history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。







1 横浜よこはまを代表する歌!?「赤いくつ
 
GWいかがお過ごしでしょうか。旅行をされている方も少なくないと思いますが、いまはどこへいっも人人人。特に帰りのラッシュは大変です。僕はGWは基本家にいて、5月5日ごろの帰省ラッシュの状況をテレビで見ながらビールを飲んで「ざまあみろ」って高望みをするのが僕のGWの過ごし方ですw僕って性格悪いかもw?うそうそw以前にGWに旅行に行ったのですが、参っちゃいましてね。どこも混んでいて。帰りのラッシュも半端なかったですね。夏休みに旅行に行った時も渋滞に巻き込まれたけれど、あんなレベルではないですね。(ぼくの夏休みは毎年8月の下旬でお盆をずらしているのですね)。今はGW中は家にいることが多く、近所の銭湯に行ったりしますね。今日から数回にわたって日本の名曲にまつわるエピソードをまじえて、日本のあちこちを回りたいと思います。

今日の舞台は横浜。横浜の曲といえば、ゆずの「桜木町」、サザンの「LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜」、いしだあゆみさんの「ブルーライト・ヨコハマ」、五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」、それから青江三奈さんの「伊勢佐木町ブルース」が僕は思い浮かびますが、横浜といえば童謡どうよう「赤い靴」が一番思いつきますね。この曲はきけばきくほど悲しい気分になる歌です。ちなみに横浜市内では、夕方になると「夕焼けこやけ」の代わりに、この音楽が流れてきます。

この歌が作られたのは大正時代。人買いもあった時代です。家が貧しいと、口減らしに娘を製糸工場などに奉公に出したり、遊郭に売られたり、人買いに買われたりと女性に人権が全くなかった時代があったのですね・・・北朝鮮きたちょうせんによる拉致らちじゃないが、子どもと親がはなればなれになることのつらさは、いつの時代も同じでしょう。「赤い靴」の歌の主人公のモデルの名前は「岩崎きみ」ちゃんといいます。




2 『赤い靴』誕生秘話
 きみちゃんは静岡県しずおかけん清水の生まれ。きみちゃんのお母さんである岩崎かよは夫と離婚りこんをして、鈴木志郎すずきしろう(元TBSのアナウンサーの方とは別人です。あしからずw)という男性と再婚さいこんすることになります。

鈴木志郎とともに北海道ほっかいどう開拓かいたく)に行くことになりました。が、さまざまな事情できみちゃんを北海道に連れて行くことができなくて、泣く泣く外国人神父夫妻に預けることになりました。

北海道にわたった岩崎かよは、(当時北海道にいた)野口雨情(のぐちうじょう)に自分の心境を語りました。かよは、きみちゃんが異国できっと幸せに暮らしていると信じていました。いや、そう信じたかったのでしょう。野口雨情は、岩崎かやときみちゃんの親子を気の毒に思い、歌をつくりあげました。童謡「赤い靴」はこうして生まれました。しかし、赤い靴の女の子の物語は続きがあります。


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最近、相撲の土俵を女人禁制にするのは時代錯誤ではないのかという意見があります。きっかけは、京都府舞鶴市での大相撲春巡業のときです。舞鶴市の市長が土俵の上で倒れ、たまたま客として相撲をみていた女性の看護師たちが土俵に上がり救命処置をしました。しかし、行司が看護師たちに土俵から下りるよう促したのです。さいわい市長は一命をとりとめましたが、もし看護師たちが応急処置をしなかったら、市長は命を落としていたのかもしれない。人命よりも伝統を重んじるのかということで、行司と相撲協会が随分叩かれました。

大昔には女性の力士もいたそうですが、土俵は基本的に女人禁制です。なんでも相撲という競技はもともとは五穀豊穣ごこくほうじょうの女神さまをよろこばせるために行われた催しだそうです。そして、土俵にはその女神さまがいらっしゃるそうです。その土俵に女性があがると女神さまは嫉妬しっとで怒り狂い、たちまち農作物がとれず凶作になるそうです。だから、土俵には女性が上がれないそうです。

でも、今回のケースのように人命がかかっているとか、やむを得ない場合は仕方がないと思われます。原則は原則としてきちんと守ることはべきですが、原則には例外がつきもの。例外のケースが発生した時は臨機応変に対処したほうが良いと僕は思いますね。

土俵に限らず日本のあちこちにも男性しか入れない神社、逆に女性しか入れない神社があるそうですね。今日お話しする沖ノ島もそうです。

沖ノ島は九州北端と対馬のほぼ中間、玄界灘げんかいなだに浮かんでおります。周囲約4キロ、面積わずか0・69平方メートルの小さな孤島です。この島には宗像大社沖津宮むなかたたいしゃおきつみやという神社があります。
え、宗像大社沖津宮ってなにかって?順を追ってお話ししますと、宗像大社とは福岡県宗像市にある大きな神社で、沖ノ島の沖津宮筑前大島ちくぜんおおしま中津宮なかつみや、宗像市田島の辺津宮へつみや(総社)の3つの神社をひっくるめて宗像大社というそうです。その沖ノ島にある沖津宮とは宗像大社にある3つの神社の一つなのですね。ちなみに宗像大社は世界遺産に登録されました。

