history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

DSC_2159


福島県の奥会津に、沼沢湖ぬまざわこという湖があります。この湖には昔大蛇がいたというのです!

なんでも、この大蛇は髪の長さが2丈(約6メートル)もある若い美女に化けては、人を惑わせたり襲ったりし、近隣きんりんの村人たちから恐れられていたそうです。しかも、大蛇は鉄砲で撃たれても死ななかったともいわれるから怖いですね〜こんなのがいきなり湖から出てきたら僕なんか一目散に逃げますね。

さて、鎌倉時代になって、この大蛇を退治しようとする人が現れました。当時の領主・佐原義連(さわら よしつら)は、村人の恐れるこの大蛇を退治するため、家来50〜60人(12人という説もあり)を率いて船やイカダで沼に進みました。

義連たちが「おい!、大蛇よ出てこい!おれが退治してやる!退治してお前をスパゲティにしてやる(とういか蛇のスパゲティなんて食いたくねえw)」みたいな言葉をいうと、空が黒くくもり雷までなったといいます。

そして湖の中から大入道があらわれました。大入道とは体の大きなバケモノです。義連たちは「こいつこそ大蛇の化身だ!」と立ち向かいました。けれど荒れ狂う波に船がゆれて自由に戦うことができません。そして義連たちは大入道もろとも、沼の底へと呑み込まれてしまいました。

やがて荒波と共に、大蛇が苦しみつつ姿を現したのです。義連たちは家来たちもろとも大蛇に飲み込まれながらも、刀で大蛇の腹をりさいて脱出したのだのです。本来なら蛇の腹の中の猛毒で命を落とすはずだったのですが、義連のカブトにぬい付けられていた金の観音菩薩が蛇の毒から身をまもってくれたのです。

こうして大蛇は退治され、義連はその頭を斬り落として土に埋めました。その後も大蛇の怨念おんねんは地の底からはたを織るような音をさせたので、たたりをしずめるため、人々は神社を建てて大蛇をまつったといいます。実は僕もこの神社に訪れてました。けっこう不便なところにある神社なのに、神社の境内はキレイになっておりました。おそらく地元の方々がこの神社を大事にしているのだなって感心しました。また、そんな恐ろしい蛇をまつっている神社だからもっと不気味な感じのする神社かと思っていたのですが、訪れてみたらなんとも清らかな感じのする神社で、逆に僕は清々しました。

この沼沢湖にいくには会津から只見線ただみせんという電車に乗り、早戸はやと駅から車で10分です。ちなみに僕は早戸駅の先の会津川口駅まで行き、そこから下車してタクシーを呼んで沼沢湖にいきました。

この沼沢湖の伝説にはもとになった話があると僕は考えているのですが、その辺のお話は次回にお話しします。その話は、東日本大震災と伴っておきた原発事故とも通じるお話です。

DSC_2158
DSC_2157




※ おまけ 
沼沢湖で毎年行われる大蛇祭りの動画です。この祭りに出てくる大蛇は蛇というより竜、まるで竜神様のようです。昔は悪いことをしたかもしれないけれど、今は改心して地元の人たちを守る神様になったように僕には思えます。


本題に入る前に、羽生結弦選手の動画をご紹介します。



すごいですねえ〜。羽生選手の演技は本当に美しい。あと羽生弓弦選手といえばおととしの紅白歌合戦の審査員をつとめ、「千本桜」を口ずさんでいたのも印象的でした。ボカロが好きだとは羽生選手も今時の若者だなってなんとなく親しみが持てました。

さて、羽生選手は宮城は仙台のご出身。震災の時、羽生一家は避難所での生活を余儀なくされ、家族4人で1つのおにぎりをほおばっていたそうです。当時16歳だった羽生選手はこんな状況で自分はフィギュアを続けていいのかと悩んだとか。2011年以降、羽生選手の頭から震災のことが離れたことはないそうです。ある時羽生選手はエキシビションの曲目に「天と地のレクイエム」を選んだそうです。これは震災の鎮魂歌としてこの曲を選んだといいます。

羽生選手だけでなく、2006年のトリノオリンピックで金メダルをとった荒川静香選手も幼いころから仙台で過ごしたといいます。(もっとも荒川選手は東京のご出身)

このように仙台市はフィギアスケートが盛んな土地なのです。実は仙台市は日本のフィギアスケート発祥の地でもあるのですね。仙台の歴史というと僕はつい伊達政宗にまつわる話ばかりしてしまいますがw、調べてみますと仙台もいろいろな歴史があるのですよ。

仙台城跡に整備された青葉山公園内に五色沼という沼があります。仙台城の堀の一部としてつくられた五色沼こそが、実は日本ではじめてフィギアスケートが行われた場所だといわれております。

