になりました。これが「テニスコートの誓い」という出来事です。

テニスコートといいましたが、当時のテニスとは今のテニスとは違います。この時代は「ジュドポーム」とう遊びで、ラケットを使わず手のひらでボールを打ち合うゲームだったそうです。いわば手打ち野球のテニス版といったところでしょうか。


※ 参考文献





前回の記事で名士会について書かせてもらいましたが、きょうは三部会について。三部会とはいまの国会みたいなものです。三部会は1614年以来ずっと開かれていなかったのでが、ルイ16世は国民の要求に応じて1789年5月5日に開きました。実に100年以上も開かれていなかったのです。フランス全土で議会の代表を選ぶ選挙戦が開かれました。貴族たちが、三部会のテーマは税制問題と貴族たちの特権についてでした。

三部会では第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、そして第三身分(平民)の3つの身分からそれぞれ、議員が選ばれました。議員の数は1200名。そのうち第一身分が約300名、第二身分が約300名、そして第三身分が600人の議員がいました。その第三身分の600人の中に、ミラボーやロベスピエールといった革命の有力者がいました。

単純な多数決だと、第一身分+第二身分の総人数約600人に対して、第三身分が600人ほどだから拮抗しております。しかし、その採決方法が問題がありました。

↓に図をまとめましたので、ご覧になってください。画面がスクロールします。また75パーセントとかかれているところをクリックすると倍率をあげて、画面を大きくすることもできます。

   
(三部会 説明の図)

三部会の採決の仕方について三部会はもめたのです。第三身分は、単純な多数決による議員別採決を主張しました。議員の数だったら第一身分+第二身分の600名、第三身分の600名で同等です。それで第一身分や第二身分にも平民に同情的だったり、貴族の特権に批判的な人もいるので、そういう人たちを味方につければ、第三身分側が有利になります。

しかし、第二身分などの特権身分は身分別採決を主張しました。これは、議員の数でではなく、第三身分が600人いようが、1000人いようが、票の数は一票とカウント。そうなると、第一身分+第二身分で二票、第三身分一票で、身分別採決では第三身分は不利です。これには第三身分の人たちは怒り出しますそれからどうなったかは次回の記事でご説明します。

※ 参考文献




きょうの記事はながいです。

1 火の車だった財政
前回の記事で「アンシャンレジーム」を取り上げました。前回の記事でもかきましたが、フランスは大きく3つの身分に分かれていて、特に第三身分とよばれる平民たちは税金に苦しめられ、大変な思いをしてきたのです。一方の貴族や僧侶は税金も免れたし、王族は贅沢をしていたのです。

ルイ16世の2代前のルイ14世の時代は、豪華なベルサイユ宮殿をつくるなど、お金もじゃぶじゃぶ使ったのです。その次のルイ15世も贅沢をしていました。ルイ16世は、先代と先々代ほどではないが、華やかな宮廷生活をおくっていたようです。

ルイ15世の代はポーランド継承戦争やオーストリア継承戦争といった対外戦争をくりかえし、さらにルイ16世の代になりアメリカ独立戦争を支援しました。そのため財政は悪化していきました。

ルイ16世は財政赤字を改善するために、チュルゴーという人物を財務総監に登用しました。チュルゴーの財政改革の柱は大きく分けて以下の3つ。

  1. 宮廷費の削減(チュルゴーは自らの年俸を下げて、節約に取り組んだ)


  2. ギルト、親方制、地方関税の廃止(農業、工業、商業生産を高め、物品の自由な流通を促進


  3. 身分による特権の廃止(特権階級にも税金を課そうとした)


しかし、これには特権階級も猛反発。とくに貴族の特権に手を付けたことがまずかった。結局チュルゴーは解任されてしまいます。もし財務総監がチュルゴーではなく小泉純一郎元総理だったら、きっと特権階級を抵抗勢力と名指しで批判し、刺客を送り込んで、貴族議員を落選に追いやったかもわかりません。

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(チュルゴーの肖像画。彼はフランス革命の始まりを見ることなく亡くなっています)

改革は進まず赤字はふくらむばかり。革命が勃発する1789年には累積赤字なんと約50億リーブルに達していたといいます。

財政赤字を改善させるにはどうするか?結局、税金をアップさせるしかないのです。それで苦しんだのは農民たち。18世紀には各地で蜂起を繰り返していたといいます。税金は上がる一方だし、食糧もおりからの飢饉などが重なり食糧不足になったのです。

2 啓蒙思想
 しかし、いくら農民たちが暴れても、それで革命が起こるわけじゃありませんん。革命を成功させるには強力なリーダーと、その革命を成功させる思想みたいなものが必要です。日本の明治維新が成功したのは、やはり薩長土肥が中心となり、尊王攘夷というスローガンを掲げて幕府に挑んだことも大きいです。

フランス革命の場合は、前回の記事でも取り上げたブルジョワ層がリーダーシップをとり革命を導いたのです。ブルジョワ層が思想的よりどころにしたのは、啓蒙思想です。とくにフランス革命で大きな影響を与えたのがルソーの「社会契約論」。彼は「生まれながらに自由な人間が、自ら作り出した文化や社会のために自由を失っている」と考えました。自由で平等な社会を作ろう、個人個人が主権者になろう、政治を王様から国民の手に取り戻そうという「主権在民」の思想です。



あと、専制政治を批判し、三権分立を主張したモンテスキューの「法の精神」も忘れてはなりません。

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(ルソーの肖像画)

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(モンテスキューの肖像画)

そうした、啓蒙思想が広まり、国王の批判も堂々と行われるという風潮も生まれました。サロンや居酒屋で行われた政治談議の内容が、当時、整備された道路網、そして新聞や本を通じて各地にもたらされました。


3 貴族の反発 名士会開催

 チュルゴー失脚後、財務総監が変わりましたが、財政赤字はまるで改善されません。ちぇるごーの後任の財務総監も貴族たちにも重い税金をかけようとしたのですが、ロイヤルニートの貴族たちは「冗談じゃねえっ!」て。

ルイ16世は時の財務総監カロンヌと相談して1787年に「名士会議」というものを開いたのです。この会議のテーマはもちろん税制改革です。ルイ16世達も大して働かない貴族たちがのほほんと特権にしがみついている姿を看過できなかったのです。

しかし、貴族たちは、特権階級の課税を拒否。ルイ16世はダメな王様のイメージがありますが、実はそうでもなかったのです。国民のことを非常に考えていて、貧しい国民を救おうと本気で思っていたのです。しかし、国王の理想は当時の貴族たちには全く理解できませんでした。当時の貴族たちは利己心のかたまりでした。こうした貴族の身勝手さや悪意をルイ16世は計算できなかったのです。本当に当時の貴族たちはワルですね。今の日本の悪徳官僚や政治家みたいw

ルイ16世は人が良く、いわゆる性善説論者だったのでしょうね。だから人間の悪い面をみれなかった。政治家は人が好いだけではダメってことでしょうね。また、いくら素晴らしい理想や政策をもった政治家が現れても、それに大勢の人が賛同してくれないと、その政治家は実力を発揮できないまま失脚する羽目になるのですね。

そして、貴族たちは「税制問題は三部会をひらけ」と言い出すのです。その三部会のお話はまた次回に。


※ 参考文献



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