history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

前回の記事で名士会について書かせてもらいましたが、きょうは三部会について。三部会とはいまの国会みたいなものです。三部会は1614年以来ずっと開かれていなかったのでが、ルイ16世は国民の要求に応じて1789年5月5日に開きました。実に100年以上も開かれていなかったのです。フランス全土で議会の代表を選ぶ選挙戦が開かれました。貴族たちが、三部会のテーマは税制問題と貴族たちの特権についてでした。

三部会では第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、そして第三身分(平民)の3つの身分からそれぞれ、議員が選ばれました。議員の数は1200名。そのうち第一身分が約300名、第二身分が約300名、そして第三身分が600人の議員がいました。その第三身分の600人の中に、ミラボーやロベスピエールといった革命の有力者がいました。

単純な多数決だと、第一身分+第二身分の総人数約600人に対して、第三身分が600人ほどだから拮抗しております。しかし、その採決方法が問題がありました。

↓に図をまとめましたので、ご覧になってください。画面がスクロールします。また75パーセントとかかれているところをクリックすると倍率をあげて、画面を大きくすることもできます。

   
(三部会 説明の図)

三部会の採決の仕方について三部会はもめたのです。第三身分は、単純な多数決による議員別採決を主張しました。議員の数だったら第一身分+第二身分の600名、第三身分の600名で同等です。それで第一身分や第二身分にも平民に同情的だったり、貴族の特権に批判的な人もいるので、そういう人たちを味方につければ、第三身分側が有利になります。

しかし、第二身分などの特権身分は身分別採決を主張しました。これは、議員の数でではなく、第三身分が600人いようが、1000人いようが、票の数は一票とカウント。そうなると、第一身分+第二身分で二票、第三身分一票で、身分別採決では第三身分は不利です。これには第三身分の人たちは怒り出しますそれからどうなったかは次回の記事でご説明します。

※ 参考文献




きょうの記事はながいです。

1 火の車だった財政
前回の記事で「アンシャンレジーム」を取り上げました。前回の記事でもかきましたが、フランスは大きく3つの身分に分かれていて、特に第三身分とよばれる平民たちは税金に苦しめられ、大変な思いをしてきたのです。一方の貴族や僧侶は税金も免れたし、王族は贅沢をしていたのです。

ルイ16世の2代前のルイ14世の時代は、豪華なベルサイユ宮殿をつくるなど、お金もじゃぶじゃぶ使ったのです。その次のルイ15世も贅沢をしていました。ルイ16世は、先代と先々代ほどではないが、華やかな宮廷生活をおくっていたようです。

ルイ15世の代はポーランド継承戦争やオーストリア継承戦争といった対外戦争をくりかえし、さらにルイ16世の代になりアメリカ独立戦争を支援しました。そのため財政は悪化していきました。

ルイ16世は財政赤字を改善するために、チュルゴーという人物を財務総監に登用しました。チュルゴーの財政改革の柱は大きく分けて以下の3つ。

  1. 宮廷費の削減(チュルゴーは自らの年俸を下げて、節約に取り組んだ)


  2. ギルト、親方制、地方関税の廃止(農業、工業、商業生産を高め、物品の自由な流通を促進


  3. 身分による特権の廃止(特権階級にも税金を課そうとした)


しかし、これには特権階級も猛反発。とくに貴族の特権に手を付けたことがまずかった。結局チュルゴーは解任されてしまいます。もし財務総監がチュルゴーではなく小泉純一郎元総理だったら、きっと特権階級を抵抗勢力と名指しで批判し、刺客を送り込んで、貴族議員を落選に追いやったかもわかりません。

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(チュルゴーの肖像画。彼はフランス革命の始まりを見ることなく亡くなっています)

改革は進まず赤字はふくらむばかり。革命が勃発する1789年には累積赤字なんと約50億リーブルに達していたといいます。

財政赤字を改善させるにはどうするか?結局、税金をアップさせるしかないのです。それで苦しんだのは農民たち。18世紀には各地で蜂起を繰り返していたといいます。税金は上がる一方だし、食糧もおりからの飢饉などが重なり食糧不足になったのです。

2 啓蒙思想
 しかし、いくら農民たちが暴れても、それで革命が起こるわけじゃありませんん。革命を成功させるには強力なリーダーと、その革命を成功させる思想みたいなものが必要です。日本の明治維新が成功したのは、やはり薩長土肥が中心となり、尊王攘夷というスローガンを掲げて幕府に挑んだことも大きいです。

