history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。



飯坂温泉という温泉地をご存知でしょうか?福島県にある有名な温泉地のひとつです。僕は福島といえば東山温泉のことは昔から知っておりましたが、飯坂温泉のことをしったのは4年前。

旅行ガイドで偶然、飯坂温泉のことを知り、「へえ、よさそうな温泉だな」といって訪れたのがきっかけです。実際に訪れましたが風情があってよい温泉でしたよ。僕の知り合いに福島出身の方が何人かいらっしゃるのですが、僕が飯坂温泉の話をするとみなうれしそうな顔をします。それくらい福島では有名な温泉地なのですね。


僕は車で、東北自動車道(高速)を通って福島飯坂インターから降りたのですが、インター近くはごく普通の地方の街並みといった感じで、温泉なんてあるような雰囲気ではないのですが、インターからだんだん雰囲気が変わっていき、飯坂温泉の駅前あたりにくるとなんとも風情のある雰囲気になります。



調べによりますと、飯坂温泉の歴史は日本武尊やまとたけるのみことの時代までさかのぼるといわれております。日本武尊は、この地で湯治したといういわれがあります。また、西行法師もこの湯を訪れ、ここで「あかずして 別れし人のすむ里は 左波子(さばこ)の見ゆる 山の彼方か」と読み、そこから「さばこの湯」という名が定着したそうです。


1689年(元禄2年)に、松尾芭蕉と弟子の河合曾良かわいそらが泊まったそうです。雨に降られた芭蕉らは、温泉に入って民家に泊まったそうです。

『おくのほそ道』によれば、土間にムシロをき、囲炉裏いろりのそばで寝たが、雨漏あまもりがあり、ノミとに悩まされ、芭蕉の持病が再発するなど散々な目にあったようです。昔は香取先公じゃなかったw蚊取り線香も殺虫剤もなかったから、そりゃ芭蕉もひどい目にあいましたね。

ちなみに、飯坂温泉の駅前には芭蕉の像が立っており、飯坂温泉に訪れた観光客を出迎えております。


なお、飯坂という地名は、1300年頃、伊達家の分家(伊達政信だてまさのぶ)が飯坂姓を名乗り、一帯を開墾かいこんしたことにちなむそうです。これがいつしか飯坂村の温泉、すなわち飯坂温泉と呼ばれるようになりました。

飯坂温泉には松尾芭蕉だけでなく、与謝野晶子よさのあきこ正岡子規まさおかしきといった文豪も訪れております。

飯坂温泉の写真↓

DSC_0439
DSC_0440
DSC_0441
DSC_0442




http://ehatov1896rekishi.diary.to/archives/2383953.html

(前回の記事)

前回の記事で、福島県奥会津にある沼沢湖にすむ大蛇が現れ村の人を困らせたという話をしました。が、本当にそんなバケモノみたいな蛇がいたとは考えにくいです。沼沢湖の大蛇が恐竜の生き残りの可能性もゼロではありませんが、なんか違うような気がする。

沼沢湖にすむ大蛇のモデルは、川の氾濫はんらんだと思います。かのヤマタノオロチのモデルは川の氾濫じゃないかといわれているほどですから。え?ヤマタノオロチをしらない?蛇の首が8つもあるでっかいバケモノです。首が8つなら又が7つじゃなきゃおかしいじゃないか、ヤマタではなくナナマタノオロチの間違いじゃないかって僕は思うのですがw山田のおろちじゃなかったwヤマタノオロチの話はこの辺にしておきましょうw




奥会津には只見川ただみがわという川が流れており、たびたび氾濫があったので、村人たちはこまったことでしょう。それを佐原義連(さわら よしつら)が中心になって灌漑かんがい工事でもやったのかもしれない。

地元の人たちは沼沢湖に住む大蛇が川のちかくまで下りてきて(沼沢湖は山の上にあるカルデラ湖です)、その大蛇が暴れると川が氾濫すると考えたのかもしれません。沼沢湖は本当に静かで神秘的な湖で、いかにも何かが住んでいるような感じがします。現に沼沢湖畔のキャンプ場には妖精美術館といって妖精の絵や人形を展示している美術館があるくらいですから。

閑話休題、下の写真をご覧ください

DSC_2171
DSC_2167


ちょっと見づらいのですが写真の右はじに鉄橋が壊れている様子がわかります。これは震災によるものではありません。川の氾濫により鉄橋が流されてしまったのです。いくら只見川が氾濫したとはいえ、こんな高いところまで水がくるはずはありません。

平成23年(2011年)7月におきた新潟・福島豪雨による洪水による被害で、一説にはダムの放水によって水かさがまして、鉄橋まで押し流すほどの洪水になってしまったとか。そうだとしたら人災でもありますね。

