history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

今日は『菜根譚』が書かれた時代背景について。ちなみに今日はエイプリル・フールですが、今日の記事の内容はウソじゃありません。マジな話ですw

『菜根譚』の時代背景をまとめると

  • 時は明の時代末期。時の皇帝は第14代皇帝の万歴帝。日本でいうと豊臣秀吉が権力を握っていたころ。朝鮮出兵とも時期が重なる。


  • その頃の明は国が乱れ、役人や官僚の間で不正やら汚職がはびこって、ちょうどいまの日本とそっくりの状況だった。

  • 朝鮮出兵で、明は朝鮮に援軍を派兵した。一方で、ヌルハチ率いる女真族の勢力が増しており明を脅かしていた。対外的にも苦しい状況




それでは、万歴帝ってどんな皇帝だったのでしょう?

  1. 10歳で即位

  2. 張居正という優秀な政治家のもとで政治改革が行われ、無駄な官職の撤廃・全国的な検地・無用な公共事業の廃止などにより財政は好転。


  3. 一方で張居正は、上司である万歴帝に厳しく、些細なミスでも大声で怒鳴ったともいわれている。


  4. 張居正がなくなり万歴帝は堕落しはじめる。


  5. 鄭貴妃という愛人をかわいがり、万歴帝は鄭貴妃との間にできた子をかわいがり、長男を疎んじ、それどころか、長男が鄭貴妃の一派に暗殺されそうになっても、万歴帝は、それを黙認。


  6. 東林党という政治集団が権力を握り、それに反対する勢力との間で激しい派閥争いがおこったが、万歴帝はそれを黙認。

  7. さらに宦官たちがはびこるようになった


  8. 万暦帝は政治に関心はなかったが、銭ゲバで個人的な蓄財には熱心で、国家財政までも無視した。


  9. 官僚に欠員が出た場合でも給料を惜しんで、それを補充しないなどということを行い、このために一時期は閣僚が一人しかいない、あるいは地方長官が規定の半数しかいないなどという異常事態となった。


  10. さらに悪化した財政への対策として、全国に税監を派遣し、厳しい税の取り立てを行い、民衆の反感を買った。


  11. 怒った民衆により税監たちがたびたび殺される事件が起こったのに、万暦帝は厳しい税を亡くなるまで取り続けた


  12. 豊臣秀吉が二度にわたる朝鮮出兵を行ったが、その際、朝鮮を助けるために軍隊を派遣したが、その軍事費も国の財政を圧迫した。
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  14. ヌルハチ率いる女真族の台頭に悩まされた。

  15. 国家にとって不可欠な出費を惜しむ一方で、ぜいたくばかりしていた。例えば鄭貴妃との間にできた子の結婚式のために30万両という金額を使った。

  16. 政治への関心も薄れ、次第にひきこもるようになった。ネットでニート皇帝と揶揄されるほど




やばい皇帝さんですね。こんな人がトップでは国が乱れて当然です。上にたつ人は常に民衆のことを考えなくてはならないのに、自分に甘く、自分の愛人や、こびへつらう者ばかりを重んじるのは非常にまずい。『菜根譚』にも君主たる人物への戒めがこう書かれております。

士君子、権門要路にれば、操履そうりは厳命なる要し、心気は和易わいなるを要す。少しもしたがいて暒羶暒羶せいせんの党に近づくなかれ。また、過激にして、蜂蠆ほうたいの毒を犯すなかれ。





人間たる者が、志を得て権力の座に登り重要な地位につけば、その言行は、公正で、心持はなごやかで親しみ易くしなければならない。ついうかうかと悪い仲間によったりしてはいけないし、また、あまりやりすぎて、ハチやさそりのような小人どもに害されるようなことがあってはならないって意味です。つまり悪い家臣にそそのかされたりせずに、民衆のために良い政治をしなさいと。万暦帝は、まさに『菜根譚』のとく理想の君主像とは真逆だったのです。





1 名だたる有名人が愛読した本
 みなさん、『菜根譚さいこんたん』ってご存じでしょうか。「さいこんたん?、あの有名な外人タレントさんでしょ?」。それは、サンコンさんw。「料理のレシピ本かなにか?」。本のタイトルだけみるとそう見えるかもしれないですね。じつは、この本は16世紀の明の時代に書かれた本で、処世術しょせいじゅつが書かれた本なのです。それほど知名度の高いではなく、それこそ知る人ぞ知る本なのですが、この本が日本に広まったのは実は江戸時代で、それ以降、この本を愛読した人は結構いたのです。