フランス革命の場合は、前回の記事でも取り上げたブルジョワ層がリーダーシップをとり革命を導いたのです。ブルジョワ層が思想的よりどころにしたのは、啓蒙思想です。とくにフランス革命で大きな影響を与えたのがルソーの「社会契約論」。彼は「生まれながらに自由な人間が、自ら作り出した文化や社会のために自由を失っている」と考えました。自由で平等な社会を作ろう、個人個人が主権者になろう、政治を王様から国民の手に取り戻そうという「主権在民」の思想です。



あと、専制政治を批判し、三権分立を主張したモンテスキューの「法の精神」も忘れてはなりません。

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(ルソーの肖像画)

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(モンテスキューの肖像画)

そうした、啓蒙思想が広まり、国王の批判も堂々と行われるという風潮も生まれました。サロンや居酒屋で行われた政治談議の内容が、当時、整備された道路網、そして新聞や本を通じて各地にもたらされました。


3 貴族の反発 名士会開催

 チュルゴー失脚後、財務総監が変わりましたが、財政赤字はまるで改善されません。ちぇるごーの後任の財務総監も貴族たちにも重い税金をかけようとしたのですが、ロイヤルニートの貴族たちは「冗談じゃねえっ!」て。

ルイ16世は時の財務総監カロンヌと相談して1787年に「名士会議」というものを開いたのです。この会議のテーマはもちろん税制改革です。ルイ16世達も大して働かない貴族たちがのほほんと特権にしがみついている姿を看過できなかったのです。

しかし、貴族たちは、特権階級の課税を拒否。ルイ16世はダメな王様のイメージがありますが、実はそうでもなかったのです。国民のことを非常に考えていて、貧しい国民を救おうと本気で思っていたのです。しかし、国王の理想は当時の貴族たちには全く理解できませんでした。当時の貴族たちは利己心のかたまりでした。こうした貴族の身勝手さや悪意をルイ16世は計算できなかったのです。本当に当時の貴族たちはワルですね。今の日本の悪徳官僚や政治家みたいw

ルイ16世は人が良く、いわゆる性善説論者だったのでしょうね。だから人間の悪い面をみれなかった。政治家は人が好いだけではダメってことでしょうね。また、いくら素晴らしい理想や政策をもった政治家が現れても、それに大勢の人が賛同してくれないと、その政治家は実力を発揮できないまま失脚する羽目になるのですね。

そして、貴族たちは「税制問題は三部会をひらけ」と言い出すのです。その三部会のお話はまた次回に。


※ 参考文献



きょうの記事は長いです。

1 アンシャンレジーム

 むかしドラマ「女王の教室」ってありましたね。オニ教師が「この国は勝ち組が一生楽しく暮らせるようにできているの。あなたちはずっと愚かでいてくれたほうがいいの。」というセリフがあります。平成の日本を皮肉ったセリフですが、フランス革命のころのフランス社会はまさにオニ教師の言っていた社会そのものでした。

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フランス革命がなぜ起こったかといえば、それは当時のフランスが超がつくほどの格差社会で、一般国民の不満が高まったからです。今では考えられないことですが、当時のフランスは身分差別がありました。まず、当時のフランスは絶対王政で、王様が一番偉いという時代でした。その王の下に大きく分けて三つの身分がありました。いわゆるアンシャンレジームと呼ばれています。



第一身分が聖職者いわゆる神父さんとか教会で働いている人たち、第二身分が貴族、そして第三身分が平民でした。聖職者と貴族は税金が免除されておりましたが、第三身分の平民だけは重い税金を課されていました。ちなみに、第三身分つまり平民の数はフランス全国民のおよそ98パーセントに対し、残りの2パーセントがそれ以外でした。



そして貴族の多くが、自分の領地をもっており、貴族は領主として、農民から年貢を徴収したり、商品の生産や流通にも重い税金を課していたのです。貴族はそれだけ良い思いをしていたのです。平民は、重い税金をかけれれていたのです。それだけでなく、第三身分の人たちは、特に貴族たちからバカにされたり、見下されたりと人間としての尊厳を傷つけられたのです。



また、三部会とよばれる議会がありまして、第一身分、第二身分、第三身分のそれぞれが話し合います。しかし話し合いとは建前で、身分別の多数決をとっていました。第一身分、第二身分、第三身分、それぞれ議員が300名ずついましたが、単純な議員による多数決ではないのです。



