history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

今年は震災から7年を迎えます。あらためて亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、復興をお祈りいたします。

日本は地震大国で、歴史を紐解いてみても大きな震災がたびたびおこっているのですね。

今日は江戸時代におこった宝永大地震について語ります。宝永大地震は1707年(宝永4年)におこりました。この地震はわが国で起こった東日本大震災以前となると最大級の震災です。東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 )を震源域として発生した巨大地震で、南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定されております。

津波も房総半島(千葉)から九州まで大津波が襲ったというすさまじい地震だそうです。しかも、太平洋側だけでなく、その津波は瀬戸内海まで押し寄せて、大坂(昔は大阪を大坂といった)まで水びだしになりパニックなったといいます。当時の大坂は「天下の台所」とよばれ物流の中心でしたから、人の被害だけでなく、経済的な面でも大打撃だったと思います。

関東から九州まで震度7以上の地震がおこったというからおそろしい。さらに地震発生から一時間後、巨大な大津波がおしよせたといいます。

徳島県海陽町というところがあります。ここも宝永大地震のときに津波の被害をうけたといいます。津波はおよそ海抜10メートルのところまで押し寄せたといいます。家々の屋根をゆうに超えるたかさだといいます。



丘には小さな観音堂があるそうです。その観音堂は津波で亡くなった人を供養するためにつくられたといいます。その観音堂の堂内にある扁額には当時の震災の様子がかかれているようです。

家々は一軒も残らず、津波によって海底にひきおとされた。老若男女140人余りが溺死した。と。

さらに大津波は大阪の街にもおしよせました。その時の大坂の様子が古文書にもかかれております。

山のような大津波が襲い、船や橋を押し流した。死者の数は数えきれないほどであった。と。

宝永地震と大津波の全国の死者は少なくとも二万人以上、倒壊または流失した家屋は8万戸ともいわれております。


ちなみにこの宝永地震によって甚大な被害を受け、その復旧費用の出費を強いられた紀州藩では藩主の徳川吉宗が質素倹約を徹底した藩政改革を行い、その後将軍に就任した吉宗による幕府財政を立て直すための享保の改革へとつながったといいます。

それと恐ろしい話になりますが、南海トラフ巨大地震はおおよそ100年から200年周期で繰り返されており、次回起こると予想される地震への対策が求められています。。対策は東海地震、東南海・南海地震と個別に行うのではなく、東海・東南海・南海領域で連動して発生した宝永地震をモデルに行うべきとする動きもあるそうです。




(↑もしも、宝永地震があった江戸時代に、TVの地震速報があったら、きっとこんな感じでしょう)





※ 参考サイトおよび参考にした番組


「さかのぼり日本史」(Eテレ。2011年に放送)

ウィキペディア


あけましておめでとうございます。今年もよいお年になりますように。

今年は酉年ということで、きょうは鶏にまつわるお話をします。

それでは、鶏インフルエンザの話を。うそうそ、新年早々縁起の悪そうな話はしませんw

鶏といえば英語でチキン、そしてチキンといえば、ケンタッキーフライドチキンのチキンはおいしいですよね。そう今日はケンタッキーフライド・チキンの創業者であるカーネル・サンダースのちょっといい話をします。

1985年、プロ野球で阪神タイガースが優勝したとき、阪神ファンがケンタッキーの店舗の前に飾ってあったカーネルサンダースの像を持ち出し、道頓堀の川に投げ込んだといいます。それから長いこと阪神は低迷して・・・・すみません、新年から変な話をしましたw

本題に入ります。


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これまで長々と日本軍の失敗を考えました。日本軍の失敗について書かれた本は実に数多です。これは、日本人が好戦的だからというわけではありませんw

それだけ現代社会に通じるものがあるからだと思われます。NHKでも日本軍の失敗の特集をくむと、視聴者から「うちの会社と日本軍は似ている」という反響がよくくるそうです。

平和な時代になっても、組織の問題点とか、失敗のおこるメカニズムとか、失敗が起こった時の対処法というのを旧日本軍から学ぶものがあるということでしょう。

僕の意見を言わせていただければ、戦争はそもそもあってはならないものだと思います。戦争がおこったこと自体が失敗だったと思います。

やはり平和、何気ない日常ほどありがたいものはないと思います。戦争というと、戦地で戦っている人ばかりがクローズアップされますが、戦争で夫や息子を亡くした親御さんや家族の人たちの悲しみや苦しみもまた大きいのです。先の大戦でも、戦後孤児になったり、女性の方なら男に交じって働いたり、ひどい人は体を売ったしたりしました。

戦争といえば、僕が中学のころにみた大河ドラマ「春日局」(脚本は橋田寿賀子さん)にでてきた遊女の話が印象に残っております。関ケ原の合戦や大坂の陣で豊臣方についたために徳川家につぶされた大名がいて、その大名の家臣の娘が仕方なく吉原の遊女になったという話です。その遊女が(吉原にお忍びで遊びに来ている)家光と恋をするが、その遊女が結局自害をするという話です。戦争がなければ、この家臣の娘も遊女にならずに何不自由ない暮らしができたとおもうのですね。

もちろん、この話は「春日局」の脚本をかいた橋田寿賀子さんのオリジナルストーリーで史実ではありません。。けれど、これは橋田寿賀子さんは先の大戦で経験をされ、戦争のむごさを痛いほどよくわかってるからこそ、視聴者に訴えたかったストーリーだと思います。

橋田さんは「春日局」の前に「おんな太閤記」という大河ドラマの脚本を書かれておりますが、この「おんな太閤記」には戦国ものにはつきものの戦のシーンが全く出てこないのです。これは橋田さんが「戦争のシーンは書きたくなかった」からだそうです。また、橋田さんのドラマに「いつの時代もなくのは女子(おなご)だ」というセリフも出てきますが、橋田さんが、美化されがちな戦国時代をそのように描くのは先の大戦の体験があるからかもしれません。ちなみに「春日局」には合戦シーンは出てきますが、そんなに何回も合戦シーンは出てきません。

戦国時代というと何かと美化されることが多いですが、戦争体験のある橋田さんからすれば、戦国時代なんて美化するものじゃない、同じ日本人が血で血で争う大変な時代だったということでしょう。事実、織田信長にせよ、徳川家康にせよ、武田信玄にせよ、戦国大名の歴史をちゃんと調べるとむごい話もでてきますし。





ともあれ、今年もいろいろなことがありました。来年もみなさまにとって良いお年になりますように。最後にことしの干支のサルの動画をみながら2016年度の僕のブログを締めさせていただきます。

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