  • 川上哲治(プロ野球選手・監督)

  • 野村克也(プロ野球選手・監督)

  • 田中角栄(政治家)

  • 五島慶太(実業家)

  • 松下幸之助(実業家)


  • 吉川英治(作家)



などなど。そうそうたるメンバーがこの本をよんでいますね。これだけの人が、この本を座右の書として、素晴らしい業績を残されたのですね。この本を読んで、この本に書かれていることを少しでも実践すれば、田中角栄や川上哲治とまではいかないまでも、成功を収めることができるかもしれない。これは読まない手はないですね。実際、『菜根譚』は数ある中国処世訓の最高傑作ともいわれております。

2 『菜根譚』とは
『菜根譚』がどんな本かというと

  • 16世紀末、中国の明の末期に書かれた本

  • 前後2集に分かれ、前集222条、後集135条、全部で357条。現在でいえば「今日の格言カレンダー」のように、格言が書かれた短い漢詩が357条もある。

  • 前集は世に出るための処世術を、後集では社会の第一線を退いた後の楽しみ方が書かれている

  • 作者は洪自誠こうじせい(生没年、経歴不詳。ただ優秀な官僚だったといわれている)

  • 日本に伝わったのは江戸時代。評価が高まったのは初版から300年後。


  • 江戸〜昭和の時代に愛読された


といったところでしょうか。

3 洪自誠ってどんな人?

 『菜根譚』を書いた洪自誠こうじせいがどんな人なのか、あんまり良くわかってないのですが、明代末期の人で、優秀な官僚だったが、派閥抗争に巻き込まれ、人間社会に嫌気が差し、隠遁生活を送ったんじゃないか?と言われております。ただ、洪自誠には友人がいて、その友人がいうにはもっぱら儒学の人であったが、仏教思想や道教にも通じている人だったと。確かに『菜根譚』を読んでいると仏教思想とも儒教思想ともとれるような発言が出てくるのですね。それと『菜根譚』読んでいると、「あ、この人は結構人生でいろいろと、ほろ苦い経験をたくさん積んでいるな、それと人間関係にも結構悩まされたな」って伝わってくるんですよ。

「文以拙進 道以拙成 一拙字有無限意味」(後集93条より)
「文は拙を以て進み、道は拙を以て成る。一の拙の字、無銀の意味あり」



この詩だけでなく『菜根譚』には「せつ拙」という言葉がよく出てきます。
「拙」の意味は「巧」って言葉の反対で、つたないとか、へたっぴとか不器用とか、ともかくマイナスのイメージです。しかし不器用な人でも一生懸命、誠実にやれば、うまいヒトより上達したり、成功したりするってことです。実際、仕事でも不器用だったり、とろい人は上司からよく怒られます。要領よくこなせる人は上司からよく褒められます。しかし容量の良い人は、上司の機嫌をうまくおだてたり、ミスをごまかしたりして、その場をしのぐことばかりの可能性がある。

一方、いつも怒られる人は、ある意味自分でも気づかない弱点とか、そういったものを気づける。怒られるのは嫌だけれど、自分の欠点とか弱点を直していけば、要領よく、その場をうまくごまかしている人より大成する可能性があるってことでしょうね。もしかしたら、洪自誠もどちらかというと、不器用な人で結構苦労した人なんじゃないかって思ってしまいます。


※ 参考資料
『100分de名著』(NHK)の」番組
『座右版 菜根譚』

座右版 菜根譚
久須本 文雄
講談社
1994-10-07

何かと大谷翔平の周辺が騒がれておりますが、周囲の雑音というかバカはほっておいて野球のほうに集中してほしいなって思います。ただ、いくら何でも他人に自分の口座を教えるのはまずいなと。芸能人とかスポーツ選手の中には金銭管理が苦手な人がすくならからずいますが、教えるならせいぜい身内でしょうね。ただ、今回の件、野球とばくで野球界を永久追放された西鉄ライオンズの池永正明を思い出してしまい心配です。

さて、今年は大谷は打者に専念するといいますが、良かったと思います。というか、ずっと打者でいいと僕は思う。僕はかねてから二刀流には反対だったのですよ。二刀流のリスクは高く、大谷の身体を壊してしまい、選手生命を早く絶たれてしまうこともあるし、思うような記録も残せないまま終わってしまう、記録より記憶に残る選手で終わるには、非常に惜しい方だと僕は思う。