まず各身分ごおと(300票)で個別に多数決採決をおこない、一票でも多い意見が「その身分の総意」とされます。たとえば、税金を安くしようという案がでて、第一身分の300票のうち149票賛成意見があっても、151票の反対意見があれば、そんなわずかな差であっても第一身分は税金を安くすることに反対だということになるのです。そうして各身分ごとに一票が与えられ、最終的に3票で採決される「身分別議決方式」です。だから、貴族の特権を廃止しようという意見に第三身分が賛成しても、第二身分と第一身分が反対すれば、1対2で、貴族の特権廃止案は廃案になるわけです。



2 ブルジョワ

 また、第三民分も一枚岩ではなく、第三民分にも富める者と貧しいものがはっきり分かれておりました。たとえば、都市部ではブルジョワという層がでてきました。もともとは町人という意味でしたが、彼らは貿易業者や金融業者、富裕な商工業者、弁護士や医師、文筆家、かなりの職人を使う親方など、豊かで教養もある人たちでした。特に弁護士はブルジョワの中でも、知識が豊富で、当時はやっていた啓蒙思想(※1)の影響を強く受けておりました。

のちに革命の中心人物となるロベスピエールも弁護士でした。そのブルジョワの中核をなす商工業者は、かなりの労働者や職人をやとっており、いわば資本主義マンセーの人たち。今でいえばホリエモンみたいな人たちです。


資本主義の発展に必要な条件は、財産などの所有権の保護、自由な商売のやり取りができることです。要するにブルジョワが求めるものは、自由、所有、権利の平等でした。ところが、革命前のフランスは、商売をするにしても、高い税金を払わなくてはいけません。それで貴族は税金を払わず、ろくに働かないでブイブイやっている。

ブルジョワにとって、これは面白くありません。ブルジョワたちが革命に身を投じるのも自由な経済活動を求めるためでした。ブルジョワにとって貴族たちは敵でしかありません。そんな貴族がのさばるような社会をぶち壊し、俺たちが権力を握るとおもうのは自然な流れだったのです。

でも、ブルジョワといわれた人々は本当にごく一部。ほとんどの人は貧しい人たちでした。下っ端の職人、小さなお店の店主、メイド、ホームレスなどなど。都市部の人たちの最大の関心ごとは「その日のパンをいかにして確保するか」でした。


工場で働いている人たちは一日に16時間働きましたが、年収は400〜700リーブル。これは日本円になおすと、だいたい40万〜70万くらいだそうです。これは大変なことです。いま日本では年収100万円でさえ大変だというのに。この時代のフランスには平成の日本みたいに100円ショップも業務用スーパーもありませんし。ましてや1789年には凶作でパンが高騰したといいます。給与生活者の家庭では支出の88パーセントをパン代に充てられたというからオドロキです。。なおさら当時のフランスの一般ピープルは大変だったことがうかがえます。

ただでさえ、パンが高くて大変なのにこれ以上パンの値上げなんてとんでもない話で、物価の統制(物価が上がらないように抑える)をしてほしいのです。

3 農村でも格差が

 都市部だけでなく、農村でも、勝ち組の農民と貧しい農民の差がありました。勝ち組の農民は、貴族や領主から広い農場を借地して経営し、住み込みの作男や日雇いの労働者を雇っていたといいます。当然、こういう勝ち組の農民は第三身分でありながら、第一身分の聖職者や第二身分の貴族の人たちとつるんでいたといいます。だから、同じ第三身分でありながら、貧乏な農民とは距離、あるいは対立さえしていたそうです。

貧しい農民はわずかな土地しか持てないから、とても一家を養うほどの作物はとれません。自給自足なんて夢のまた夢。年貢も納めなければいけないし、貴族のために賦役ふえき労働もしなければいけないのです。え?賦役労働って何かって?僕も説明せよといわれると困るけれど、道路工事などの重労働をタダ働きさせられたといったところでしょうか。

年貢プラス税金もいろいろとられたそうです。国家には「人頭税じんとうぜい」、教会には「十分の一税」納めなければいけません。それだけ取られた手取りが全収入の10パーセントくらいしかないなんて人もいたそうです。それではほとんど生活なんてできません。


