history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、歴史を中心にいろいろ語ります。2020年3月より、過去記事の加筆修正も含め、リニューアルしました。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。




今日は、9・11です。考えてみれば、あの悲惨な事件からもう20年たっているのですね。月日の早さに驚いております。改めて亡くなられた方々に追悼の意を表します。

今日は、9・11のお話をしたいところですが、今日の本題は陰謀論インボウロンについてです。9・11の時も結構陰謀論が流行ったのですね。あの事件は巨大組織が関わっているってウワサされましたし。








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菅総理が、自民党の総裁選に出馬しないことで、次の自民党の総裁が誰になるか注目をされております。もうすぐ解散になるのではないかってウワサもあるようですが、いづれにせよ今年で衆院は任期満了になるので、どっちみち今年選挙になります。与党が議席を伸ばすか、それとも野党が伸ばすか。

選挙といえば、戦前は2大政党制で、保守系の民政党と政友会の争いでしたが、その中で無産政党も一定の支持を集めたのですね。

働いてている人の利害を代弁してくれる政党が無産政党です。日本で無産政党と言えば戦前の社会大衆党がそうでした。実は社会大衆党という政党が誕生する前にも労農党とか戦前の無産政党は、いくつもあったのですが、無産政党が離合集散リゴウシュウシュウサン(※1)を繰り返し、ややこしいのですね。今で言えば旧民主党が無くなってから、生活の党だとか、立憲民主党とか国民民主党とかややこしいですが、それと同じようなものですね。

無産政党の選挙の結果ですが、1928年2月20日は無産政党は8議席でした。ところが、2年後の1930年(昭和5)年2月の総選挙では、無産政党は5議席に減らすのですね。

普通選挙になり、労働者や農民でも(男性であれば)投票ができたのですが、労働者や農民の利害を代弁しているはずの無産政党が苦戦をしたのですね。彼らの多くは、無産政党ではなく、資本家や地主の政党である政友会や民政党に投票したのですね。無産政党に魅力を感じなかったのでしょう。

そうかと思うと、1936年に36年の総選挙では、ファッショ化の危機感のなかで無産政党は22議席を獲得したのですね。日本の右傾化に歯止めをかけて欲しいと無産政党に期待をかけたのですね。しかし、日中戦争以降、日本の無産政党の代表格の社会大衆党は軍部に接近するのですね。社会大衆党はやがて大政翼賛会に吸収されてしまいます。労働者の利害を代弁する無産政党が軍部に味方するのも変な話ですが、今まで左翼だったのが、突然に右翼や保守になる話は戦前からよくある話なんですね。実際、共産党員だった人が右翼に転向したケースはありました。

社会大衆党は、ファッショ化を防ぐどころか、ますますファッショ化を強めたのですね。保守系の政治家でさえ懐疑的に思った法案でさえ、あっさり賛成。斎藤隆夫(たかお)代議士除名問題で除名も当然社会大衆党は賛成。しかし、これには党内にも疑問の声が上がったのです。それで、社会大衆党の幹部は、斎藤隆夫除名に反対する安部委員長ら旧社民系代議士7名と水谷長三郎(みずたにちょうざぶろう)を党から除名したのですね。委員長でさえクビになるのだから押してしるべし。

さらに社会大衆党は同年7月6日近衛新体制運動に参加するため他の政党に先駆けて解党し、大政翼賛会に合流したのですね。

社会大衆党は旧社会党の前身の政党で、旧社会党でも、「平和を訴えるのなら戦争の総括をしよう」という意見もあったのですが、社会党の幹部が結構戦争に協力したこともあって、それもたち消えになったとか。実際、社会大衆党から社会党に行った議員で戦時中は戦争マンセーだったのに、戦後はコロリと変わって、「私ははじめから戦争に反対していた」と鮫島伝次郎のようなヤツもいました。

しかし、社会党の議員が皆が皆戦争責任から目を背けた訳ではないのです。

社会大衆党にいた河上丈太郎も戦争協力のことが問題になり公職追放になりました。そして、河上は公職追放が解除され、戦後の選挙に出馬した際、このように述べたと言います。

「私は長い追放生活を終えて、ようやくこうして諸君と相まみえることができるようになった。私の公職追放は、私がある団体に関与していたからである。私の真情をいえば、必ずしも進んでその団体に参加したわけではないが、今は多くを弁解しない。諸君の中に、私の戦時中の行動に批判を抱く人がいたら、どうか選挙を通じて厳正な批判を下していただきたい。また、この河上を許してくれる人は、河上一個人のためでなく日本社会党の前進のために御協力いただきたい」と演説して、自らの戦争責任を謝罪したそうです。

この選挙では、公職追放を解除された政治家が多く立候補したが、自らの戦争責任を認めたのは河上ただ一人であったと言われています。かっこいいですね。こういう人こそ選挙に出てきてほしいですね。



※1 離れ離れになったり、集まって再会したりすること。くっついたり離れたりすること。

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以前に歴史秘話ヒストリアを見ておどろいたのが、信長が意外とやさしいところがあった所です。信長といえばおこりっぽくて冷酷れいこくな人物なイメージが強いだけに、マジでおどろきでした。