こんなことを言うと、「何言っているんだ、大谷は二刀流でずっとやれる!」という声も出てくるかもしれないが、二刀流は我々の想像以上に肉体にダメージを与えるそうですよ。二刀流でずっとやってくれることを期待している人も多いかと思うけれど、それには結果を残さなくてはならないので、プレッシャーも大きい。僕はあんまり無理をさせたくないんですよ。

競技は違うけれど、かつて円谷幸吉というマラソン選手がいました。円谷は東京オリンピック(1964年)に銅メダルを取りました。それで円谷は「つぎのオリンピックでは銀メダルを取る」と宣言、国民は多大な期待をしたのですね。しかし生真面目な円谷はそれが大きなプレッシャーになったのです。その後、けが、信頼していたコーチの更迭、婚約者からの一方的な結婚破棄、など様々な不幸が重なり、自殺をしてしまったのですね。過度な期待が円谷を追い詰めた面もあると思います。

それで、大谷翔平の二刀流について、プロ野球のOBや現役選手の間でも賛否両論で、大谷の二刀流を支持する人たちはいいヒトで、反対する人たちは老害だとか、ワカランチンみたいな感じでたたかれてしまう。僕は大谷の二刀流支持派が必ずしも良いヒトばかりとは限らないと思います。

大谷はたしかにすごい選手です。バッターとして育てたら王貞治の記録を抜くかもしれない、ピッチャーとして育てたら沢村栄治や野茂英雄よりもすごい投手になるかもしれない。だから、大谷に自分の輝かしい記録を塗り替えられるのが怖いって人たちも少なくないんですよ。大谷には二刀流をやってもらい、中途半端な結果で引退してくれたほうがありがたいと内心思っている人も少なからずいるのですよ。こういう人たちが一番悪いと僕は思うんですが、どうでしょう。


大谷二刀流反対派の中には確かに老害としか思えない人もいるといえばいる。しかし、そんな人ばかりではないです。例えば、ダルビッシュ有。彼は大谷の二刀流をかねてから懸念して、プロ野球ファンからずいぶんたたかれたそうですが、僕はダルビッシュの意見は正しいと思うし、むしろ大谷のことをマジで心配していると思う。ダルビッシュは、大谷にメジャーではピッチャーになることを強く勧めていたのですね。大谷がメジャーでピッチャーになったら、ダルビッシュの記録が大谷に塗り替えられる可能性がある。自分の存在が大谷によってかすんでしまうかもしれないのに、それを承知の上でピッチャーを勧めるのですから、ダルビッシュはすごいなって。

ちなみに二刀流といえば大谷が最初ではありません。あのベーブ・ルースがはじめはピッチャーとバッターの二刀流だったのです。ベーブが二刀流をしたのは1917年と1918年の二年間。その成績は以下の通り。もし、ベーブがずっと二刀流をやっていたら、打者としてあれほどの成績を残せなかったと思います。

1917年 24勝13敗・防御率2.01、6完封。 打者の成績 打率.325
1918年 13勝7敗・防御率2.22。11本塁打






1 教育勅語とは程遠い、こどもたちのいじめ
藤子・A・不二雄の「少年時代」を読了しました。さすが巨匠の漫画。ぐんぐん引き込まれましたね。藤子・A・不二雄といえば「まんが道」をよんだことがあり、僕も子供のころに読んで感動しましたが、「少年時代」は本当に引き込まれました。この漫画のテーマはずばり、いじめです。

いじめといえば、戦後のイメージがありますが、実は戦前・戦時中からありました。戦前からいじめがあったという話は僕のブログでも以前に触れましたが、いじめの問題は根が深いものです。よく戦前は「教育勅語」があったから質実剛健なこどもばかりだったといいますが、それははっきりって嘘。「少年時代」を読み返せば読み返すほど、「教育勅語」とは程遠い子供たちの姿が浮かびます。

教育勅語には「朋友の信」−友人はお互いに信じあって付き合おう。ってありますが、「少年時代」に出てくる子供たちは、陰湿ないじめと、ガキ大将の恐怖政治におびえる子供たちの姿だけです。あと藤子・F・不二雄の「エスパー魔美」にも疎開先でいじめにあったって話がでてきますし。何言ってるんだ!、そんなの漫画の話だけだ!なんて怒る人もいるでしょう。確かに、そういう子供たちばかりではなかったこと思います。けれど、そうした話は全くなかったとは言えないし、僕は「少年時代」のような話はむしろ珍しいことではなかったと思います。