だから、貧しい農民たちはもっと広い土地が欲しいと願うのは自然の流れでした。貧しい人たちにとっても、いまの体制が続くことは非常に良くないことなのです。

4 あまりにも貧しい人が多すぎた
 このように、都市部でも農村でも食べ物に困っている人がたくさんいたのです。革命が起きた時、大勢の死者がでました。そのとき身ぐるみはがされた死者が放置されていたといいます。それは、貧しい人たちが、死人がはいているクツ下や着ている服を盗ったからです。それくらい、当時の人たちは着る者にも困っていたのです。服なんて高くて貧しい人たちには買えないものでした。ユニクロもしまむらもなかった時代でしたから。ぼろは着てでも心はにしきといいますが、少しでもいい服を着たいと思うのが人情でしょう。

また、6、7歳から働いて金を稼ぐのは少しも珍しいことではありませんでした。いまの日本では考えられないことです。教育を受けられるのはごく一部の恵まれた子供たちだけ。学校など一度も言ったことがないという人がほとんどでした。

だから自分の名前が書ける人はフランスの全人口の3分の1程度でした。役所や教会などでどうしても署名しなければならないときは〇か×ですましていたそうです。また、教育があれば、国王や貴族たちが理不尽なことをしても、それに逆らう知恵も勇気もわくし、国王たちや勝ち組たちのやっていることの矛盾にも気づくことができます。しかし教育がないと国王たちがアホなことをやっても、ただブーブー文句を言いながら従うだけなのです。

そう考えると学校で教育を受けられるのはありがたいことなんですね。もっとも、いじめがひどいとか、バカな先生が体罰をやりまくっているとかだと話は違ってきますが。

また、赤ちゃんやおさない子供たちの死亡率も異常に高かったのです。一般国民の平均寿命も30歳だというから、いかに当時の人たちが明日の食べ物にも困り、栄養失調になったり、お金もないから医者にもろくにかかれなかった人が多かったことがうかがえます。

5 ブルジョワ層との一般ピープルとの認識のズレ
 このように貧しい人が多かった一方で、おなじ第三身分でもブルジョワは食べものにはさほど困っていません。むしろ、貧しい人たちが要求する、パンなどの生活必需品を安くしろだの、物価を統制しろだの、もっと広い土地をよこせなどは、ブルジョワ層にとってはあまりありがたい話ではないようです。

本来、ブルジョワと貧しい人たちの利害は一致しないのです。ブルジョワは今でいえば、資本主義をバンバン推し進めてほしい側。でも資本主義がどんどん進めば貧しい人たちはますます貧乏になります。それはいまの日本やアメリカをみればわかること。

パンが値上がりしたり、これ以上自分たちの土地が狭くなったら困るのです。それが、革命の時にブルジョワも一般ピープルも力を合わせるのです。国王という共通の敵がいるから。「ドラゴンボール」に例えれば、それまで敵同士だった悟空とベジータが、フリーザという共通の敵を倒すために力を合わせるようなもの。でも、共通の敵が倒れると、ブルジョワと貧しい人たちの対立は深まるのですが、それはのちにお話しします。







※1 非常に乱暴ないいかたをすれば、無知で愚かな大衆に知識を与え、目をひらかせようとする思想


※ 参考文献




















きょうから数回にわけてフランス革命のお話をします。フランス革命というと、マリー・アントワネットの悲劇やギロチンを僕は連想してしまいますが、この革命はフランスの歴史においても、世界の歴史においても大きな影響をおよぼしました。いまの日本国憲法の条項のひとつに「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(25条)があります。国民の生存権の保障を明記したこの条項はフランス革命の理念を受け継いでおります。

フランス革命以前は、王様や貴族が偉くて、一般国民は虫けら当然みたいな存在で、国民が貧乏だろうが、のたれ死のうが「そんなの関係ねえ」の世界だったのです。それが人々の生存権こそがあらゆる権利の中で優先すべきだと主張したのは、フランス革命のキーマンの一人、ロベスピエールでした。また、のちに「王様殺し」といわれてしまうサン・ジュストという人物は、1794年の国民公会における演説で次のように述べております。

「国家の中に、一人でも不幸な人や貧しい人がいるのを放置しておいてはならない。そういう人がいなくなった時に、はじめて、諸君は、革命をなしとげ、ほんとうの共和国を建設したことになるだろう。」

素晴らしい言葉だと思います。この世から不幸な人や貧しい人をなくしたいという理想は、宮澤賢治にも通じる境地です。しかし、ロベスピエールもサン・ジュストもそのプロセスがまずかったのです。この理想を急ピッチで実現させようとしたために、多くの人が犠牲になったのです。


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(ロベスピエールの肖像画。理想主義者でもありましたが、独裁者でもありました)