ときたま、部下や女中にねぎらいの言葉をかけていたそうです。

また、こんな話もありました。

信長がある村へいった時、家も財産もなく、おまけに体が不自由な男性に出会いました。信長は自ら20反の木綿を用意し、他の村人達にこのようにいいました。「この木綿を売って彼に小屋を作ってやれ。えないように食べ物を分けあたえてくれれば自分はとてもうれしい」と。


それと、「世紀のワイドショー」という歴史番組で知ったのですが、信長は、気さくな面もあったそうです。女装をして領民といっしょにおどり、お返しの踊りをした領民には自ら茶をごちそうし「お前の踊りは良かったぞ」とねぎらいの言葉をかけたそう。信長のそんな応対に領民はカンゲキしてなみだを流したとか。
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今日は、歴史のお話は中断して、軽井沢にある喫茶店のご紹介を。2012年ごろに訪れました。
今はコロナで行けませんが、収まったら、また信州に行きたいです。

こちらのお店は外観がとてもしゃれているお店です。お庭もとても良いです。あいにく僕のカメラは一眼レフじゃないし、僕のカメラの腕も良くないので、僕が撮った写真ではお店の魅力がイマイチ伝わらないのが残念です。








外観だけでなく、中もとても洒落たつくりです。ケーキもとてもおいしく、お店の人もとても感じの良い人でした。








お店の近くに文豪である室生犀星(むろう さいせい)の記念館があります。時間が無くて中に入れなかったのが残念です。




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1 成り上がり
20世紀前半、人々を興奮の渦に巻き込み、そしてナチスの預言者と呼ばれた男がいました。

エリック・ヤン・ハヌッセンです。

1930年に彼が出版した自叙伝ジジョデン『私の生命線』によると「透視能力トウシノウリョク催眠術師サイミンジュツシとして名をはせた男の人生」と自信たっぷりに書かれているのです。ここまで自己評価が高いと呆れてしまいますが、逆にコンプレックスの裏返のようなものも感じられます。

ハヌッセンはオーストリアの音楽の都ウィーンに生まれました。ハヌッセンの実家は貧しかったようです。ハヌッセンの父親は旅芸人、母親はあまり売れてない歌手。食卓に並んだのはパンとスープばかり。旅芸人だから収入も不安定。ハヌッセンは自分の父親のことを「父親は何の役にも立たない貧しい悪魔だった」と酷評したほど。それで、有名になってお金持ちになりたいと幼いハヌッセンは思ったかもしれません。

ハヌッセンは14歳で親元を離れ、サーカスの猛獣モウジュウ使いや歌手、マジックショーなど色々仕事を転々としました。どれもパッとせず結局芽が出なかったのですが、失敗の中でも、さまざまなステージのノウハウを学んだのですね。

そして彼が25歳の時に第一次世界大戦(1914)が起こり、危険な戦地に派遣されたと言います。その時彼は自分の上官に声をかけたと言います。「あなたの未来を霊能力で予言しましょう、赤ん坊が見えます。男の子です」と。言われた上官も半信半疑でしたが、五日後に本当に上官に赤ん坊が生まれたと言います。喜んだ上官はハヌッセンを危険な前線任務から外したと言います。

しかし、この予言もタネがあって、あらかじめハヌッセンは前線近くの野戦郵便局に勤めている友人を買収し、事前に上官の妻の手紙を見せてもらったのですね。インチキですね。

その後、ハヌッセンは退役し、再びステージに立ちます。ハヌッセンは今度は霊能者として再スタートします。ハヌッセンが目隠しをし、観客が無作為にマッチだとか物を隠し、その隠し場所をハヌッセンが当てるというのです。この霊能力ショーは大当たり。ハヌッセンの霊能力ショーは評判で、4万6千人以上も動員したと言います。そんなんでも各地から依頼は殺到し、月収は1000万円だとか。

さらにセレブを相手に占いも個人的にやったと言います。料金は相談者の月収の4倍で、一回約30万はくだらないと言われたほど。そうやってハヌッセンは金持ちになったのです。

それにしてもハヌッセンはそんなに霊能力があったのでしょうか。おそらくハヌッセンはそんな能力はなく、洞察力や共感力が優れていたのだと思います。また、彼は占いとか霊能力ショーをやる前に、スタッフに命じて事前に相談者や観客のデータをリサーチしていたと言います。観客の情報を公演のたびに記憶していたというから驚きです。

2 ナチスに接近
そしてさらなる名誉欲にかられたハヌッセンはナチスに近づくのです。ハヌッセンはナチスの幹部のヘルドルフに近づきます。彼はギャンブル好きで、30万ライヒスマルク(1億6000万円)もの借金を抱えていたと言います。ハヌッセンはヘルドルフの借金の半分を肩代わりしたと言います。そしてヘルドルフの人脈を生かし、ハヌッセンはナチスの幹部にどんどん接近します。