この漫画の主人公は風間進一という生まれも育ちも東京の少年。空襲がひどくなったので、富山県に疎開をするのです。そこで進一少年が出会ったのがタケシというガキ大将。このタケシという少年が、この「少年時代」のもう一人の主人公ともいえる人物でもあり、進一少年を苦しませ続けるのです。このタケシがどんな少年かというと。


  • 成績も優秀、字もうまいし、運動神経もよい。村の人から信頼されている

  • 大人顔負けの筋肉質な体つき。だから力も強いし、ケンカも強い

  • はじめは進一にスイカをくれたり優しい

  • 東京から来たばかりの進一にからむ、村のいじめっ子から守ってくれる

  • しかし、学校ではまさにお山の大将であり、暴君。進一に対してもなぜか冷たい態度をとる

  • 時に、進一に対しても取り巻きを使って意地悪なこともする

  • いつも取り巻き連中をつるんでいるが、一方で陰では疎まれており、取り巻き連中もタケシからリーダーの座を奪おうと虎視眈々と狙っている
  • いわば、『ドラえもん』のジャイアンと出木杉を足して二で割ったような人





2 ケンカは強いが実は気が弱いタケシ
 タケシは学校で強権的な態度をとるのでしょう?おそらくタケシは怖いのだと思う。自分がガキ大将でいられなくなるが。実は臆病なんでしょうね。だから彼は徒党を組みたがり、ときに強権的な態度をとる。

本当に強い人は徒党なんて組まないし、わりとひょうひょうとしていて、自分の強さを見せつけない。無駄にケンカなんかもしないのですね。そして、普段は何も言わないけれど、ここぞって時にビシッと言う。まるで「白い巨塔」にでてくる大河内教授のよう。


また、タケシはなぜ進一と学校では距離を置いているのでしょうか。それは、下手に東京もんの進一をひいきすると、タケシの地位が危うくなるからだと思います。それでなくても進一のことを快く思わない人間のほうが多い。新参ものでしかも東京もんの進一をひいきすれば、たちまち取り巻き連中の反感を買い、あっという間に取り巻きたちのクーデターが起こってしまう。それをタケシは恐れたのでしょう。

タケシは本音では進一とマジで仲良くしたかったのだと思います。しかし、学校というある種の公共の社会においては、素の自分を押し殺している。プライベートではいいヒトで家族思いだが、会社では、まさにブラック企業の社長で、いつも部下を怒鳴っている、そんな感じでしょうか。

一方で、「少年時代」の中でも担任の先生が、進一に「ともだちになることと子分になるということは違うんだよ」って警告するのですね。タケシが進一に親切にするのは自分の家来にするためという計算もあったのかもしれない。

では、タケシは恐怖ではなく、もっと子分に優しく、親切にすればよかったのではないか。けれど、タケシにはそれができなかったのですね。それをやれば、子分どもは自分をなめてくるのだとタケシは思ったのでしょうね。人望を集めるよりも恐怖政治を強いて自分に従わせようとしたのでしょうね。それをやればやるほど子分からの反感を買い悪循環なのに。

ましてタケシの取り巻き連中は性格が悪いのが多い。だからこそ、タケシも下手に子分たちを甘やかしたらつけあがると思い込んだのでしょうね。性格の悪い連中を抑えるには自分が悪者になるしかないとタケシなりの正義感でもあり責任感でもあったのかもしれないけれど。


3 タケシのようなリーダーが日本をだめにする?
 「少年時代」は、タケシは戦前の日本の象徴で、主人公の進一が戦後民主主義の象徴のようだと語られることが多いです。しかし、タケシのようなリーダーは戦後になっても幅を利かせていました。タケシは行動力もあるので、高度成長期まではむしろ必要な存在でした。自分が悪者になってでも、ぐいぐい引っ張ってくれるリーダーのほうがありがたかったのです。いまでも年配の方はタケシのようなリーダーが必要だと思うでしょう。

しかし、グローバル化がすすんだ現代では、こういうタイプは足かせ、下手すりゃ害悪になります。こういうタイプがリーダーだと若者は委縮して、思う存分能力を発揮できないでしょう。中には、タケシみたいなリーダーが嫌で海外に活路を見出す若者もでてくるでしょう。そうなれば、ますます日本はタケシとその取り巻き連中みたいな人間ばかりが残る


ところが、現実の社会、特に今の政治家は高度成長期のやり方が今でも通用すると思い込んでいる人間が多すぎます。困ったことに自民党どころか、野党もそんな議員さんが多い。まして、戦前のような日本を目指したら、日本はナンバーワンになるどころか世界から孤立しそうな気がします。