調べによりますと、この只見川流域は日本でも指折りの豪雪地帯であるため水量が豊かであり、このため只見川は非常なエネルギーを隠し持っているいわれております。

只見川はたびたび氾濫を起こしましたが、太平洋戦争後1951年(昭和26年)に国土総合開発法に基づく只見特定地域総合開発計画の対象地域に指定された後は電源開発がすすみ、水力発電によりこのエネルギーを有効に活用できるようになりました。

それから只見ダム、田子倉ダムや奥只見ダム、大鳥ダムなどたくさんダムが作られていたのですね。だから地元の人たちの中には「ダムができる前は(あれほど大きな)洪水はなかった」という人もいるのです。

新潟・福島豪雨は奇しくも東日本大震災の年に起きたために、大きな被害が出たにもかかわらず、あまり注目されなかったのですね。心の中ではダムさえなければと思っていても、困ったことに、これらのダム(を運営している電力会社)が税金を払うなど地元にお金を落としているのです。電力会社に出てけといいたくても追い出せないのが現状なのですね・・・

その点は福島の原発とも通じるものがあります。


※ おまけ
只見川の横を走る只見線の動画をどうぞ。只見線の車窓は美しいと評判で人気があります。僕が訪れた時も鉄オタ?らしき若い人たち数人がカメラをぶらさげ、パチパチと車窓や只見線の車両をカメラで映しておりました。しかし、この只見線も新潟・福島豪雨の被害にあい、一部区間がいまも復旧がされていないそうです。







DSC_2175

DSC_2155

(只見線の車両)

DSC_2159


福島県の奥会津に、沼沢湖ぬまざわこという湖があります。この湖には昔大蛇がいたというのです!

なんでも、この大蛇は髪の長さが2丈(約6メートル)もある若い美女に化けては、人を惑わせたり襲ったりし、近隣きんりんの村人たちから恐れられていたそうです。しかも、大蛇は鉄砲で撃たれても死ななかったともいわれるから怖いですね〜こんなのがいきなり湖から出てきたら僕なんか一目散に逃げますね。

さて、鎌倉時代になって、この大蛇を退治しようとする人が現れました。当時の領主・佐原義連(さわら よしつら)は、村人の恐れるこの大蛇を退治するため、家来50〜60人(12人という説もあり)を率いて船やイカダで沼に進みました。

義連たちが「おい!、大蛇よ出てこい!おれが退治してやる!退治してお前をスパゲティにしてやる(とういか蛇のスパゲティなんて食いたくねえw)」みたいな言葉をいうと、空が黒くくもり雷までなったといいます。

そして湖の中から大入道があらわれました。大入道とは体の大きなバケモノです。義連たちは「こいつこそ大蛇の化身だ!」と立ち向かいました。けれど荒れ狂う波に船がゆれて自由に戦うことができません。そして義連たちは大入道もろとも、沼の底へと呑み込まれてしまいました。

やがて荒波と共に、大蛇が苦しみつつ姿を現したのです。義連たちは家来たちもろとも大蛇に飲み込まれながらも、刀で大蛇の腹をりさいて脱出したのだのです。本来なら蛇の腹の中の猛毒で命を落とすはずだったのですが、義連のカブトにぬい付けられていた金の観音菩薩が蛇の毒から身をまもってくれたのです。

こうして大蛇は退治され、義連はその頭を斬り落として土に埋めました。その後も大蛇の怨念おんねんは地の底からはたを織るような音をさせたので、たたりをしずめるため、人々は神社を建てて大蛇をまつったといいます。実は僕もこの神社に訪れてました。けっこう不便なところにある神社なのに、神社の境内はキレイになっておりました。おそらく地元の方々がこの神社を大事にしているのだなって感心しました。また、そんな恐ろしい蛇をまつっている神社だからもっと不気味な感じのする神社かと思っていたのですが、訪れてみたらなんとも清らかな感じのする神社で、逆に僕は清々しました。

この沼沢湖にいくには会津から只見線ただみせんという電車に乗り、早戸はやと駅から車で10分です。ちなみに僕は早戸駅の先の会津川口駅まで行き、そこから下車してタクシーを呼んで沼沢湖にいきました。

この沼沢湖の伝説にはもとになった話があると僕は考えているのですが、その辺のお話は次回にお話しします。その話は、東日本大震災と伴っておきた原発事故とも通じるお話です。

DSC_2158
DSC_2157




※ おまけ 
沼沢湖で毎年行われる大蛇祭りの動画です。この祭りに出てくる大蛇は蛇というより竜、まるで竜神様のようです。昔は悪いことをしたかもしれないけれど、今は改心して地元の人たちを守る神様になったように僕には思えます。


このページのトップヘ