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(サン=ジュストの肖像画。イケメンですね。僕に似てるwその美貌と冷厳な革命活動ゆえに「革命の大天使」または「死の天使長」との異名がありました。)

フランス革命によってフランスは絶対王政から民主的な共和制が定着しましたが、その一方でマリー・アントワネットをはじめ多くの人が処刑をされてしまったり、のちにロベスピエールらがヒトラーばりの恐怖政治を敷いて、国民を不幸にしてしまったのです。いわばフランス革命は、自由や民主的な政治という理想を掲げ、のちの人たちにもよい影響を及ぼしたという一面がある一方で、多大な犠牲と、恐怖政治という負の一面もあるのです。

フランス革命はまさに歴史における劇薬のようなものです。そうそれは、抗がん剤のようなもの。抗がん剤は、がんを治療する薬ですが、その副作用は強く、正常な細胞も攻撃し、吐き気や貧血、脱毛、下手すりゃ患者を死に至らせることもあるのです。ちなみに最近亡くなられた樹木希林さんはガンに犯されましたが、抗がん剤による治療を拒否されたとのことです。

さて、フランスの国家「ラ・マルセイエーズ」という曲があります。オリンピックでフランスの選手が金メダルを取ったときに、流れるので、ご存知な方もいらっしゃると思います。この曲は、いい曲だと思うのですが、歌詞をみると大変血なまぐさいのです。自由のための戦いは良い戦いであり、革命に敵対するものを殺し尽くせというニュアンスが込められているのです。

日本では「君が代」が戦争を連想する歌だといわれておりますが、「君が代」なんてフランスの国歌に比べればかわいいものです。最近のフランスでは、こんな血なまぐさい歌は、いまのヨーロッパ連合(EU)の時代には国歌としてふさわしくないという意見が有力になるほど。



※参考文献





※ この記事はウィキペディアを参考にしてかきました。


<SP盤復刻>決定盤 初代 桂春団治 落語傑作集
桂春団治(初代)
コロムビアミュージックエンタテインメント
2009-08-05





きょうは大阪が舞台の歌です。浪花こおこの歌は都はるみと岡千秋さんのデュエットソングです。この曲の主人公は、桂春団治(初代)という漫才師と、その奥さんのお浜です。桂春団治は実在した人物です。昭和初期に有名な漫才師で、従来の古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた大胆な改作をはかり、天才的かつ巧みな話術で、爆笑王として人気を集めました。

当時の先端技術でもあったレコードに落語を吹き込んだことでも有名です。ただ、私生活が派手な人で、後家殺しとかいろいろ言われていたそうです。この歌にもあるように酒も飲んだし、女も泣かせました。借金もたくさんしたそうです。そんな彼の生きざまは伝説化し、脚色が加えられ、小説、演劇、歌謡曲などの題材となりました。




この曲には、お浜という女性しかでてきませんが、実在の春団治には二人奥さんがいました。一人目は東松トミ。二人目は岩井志うという女性でした。

トミは春団治が貧乏の極みにあったときも黙々と夫を支え、金銭感覚のない夫の代わりに内職で生計を立てていたそうです。後妻の志うは世間知らずな上に、完全に春団治にほれ切っていたため、そのばく大な資産を全て春団治に使い果たされても、文句も言わず、喜んで金銭を出してやっていた。一方の春団治も、周囲の者に志うのことを「御寮人さん」と呼ばせ、常に顔を立てていたそうです。

ともかくも、この春団治と志うの二人の間に夫婦の愛情があったことは疑い得ません。後年、志うは酒で身体を壊し晩年の春団治の看護ができなくなり、先妻トミと、トミと春団治の間にできた一人娘が看病していたそうです。志うは夫の死後、奈良県桜井市の親戚に引き取られ、翌年、その家の玄関脇の小部屋で寂しく世を去ったといいます。

最後に春団治の残した名言(迷言?)をご紹介します。


  • 名を上げるためには、法律に触れない限り、何でもやれ。芸者と駆け落ちなど、名を売るためには何べんやっても良い

  • 借金はせなあかん


  • 芸人は衣装を大切にせよ


  • 自分の金で酒呑むようでは芸人の恥


  • 使用人は時間に寝かさなあかん。弟子に時間は無し


  • 女は泣かしなや


春団治は噺家としてはすごかったけれど、家庭人としては?だったのだなあって,、というか人としてどうかなって彼のセリフをみても感じます。まあ、衣装を大切にせよだけは納得できますが。

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