エスパー魔美(1) (てんとう虫コミックス)
藤子・F・不二雄
小学館
2017-02-28



白い巨塔(一〜五) 合本版
山崎 豊子
新潮社
2015-03-20


ネットで、御用ジャーナリストがちょくちょく批判されます。特に安倍政権のころは、アベ友なんて批判されましたっけ。彼らはおそらく自らの信念でアベさんなり権力者を擁護したわけじゃないと思います。そういう人もいるけれど少数派でしょう。言論人という職業は失礼ながら農家の人や漁師さんみたいに生産手段をもちません。大工や料理人のように手に職もなければ、商才だって失礼ながらない。そういう人たちが食っていくにはどうしたらよいのか。良い文章をかけばいい?

いやいや、そんな甘いもんじゃない。いい文章を書いたからと言ってすぐに売れるとは限らない。これは文章というより芸術の話なのですが、鼻歌まじりで描いた絵でも傑作は傑作、心血を注いで描いたものでも駄作は駄作。これは藤子F不二雄の「エスパー魔美」に出てくるセリフです。その点は芸術も文筆業も同じだと思います。宮沢賢治だって、生前彼を評価したのは一部の人たちだけで、実際に売れたのは亡くなってからですし。宮沢賢治はまだいいほうで、素晴らしい文章を書きながら、世に知れずそのまま亡くなった人だっていると思います。鼻歌交じりでかいた小説がヒットすることだってあるし、下手すりゃ盗作でも売れたらOK。

だから、筆ひとつで食っていくのはとても大変なのです。宮沢賢治のように実家が金持ちだったり、森鴎外や手塚治虫のように本職が医者だったら、食うに困ることはないと思いますが。そうした人たちが手っ取り早く、お金を得るには。権力に媚びるしかないのです。


戦時中、言論人や文化人で戦争に反対する人間には仕事がもらえなかったといいます。一方のアメリカは戦争に反対する人間でも、何とか飯は食えたといいます。そんな話を市川房江さんをされて嘆いていたっけ。逆に戦争を賛美したり政府をマンセーするような言論人はウハウハだったといいます。代表的なのは火野葦平ひのあしへい。火野葦平は戦後、自らの戦争責任を悔い自殺をするのですが・・・・ちなみに俳優の火野正平という方がいて、間違いやすいですが、まったく二人は血縁関係などなく、赤の他人同士です。

火野は中国の戦地に赴き、戦争マンセーの小説を書いたのです。それが彼の代表作『麦と兵隊』。火野は「愛する祖国の万歳を声の続く限り絶叫して死にたいと思った」と書いたほど。まさに今でいうウヨ作家。火野の成功を受けて結成されたのが従軍ペン部隊。林芙美子ら人気作家が名を連ねておりました。これは中国の戦地に赴いては、日本軍のちょうちん記事とか文章を書いていたのです。戦争で仕事が減っていた作家たちにとって、これはありがたい話だったのです。ペン部隊の作家たちは国から支度金として国から700円、今の価値でおよそ200万円支給されたというから驚きですね。危険な戦地に行くとは言え、戦争マンセー記事や小説を書いただけで200万もらえたのです。お金だけでなく、御用記事や小説を書けば、すぐ雑誌に掲載される。そうなれば知名度も上がる。全く無名の小説家がずっと筆一本で食っていくのは困難だが、一度、名が知れれば、OK。金と名声を得るために彼らは軍部に協力したと。悪く言えば軍部を利用したと。。だから軍部が戦争に負けてしまったら、手のひらを返すように軍部批判し出すのです。そりゃそうです。元々、政府や軍部に心から忠誠を誓っていた人間なんて、少なくとも当時の御用作家にはいなかった。

麦と兵隊・土と兵隊 (角川文庫)
火野 葦平
KADOKAWA
2021-02-25



そういえば、9・11以降、アメリカは異様な雰囲気で、イスラムやアルカイダを戦争でぶっ潰せみたいな雰囲気だったそうですが、そんな中でもマイケル・ムーア監督はブッシュ大統領を批判し、戦争の愚かさを言い続けましたが、それで彼が干されることはなかったもんなあ。かたや日本は、落語家の桂歌丸が笑点で政治家の批判をたびたび繰り返したら、ある政治家から「あんまり批判するな」みたいに圧をかけられたといいますからね、民主主義の今でもこの調子だから、戦時中なんてもっとでしょう。

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