history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、歴史を中心にいろいろ語ります。2020年3月より、過去記事の加筆修正も含め、リニューアルしました。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。

1 ソ連も中国もナゾの国だった

ロシア(旧ソ連)といって何を連想しますか?

「北方領土返せ!」

街宣右翼がいせんうよくか!?w

僕はロシアと聞いて連想するものはボリショイサーカスです。

ボリショイサーカスは子どものころに父親につれてってもらったことがあります。





しかし旧ソ連が今の北朝鮮のように悪の帝国とよばれていた時代があったことを知ったのはわりと最近のことです。中国も1972年に国交を回復するまでは今の北朝鮮のようなナゾの国だったそうです。何か信じられないなあ。

今日は旧ソ連と中国の関係をちょっとだけね

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ラジオ中国語講座のテキストはいろいろな中国がらみのコラムがっています。去年のテキストには「中国人物論」というコラムが載っていました。書いているのは小説家の酒見賢一さん。

去年のテキストの「中国人物論」では『三国志』でおなじみの劉備(りゅうび)が取り上げられていました。

劉備といえば『三国志演義』をみても、ゲームの『三国志』でも劉備=人徳あふれる名君というイメージが前提になっています。

一方ライバルの曹操(そうそう)は冷酷れいこくな悪役というイメージでえがかれています。

だが、酒見さんは思うに劉備が一番悪いと述べられています。

「この人さえいなかったら後漢末動乱期はもっと平和に推移すいいしていたにちがいないと、ふと考えるときがある」とまでおっしゃっています。

なぜならば、「劉備は極楽ごくらくトンボというか、ビジョンがなく、その場しのぎが多い。自分の野望を華々はなばなしく演じた曹操、辛抱しんぼう強く着々と組織固めをした孫権(そんけん)とちがって、あまりに無計画すぎる」からだと。

ちなみに、ここに出てくる極楽トンボとはお笑いコンビの名前じゃないので、あしからずw

また、裏切り者で知られている呂布(りょふ)が捕虜ほりょになったとき、曹操は助けようとしたのに対し、劉備は殺せといいました。

そのとき呂布は「この大耳児だいじじめが、お前が一番信用ならん男だ」怒鳴どなったそうです。大耳児というあだ名は劉備の耳が異常に大きかった事に由来するそうです。

他にもいろいろと劉備の無能さをつらつらとこのコラムに書かれておりました。

劉備は僕の好きな武将の一人だっただけに酒見さんの話は意外に思えたし、「へえ、そういう見方もあるんだ」って僕も感心しました。



※ 参考文献
NHK中国語講座のテキスト


成人式ですね。僕からの新成人へ送る言葉は、

「これからは堂々とお酒が飲めますね」(笑)

今日は、北宋の時代に活躍した政治家の王安石(おうあんせき)のライバル、司馬光(しばこう)の少年時代の逸話を。

司馬光はとても頭の切れる人でしたが、すでに子どものころから才能があったようです。

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※ この記事はウィキペディアとラジオ中国語講座のテキストを参考にして書きました。



1 劉慶邦(リュウ・チンバン)さんのインタビューより

 以前に、ラジオ中国語講座の応用編で『信』(手紙)という小説を題材にして学習をしておりました。この小説の作者は劉慶邦(リュウ・チンバン)さん。

彼は1951年に河南省沈丘(かなんしょうしんきゅう)の農村に生まれ、農民として炭鉱労働者として働いた後、記者・編集者などをやって、そして小説家になったです。

そして、中国語講座のテキストのコラムに劉慶邦さんのインタビューについてふれられていました。

2 木の皮や草まで食べた
 その劉慶邦さんがあるインタビューで木の皮や雑草まで食べてえをしのいだと語りました。賞味期限しょうみきげん切れのコンビニ弁当が山のように捨てられるような今の日本では想像もつきません。それくらいきびしく悲さんな生活を劉慶邦さんはされたのでしょう。

劉慶邦さんがまだ子どものころの中国、だいたい1959年から1961年にかけて、大躍進政策(だいやくしんせいさく)が行われました。

3 失敗しっぱいだった大躍進政策
 大躍進政策とは、アメリカやイギリスに追いつけ、追いこせとばかりに農業や工業の生産力を大幅おおはばにアップさせましょうというものです。

しかし、当時の指導者だった毛沢東(もう・たくとう)が中心になって行われたその政策(計画経済)はムチャクチャなものでした。経済はかえって混乱し、天災もかさなって多数の餓死者がししゃを出したそうです。金正日と同じようなことを毛沢東らはやってきたのでしょう。

餓死した数はおよそ2000万人〜5千万人といわれていますが、はっきりした数字はわかりません。でも、少なくともヒトラーが行ったホロコーストの犠牲者ぎせいしゃ数をはるかに上回るといわれております。

この大躍進政策の失敗の責任を取って毛沢東は失脚しっきゃくしてしまいます。しかし、毛沢東は権力の座をねらっていました。やがて文化大革命(ぶんかだいかくめい)とよばれる混乱の最中に毛沢東は再び表舞台おもてぶだいに現れるのです。


4 評価が分かれる毛沢東

 大躍進政策そして文化大革命などの失態しったいのため、中国では毛沢東は評価は人によって分かれます。英雄だとあがめている人もいる一方で、父のように厳しい人、あるいはおにのような人だとおそれられています。

映画監督の陳凱歌(チェン・カイコー)さんのように、毛沢東をきらっている人も少なくありません。

一方、周恩来(しゅう・おんらい)は母のようにやさしい人だと中国人から尊敬されているそうですね。

学校の歴史の授業などではヒトラーのホロコーストはふれられていましたが、大躍進運動については全くというほどふれられません。そのせいもあってか、僕が大躍進運動のことを知ったのはわりと最近のことです。









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