history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

本題に入る前に、まずは小金井公園で撮った桜の写真をどうぞ(五枚)。











桜は古来から日本人を魅了してきました。奈良時代まで花といえば梅。奈良時代までは梅をよむ歌が多かったのですが、平安時代になると桜をよむ歌がぐっと増えたそうです。(歴史秘話ヒストリアで学んだ付け刃な知識w)


「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心はのどけからまし」 
在原業平

「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」
 小野小町

「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」
 西行

「さまざまの 事おもひ出す 桜かな」 
松尾芭蕉


そして、現代になっても桜を歌った歌はたくさんあります。ありすぎて困るくらいw

桜を歌った歌はいっぱいあるけれど、梅を歌った歌ってあるのかな???もし梅を歌った歌があったら教えてください。

桜を歌った歌といえば僕的にはケツメイシの「さくら」が好きだけれども、福山雅治さんの「桜坂」やレミオロメンの「Sakura」も捨てがたいですね。あと滝廉太郎先生の「花」も。

最後にアンケートをよろしかったらお願いいたします。テーマは「桜」の歌のアンケートです。

ブログネタ
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1 かぶとの「愛」の字が意味するものは?


直江兼続(なおえかねつぐ)といって連想されるのは、ヨロイカブトのでっかい「愛」の字です。

この「愛」は民を愛する「愛民の精神」の「愛」を意味するのでしょうか?

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(直江兼続のヨロイの写真。ウィキペディアより)



それは直江兼続本人に聞いて見なきゃわかりませんがw、どうもこの「愛」の字は「愛民」の愛というよりも、軍神である愛宕権現あたごごんげんあるいは愛染明王あいぜんみょうおうの一字から取った可能性が大きいそうですね。

なにしろ戦国時代ですからねえ。戦国武将は、カブトの前立てに神仏の像や神号・仏号を用いた例が多いそうです。戦に勝つためのゲンかつぎorお守りみたいなものでしょうか?

といっても、直江兼続が血もナミダも無い人物だったわけじゃありません。

2 直江兼続の善政

 直江兼続は米沢よねざわにてよい政治をおこなったそうですね。暮らしむきの安定と生産性の向上を図る治水事業も行いました。

武士達には、っ立て小屋に住まわせながら荒地あれちを開いてソバや豆を植え、野菜をつくるという生活を直江兼続はすすめました。

また、直江兼続は米沢の地にウコギを持ちこんだ人物で知られています。

ウコギの葉はかわかせば茶の代用になり、その根を乾かしてせんじれば薬となり、みきにはするどいトゲがあるからドロボーよけにもなるという便利な植物です。

そのウコギを武士の家々の垣根かきねにウコギを植えさせる事をすすめました。

さらに武士の屋敷の庭にはクリ、かき、あんず、イチジクなども植えさせました。他にも染料せんりょうとなるベニバナなどの栽培さいばいもすすめました。

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(ウコギの写真。ウィキペディアより)



3 文化人 直江兼続

 直江兼続は文化人でもありました。豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮出兵ちょうせんしゅっぺいの際には多くの本を集めたり、印刷技術も朝鮮ちょうせんから持ち込んだそうです。

直江兼続は米沢に禅林寺ぜんりんじ宝泉寺ほうせんじ)というお寺もつくりました。そのお寺に禅林文庫ぜんりんぶんこというものをつくりました。

そこには直江兼続が集めた本がいくつもあります。禅林文庫は藩士はんしの教育に役立てるためにつくったものですが、これが後の藩校はんこう興譲館こうじょうかん」設立にもつながったそうですね。

他にも直江兼続は連歌れんかや漢詩にも通じていたようですね。

直江兼続の武将としての信条や生き方、そして米沢藩よねざわはん時代の政治のありかたをみていると、まさに「愛民」の「愛」、「人」への「愛」をつらぬきとおした人生だと僕は思います。

※ おまけ
米沢市の冬の風物詩ふうぶつし「米沢上杉雪灯ろうまつり」の動画をどうぞ。






※ 写真はウィキペディアより引用しました。 
※参考文献


直江兼続のすべて



直江兼続の生涯―義に生きた天下の智将 (別冊歴史読本 23)

1 3月11日

 3月11日の東日本大地震ひがしにほんだいしんさいが起きてからもう2週間になります。亡くなられた方にはおやみの言葉を申し上げるとともに、一日もはやい復興をおいのりいたします。

テレビで見たのですが、自然の力は本当におそろしいと思われました。道路がこうもグニャグニャに曲がるのかと思いました。津波つなみもおそろしいと思いました。人間が自然に打ち勝つことはムリなのだろうなって改めて思いました。

3月11日は東京でも大きなれがありました。今も余震よしんが続いております。あの地震じしん以来、自分は本当に神経質になりました・・・風でマドがカタカタいっただけで「あ、また地震か?」なんて思うようになりまして・・・・

東北だけでなく、中国やニュージーランドなど世界各地で大きな地震が起きています。東京に住んでいる僕にとっても決して他人事ひとごとだとは思えませんでした。



2 幕末 安政南海地震の教訓が書かれた石碑せきひ

 大阪のJR環状線かんじょうせん大正駅たいしょうえきの近く、木津川きづがわにかかる大正橋に石碑せきひがたっています。その石碑には安政南海地震あんせいなんかいじしんの際の犠牲者ぎせいしゃをとむらうために建てられたものです。

その石碑には地震が来たときの教訓も書かれているそうです。安政南海地震の時は山の様なでっかい津波つなみおそい、大坂(※2)の町も被害ひがいを受けたそうです。

そこには「大地震が起こったときは、いつも津波がくると思って、絶対に船に乗ってはいけない」、「家がくずれて、火災も発生するだろう。お金や証文しょうもんなどはくらに保管し、戸じまりを厳重げんじゅうにし、火の用心が肝心かんじん」なども書かれているそうです。

自分達の住んでいる地域の歴史を学ぶのも地震対策になるんだなって思いました。

※2 大阪のことを昔は「大坂」と表した。


※ オマケ

これまで日本で起きた地震を1300年分り返るという動画を見つけました。日本はいかに地震が多いかがうかがえます。

なお、この動画を見ていると古い時代ほど地震が少ないように感じられますが、,それは古代は地震の記録がちゃんと残っていなかったためです。近代になるほど多くなるのは、きちんと記録をしているからであって、近代になって地震が増えたわけではないのです。





(今回の記事は2015年3月1日に加筆修正しました)

※ 参考文献


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