history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

フラガール
松雪泰子
2013-11-26



『フラガール』という映画をご存じでしょうか?この物語は福島県いわき市にあるリゾート施設ハワイアンリゾート誕生の話をもとにして作られた映画です。

松雪泰子さん演じるフラダンスの講師が厳しくもやさしく地元の女の子たちにフラダンスを熱心に教えていた様子が印象に残りました。ちなみに、このフラダンスの講師の先生はモデルの方がいらっしゃるようです。けれど、その方は松雪さん演じる講師みたいに借金に追われていたわけじゃなかったそうですw

ハワイアンリゾートは僕はあいにく一度も訪れたことがありませんが、露天風呂や温水プールがあって、フラダンスやファイアーダンスも楽しめるリゾート施設だということは知っております。このレジャー施設を運営しているのは常磐興産という会社ですが、この会社の旧社名は常磐炭鉱。かつては炭鉱を経営していた会社だったのです。その炭鉱を経営していた会社が、レジャー施設を運営するようになったのはなぜでしょう?

結論を先に言えば、炭鉱で石炭がとれなくなり、そこで働いていた従業員さんたちの雇用を守るためです。

もともと、いわき市は炭鉱で栄えた町でした。福島県浜通り(※1)から茨城県北部に広がる常磐炭田が発見されたのは明治のはじめです。1870年くらいから本格的な炭鉱開発がすすめられました。首都圏に比較的近い炭鉱だということもあり、いわき市も大変栄えました。また、銅を算出する日立鉱山も近いこともプラスに働きました。

けれど、炭鉱経営は1950年〜1960年代に入り厳しくなります。安価で質の高い輸入石炭との厳しい競争にさらされた上に、原燃料が石炭から石油にシフトしはじめました。苦境に立たされた常磐炭鉱は、炭鉱で働いている人たちや家族たちを守るための策として考えられたのが温泉を利用した観光業への転換でした。

ちょっと話はそれますが、似たような話を「ドラえもん」の映画で見たことがあります。ドラえもんの『ドラえもん のび太と銀河超特急』というものです。これはドラえもんとのび太ら5人が、銀河鉄道にのり、ドリーマーズランドというテーマパークに行き、そこで宇宙の寄生生物に襲われてしまうというストーリーです。

このドリーマーズランドというのは、宇宙の果てにあるハテノハテ星群があって、そこはメズラシウムという鉱石がとれて大いに栄えたのですが、その鉱石が取れなくなり、星をあげてドリーマーズランドというテーマパークによって再興を図ってつくられたものです。原作者の藤子・F・不二雄先生はもしかしたらスパリゾートの話を知っていて、この『のび太と銀河超特急』のプロットにしたのかもしれません???




話をもとに戻して、いわき市には、湯本温泉というのがあるのですが、この温泉は道後温泉、有馬温泉とともに日本三大古湯(草津は意外にも入っていない)の一つです。

湯本という地名も実は平安時代からある由緒正しい地名です。

それくらい温泉が有名なところですから、炭鉱を掘ると温水が噴き出てしまう地質だったようです。発掘の際は悩みの種でしたが、今度は皮肉にも温泉の存在に助けられることになったのです。

その温泉と、当時の日本人が「行ってみたい外国」として憧れをもっていたワイハことハワイを結び付け、「夢の島ハワイ」をイメージしたテーマパークにしちょうと思ったのです。

1966年(昭和41年)、常磐ハワイアンセンターが開業。常磐ハワイアンセンターは今のスパリゾートハワイアンの前身です。海外旅行が庶民にとってかなり贅沢な時代、東京方面からたくさんの観光客が集まりました。年間入場者120万人を集める大成功でした。その後も施設を拡大して成長し続け、1990年(平成2年)、総事業費50億円をかけてリニューアルして、「スパリゾートハワイアンズ」と名称を変更し、今日まで至っております。

2011年には震災にあり、壊滅的なダメージをうけましたが、それでもスパリゾートの人たちは立ち上がり、今日に至っております。




※1 福島県東部の海岸地方をさす呼称。相馬市,南相馬市,いわき市と相馬郡,双葉郡からなる。




※ 参考文献



(大地震の後のお部屋の様子を再現した展示物)

(大地震の後のブロック塀の様子を再現した展示物)

(同じく壊れたブロック塀の様子を再現した展示物)

東京都北区の滝野川公園に東京都北区防災センター(地震の科学館とも)があります。この中は地震を知るうえでいろいろと参考になる展示物がいろいろあります。その中でも目を引いたのは、入り口から入るとすぐ目に入る展示物です。

この展示物は大震災のあとにスッチャカメッチャカになった部屋の様子が再現されているのです。これをみると益々地震の恐ろしさを考えさせれます。

今日は、1896年におきた明治三陸地震のお話です。

1896年といえば、宮沢賢治が生まれた年です。

宮沢賢治が生まれた年に東北で地震が起きていたのですね。


1896年6月15日の午後7時32分、三陸海岸から約200キロの改定でマグニチュード8・2〜8・5の巨大地震が発生しました。マグニチュードの割には、各地の震度は2〜4程度の揺れだったといいます。

しかし、恐ろしいのは地震の揺れそのものではなく、大津波が発生したことでした。

地震が起きて約30分後に大津波が東北沿岸部に押し寄せてきたのです。

岩手県の下閉伊郡田老村(現・山田町船越)では10・5メートル、気仙郡吉浜町(現・大船渡市三陸町吉浜)では22・4メートルの津波が押し寄せたというのです。22・4メートルと言ったらビル七階くらいの高さです。オドロキですね。

津波の犠牲者は溺死だけでなく、漂流物と激突してなくなったケースも多いそうです・・・


震度が大きくないにも関わらず、これほどの巨大な津波が発生したとは信じられないことですが、現実にこうしたケースもあったのです。震度が小さな地震といえども津波が発生することがあるのですね。


※ おまけ

盛岡のおまつり、さんさ踊りの動画です。宮澤賢治は学生時代、盛岡にいたそうです。宮澤賢治もさんさ踊りをみたことがあるのでしょうか?


※ 参考文献


大地震の日本史 (DIA COLLECTION)
大地震の日本史 (DIA COLLECTION) [ムック]

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