この島には人が住んでおらず、しいて言えば宗像大社につとめる男性の神官一人が、10日間交代で島にやってきて神主の役目をされるそうです。ただし、神聖な島であるため、島に上陸する前に徹底したみそぎが行い身を清めるそうです。

それくらい沖ノ島は神聖な島で、女性が入ることもできず、男性であっても宗像大社の許可がなければ足を踏み入れることができないのです。なぜ、島に女性が立ち入ることができないのか?それは、この島にある宗像大社沖津宮の祭神・田心姫神たごりひめのかみが関係があるそうです。この女神さまは大変嫉妬深く、女性が上陸すると、それだけで嫉妬心を抱くそうです。女どうしの争い(逆に男同士の争い)はむごいものがありますからね。異性同士の二人だったら、お互いに手加減をすることがあっても、同性同士だと容赦しないのですね。え?うちのカミさんはダンナに厳しくて、容赦しないって?まあ、その辺のお話は置いておきましょうw

それはともかく、女神さまのたたりがこわくて、沖ノ島では女人禁制がずっと守られているようです。そして、めったに人が立ち寄ることもできないので、島内には手つかずの原始林が生い茂っております。そして、かつてはこの島で祭祀が行われ(4世紀〜10世紀ごろ)、銅鏡や玉類、鉄製武器、朝鮮半島由来の金製指輪や馬具、中国由来の金銅製品、ササン朝ペルシア製のカットグラスなど様々な宝物が発見されました。これらの宝物はすべて国宝か重要文化財に指定されました。それで、沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれるようにもなりました。

これらの遺物が出土した背景として、古来、沖ノ島が日本から朝鮮半島や中国にわたる際の要地にあったからです。古代、宗像地方を治めていた豪族・胸方むなかた氏によって宗像大社沖津宮が沖ノ島に置かれたのです。そして、祭祀が行われるようになったのです。何のためかというと、航海の無事を祈るためです。

昔は造船技術や航海技術が未熟であったため、海難事故が多発したそうです。沖ノ島に住む神様に航海
の無事を祈るべく祭祀が行われたのです。


(宗像大社の動画)


※ 参考文献および参考にしたもの




あと、『歴史秘話ヒストリア』も参考にしました。

このブログをご覧になられている方でパチンコがお好きな方はいらっしゃいますか。僕はパチンコはやりません。なぜなら、僕はものすごい凝り性で、一度パチンコをはじめたら、はまりまくって借金までしてしまいそうだから。僕も昔パチンコを一度だけやったのですが、玉がまったく入ってくれなくて、それで懲りてしまいました。

パチンコ屋さんといえば、僕は「軍艦マーチ」(正式名称は「軍艦行進曲」)を連想します。かつてはどのお店でも流されていた「軍艦マーチ」。最近はあまり聴かなくなりましたね。僕はてっきり「軍艦マーチ」はパチンコ屋さんのテーマソングだとばかり思っておりましたwそれで海上自衛隊のお偉いさんがパチンコ狂で、海上自衛隊でも「軍艦マーチ」を取り入れるようになったのかとばかり思っておりましたwww




で、冗談はさておき、パチンコ屋さんが「軍艦マーチ」を流すようになったのは戦後間もないころだそうです。そのころ有楽町にメトロというパチンコ屋さんがあったようです。そこの店長が店長は昔、マレー沖海戦で軍功を立てたという元海軍兵士だったそうです。店はGHQの本部に近いということもあって、GHQの関係者や米軍もお店によく来ていたようです。そんな状況の中でその店長は「軍艦マーチ」を流しました。

戦後間もないころの日本は旧日本軍を連想するもの、軍国主義的なものがことごとく弾圧された時代でした。たとえば「兵隊さんの汽車」という歌があったのですが、この歌は出征兵士を送る歌ということで、メロディーはそのままで歌詞はまるごと変えられてしまいました。そうして生まれた歌が「汽車ぽっぽ」です。

 
  



あの「紅白歌合戦」の前身である「紅白音楽試合」(昭和20年12月31日ラジオ放送)も番組名についてGHQからいちゃもんをつけられました。もともとこの番組は「紅白音楽合戦」という番組名でした。しかし、「合戦」というネーミングがよくないというので、GHQから文句をいわれ「合戦」ではなく「紅白音楽試合」と番組の名前を変えられたといいます。「紅白歌合戦」というネーミングが使えるようになったのは昭和26年だといいます。

おっと話がずいぶん脱線してしまいましたねw、旧海軍を連想させる「軍艦マーチ」を流したのですから、さぞこのパチンコ屋さんもGHQからお咎めがあったかと思われますが、意外とそんなことはなかったようです。むしろ、日本のおまわりさんのほうがハラハラしていたくらいだったそうです。

なぜ、このパチンコ屋さんの店長が「軍艦マーチ」を流したのでしょう?GHQに対する静かな抵抗という説もあるようですが、店の集客力をアップさせ売り上げを伸ばすためという説が有力なようです。

確かに軍艦マーチのリズムは勇ましくテンションがあがるし、この歌の2番の歌詞にある
彈(たま)撃(う)つ響(ひび)きは雷(いかづち)の〜」というくだりも、この軍艦マーチを流したポイントの一つだったのではないかと僕は考えております。パチンコの「玉を打つ」と軍艦マーチの「弾を撃つ」をかけたのかもしれません。

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