明治時代末に、アメリカ人宣教師が、冬に水面が凍った五色沼でフィギアスケートを楽しんでいました。その様子を見た旧制二高(現在の東北大学の前身校の一つ)の生徒たちが「俺たちもあんな風にすべりたいな」と思うようになったのです。生徒たちは学校でドイツ語を教えているウェルヘル氏に滑り方をならい、五色沼で滑り始めました。

その旧制二高の学生のメンバーに、のちに日本スケート界の指導者として大きな功績をのこす田代三郎や佐藤幸三、「日本スケート会」を設立した川久保子朗しろうらがいました。

彼らは滑り方や、スケート靴も独自に工夫し、スケートを発展させていきました。また、彼らは遠方にまで滑りに行き、各地にスケートを広めていきました。

そして、1931年(昭和6年)には、五色沼でフィギアスケート選手権が行われました。五色沼はこれほど由緒あるスケート場だったのですが、いまでは五色沼は現在はまったくスケート場として使われておりません。

なぜでしょう?


それはずばり温暖化です。温暖化のために五色沼で厚い氷が張らなくなったのです。凍ったとしても薄い氷しかはらないため、五色沼ではスケートなんてできっこないのです。残念な話です。ちなみに、五色沼に荒川静香・羽生結弦両選手のモニュメントが設置されたそうです。


(現代の五色沼の様子)

※ 参考文献および参考サイト


http://www.news-postseven.com/archives/20151218_371477.html?PAGE=2



1 慶長遣欧使節団
今日も伊達政宗に関連するお話をしますwだって仙台を語るうえで伊達政宗は欠かせない人物ですから。さて、伊達政宗は1613年(慶長18年)に藩士・支倉常長はせくらつねながらをメキシコ、スペイン、ローマに派遣しております。一行は支倉たち仙台藩士だけでなく、江戸幕府関係者、各地の商人、フランシスコ会の宣教師など計180名で参加しました。その目的はスペインとの通商交渉(※1)でした。

支倉の使節団は1613年から、1620年(元和げんな6年)まで7年間続きました。これがいわゆる帝国華撃団じゃなかったw慶長遣欧使節団です。

一行は1613年10月月浦(現石巻市)を出帆しゅっぱんし、約90日後にメキシコに上陸。その後、陸路で大西洋側まで進み船を乗り換えスペインへ向かいました。1615年、スペインはマドリードの王宮で国王フェリペ3世に謁見えっけんを果たしました。しかし、通商に関してはフェリペ3世から「すぐには返事ができない」という感じでした。それから常長は翌年ローマに向かい、ローマ教皇パウロ5世に謁見します。ローマ法王にあった後常長はふたたびフェリペ3世に会いますが、交渉は進まず。

2 大変な思いをしたけれど・・・
 しかも悪いことに、この時すでに日本国内ではキリスト教の弾圧が始まっており、そのこともあって通商交渉は成功することはなかったのです。常長は数年間のヨーロッパ滞在の後、元和6年8月24日(1620年9月20日)に帰国しました。

こうしてはるばるローマまで往復した常長でしたが、その交渉は成功せず、そればかりか帰国時には日本ではすでに禁教令が出されていました。そして、1621年に失意のうちに死去したのです。

海外に行くというと今の感覚でも大変かもしれませんが、昔は交通手段も船くらいしかなかったので、今よりももっと大変だったと思います。そんな命がけの旅をしたのに関わらず、交渉も成功しなかったのですから、常長は気の毒だなと思います。しかし、彼が命がけではるばるヨーロッパまで行ったことは大変大きなことだと思います。

世の中は結果がすべてで、そこに至る努力だとか情熱といったプロセスは見てもらえないことが多々ありますが、少なくとも常長の行ったことは評価どころか日本人として誇りに思ってよいと思います。支倉はそれだけの偉業を成し遂げたのですから。

3 サン・ファン・バウティスタ号
 さて、支倉達一行が乗った船はサン・ファン・バウティスタ号。この船は日本初の西洋型木造帆船だそうです。この船をつくるのに仙台藩の人だけでなく、なんと幕府の人までかかわっておりました。造船にあたっての総監督は徳川幕府初代スペイン使節のセバスチャン・ビスカイノ。幕府からも船大工さんが派遣されました。ビスカイノの指導のもと、造船工約800人、鍛冶工約700人、大工役3000人という大がかりな造船作業でした。それに伴い女、子供たちも働いたので、経済効果もあったようです。

船をつくるのに用いられた木材は、気仙けせん磐井いわい江刺えさしなど各郡から調達されました。

当時のスペインでは同じような船をつくるのい二年ほどかかったようですが、サンファン号は、45日で作られました。大人数で作ったとはいえ、日本の技術に驚かされます。


※1  外国と商取引をすること。交易。貿易。「条約を結んで外国と―する

※ おまけ

サン・ファン・バウティスタ号の復元船は、震災による津波で被害を受けましたが、2013年にサン・ファン・バウティスタ号は復活しました。



※ 参考文献
宮城県の歴史散歩
山川出版社
2007-07-01




このページのトップヘ