そしてハヌッセンは1931年1月に印刷所を買収し、自ら新聞を発行しました。「週刊ハヌッセン新聞」。その内容は健康情報や日常のお役たち情報、それからハヌッセンのオカルトじみた話も掲載されました。その新聞は大評判だったと言います。またハヌッセンは予言や占いの形で、「ヒトラーが政権を取るべき」と応援も始めたのですね。ナチスにとっても、人気者のハヌッセンがヨイショしてくれるのだからありがたいのですね。

そんなハヌッセンに危機が訪れます。新聞のスクープ記事でハヌッセンがユダヤ人だとスクープされます。ハヌッセンはこれまで自分がユダヤ人だといことをひた隠しをしていたのです。この報道にヘルドフルは激怒しました。そりゃナチスはユダヤ人を敵視していましたからね。ヘルドルフはハヌッセンを尋問しますが、ハヌッセンは「自分はユダヤ人の養子になっただけでユダヤ人ではない」とウソをついてその場をしのいだと言います。

でも、ユダヤ人のハヌッセンがナチスに近づくのは危険ですよね。はじめはうまくごまかしても後でバレる可能性がある。しかし、それはハヌッセンの抜け目のないところ。ハヌッセンは先のヘルドルフをはじめナチスの幹部たちに金を貸して、その借用書も大切に保管していたのですね。もし、その借用書が世間に知れたら、ナチスはユダヤ人にお金を借りている、資金援助してもらっていることが知られてしまいます。だから、その借用書があれば仮にユダヤ人だとばれたとしても大丈夫だとハヌッセンは思ったのでしょう。のちにハヌッセンはナチスに入党しますが、それくらいハヌッセンはナチスとやっていけると自信があったのでしょう。

3 ハヌッセンの転落
そして、1933年1月30日にヒトラーが首相になります。ヒトラー政権誕生にハヌッセン新聞がヒトラー首相就任を予言したと大評判。さらに勢いにのったハヌッセンは首相ヒトラーに熱烈な提灯記事チョウチンキジを新聞に載せます。ハヌッセンはヒトラーをマンセーして良いポジションをナチスからもらおうと思ったのかもしれません。

さらにハヌッセンはベルリン中心街の高級住宅に住みました。通称オカルト宮殿。友人たちを招いては降霊術や占星術を行なっていたいました。もちろん、彼にそんな能力などあるはずがなく、部屋のあちこちに盗聴器を隠したり、スタッフにゲストの情報も事前に収集させたりしたのですね。まさにハヌッセン絶頂期。しかし、ハヌッセンの危機はすぐに訪れます。


1933年2月27日、国会議事堂が突然火事になります。ナチスはそれを共産党の仕業だと宣伝します。その事件の前夜、オカルト宮殿にハヌッセンはセレブや新聞記者を招いて高齢会じゃなかったw交霊会を開きました。その席で「火が見える」とハヌッセンは予言しました。実は、この放火事件はナチスの自作自演と言われ、その情報を事前にハヌッセンはナチス側からリークしていたのですね。ハヌッセンは自分がいかに予知能力を持っているとアピールしたかったのですが、それが裏目に出たのです。それ以降、ハヌッセンは何者かにおびえるような発言を友人にするようになります。命をナチスから狙われるようになったのかも知れませんね。予言という形をとったとはいえ、ハヌッセンがナチスが秘密にしていたことをばらしたのですからね。

そして、ハヌッセンは1933年3月25日に突撃隊によって妻と共にベルリンで暗殺されたと言います。暗殺された理由はヒトラーがハヌッセンの存在を疎ましく思ったからだとも、権力構想に巻き込まれたかとも、ユダヤであることがバレたとか、はたまた借用書が世に出ることを恐れたナチスが暗殺したとも言われております。ハヌッセンの遺体は郊外捨てられ、その遺体はケモノの餌食になったと言います。

殺された理由はともかく、僕はハヌッセンの死に思うところがあるんですよ。ハヌッセンはナチスの御用コメンテーターであり、悪くいえば太鼓持ち。でも太鼓持ちって、例外もいるが、リーダーや権力者から好かれていなくて、「もし自分が落ち目になったら、こいつ裏切るぞ」って不審に思われることの方が多いんですよ。

本当に尊敬してれば別ですが、上に立つ人は色々な人を見てますからね。日本の戦時中の言論人もそうだよな。戦時中は、軍部をマンセーしてたのに、戦後コロッと変わって民主主義マンセーで軍部批判しまくりだもん。

ハヌッセンはヒトラーに心酔してたけれど、ヒトラーやナチスを利用して自分がのしあがろうという節もありましたからね。自分の栄達ばかり考えるから、国会議事堂火災事件の件もうっかりバラしてしまう。そういうところをナチスはハヌッセンを信用しなかったのかもしれません。



ちなみに「ヒトラーは1920年代の早い時期に占星術師のハヌッセンという人物から演説や心理学の手ほどきを受けた」と言われておりますが、実際ヒトラーとハヌッセンの接点はなかったようで、そのような事実もなかったそうです。

* この記事はWikipediaやNHK「ダークサイドミステリー」を参考にして書きました。
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