history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

先の大戦において、日本とアメリカの差を分けたものの一つとしてマネージメントがあげられます。残念ながら我が国は、いわゆるサイエンティフィック(科学的)マネージメントというものがほとんどゼロに等しかったといいます。たとえば日本の鉄の生産量というものを全部有効に使っても、アメリカの5パーセントしかないのに、この5パーセントの鉄量すら使えなかったので、実際は2パーセントの生産量ぐらいしかならなかったようです。

たとえば、軍の動員計画なんかも非常に非科学的で、その技術者がいなければ工場が一遍にとまるような重要な者を引っ張っていって、その技術者に戦場で馬を洗わせたり、壕を掘らせたりする。もっとひどいのは工場から熟練工を招集したために、その工場の能率が落ちると応援の兵隊さんを今度は軍から派遣されるのです。工場からやってきた熟練工は新兵となって壕を掘ったりするなど慣れない作業を上官に怒鳴られながら、やる羽目になる。一方壕堀のうまい古参兵が、ズブの素人となって向上に応援にくる。さらに、男たちが戦場に駆り出されたものだから、学生までも工場ではたらくことになる。いわゆる学徒勤労動員ですね。

たしか、中島飛行機の元エンジニアの方の本を読んだのですが、せっかく天塩を育てた部下が一枚の赤紙で連れされてしまったことに対して、「ただ軍から割り当てたら人数を赤い紙に書いていく、こういう実に粗暴な召集令状の発行システムは、農本主義時代の遺物で、技術戦争である太平洋戦争では通用しない」と憤っておられました。




日本の軍部の上官や官僚は一生懸命仕事を忙しくやるのだけれども、効率が悪く、実は何もしていない、仕事のための仕事をしていることもある。けれどアメリカはチューインガムをかんだり、ポケットを手に入れたりして遊んでいるように見えて、実際は仕事のスピードが早いと『敗戦真相記』を書いた永野護さんは指摘しております。

たとえばアッツ島の戦い(※1)のときもそうだったようです。アッツ島とは北太平洋のアリューシャン列島のほぼ西端に位置する小さい島です。このアッツ島に日本軍は何か月も占領したが、その間、ウサギが通うような小道しかつくらず、電灯線も引かずにローソクで岩窟の生活をしていた。ところが米軍が上陸すると三日のうちに、トラックが通るようなアスファルトの道路があちこちにできたといいます。

ちなみにアッツ島の日本軍は、皇軍軍人精神の名の下に自決全滅をしたのですが、彼らがそのような道を選んだのが、糧食、兵器の後援が続かなかったことやロクに道路を作れないことに見られるマネージメントの欠乏が原因の一つだったと思われます。


たとえば、こういうことです。川に橋を10本かけようという状況を考えてみます。日本は漫然と10本の橋を架けようとするけれど、どの橋も資材が途中で足りなくなって途中で切れてしまい、結局まともに渡れる橋は一本もなかったなんてことをやらかしてしまったのです。マネージメントがうまくいけば10本かけられなければ、5本だけかけよう、一本だけでもいい、早く架ければ人が通れるようになる。要は橋を10本かけることが重要なのではなく、たとえ一本でも向こう岸に一人でも多くの人が渡れればよいのです。これは極端なたとえですが、戦時中の日本はこのようなことをしてしまい、多くの人を犠牲にしてしまったのです・・・

※1 
1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された日本軍とアメリカ軍との戦闘である。



※ 参考文献
敗戦真相記
永野 護
バジリコ
2012-08-10



今日の記事は長いです。

1 精神論を絶対悪だと思わないが
 僕は精神論をたびたび否定しておりますが、戦争というのは軍事力だけでなく精神力も必要です。しかし、戦う力もないのに精神力だけて勝てというのも無理があります。精神論はあくまでも敵と五角の戦力を持ったうえで、そのうえで重要になるのが精神論で、軍事力がゼロの状況で精神論をふりかざしたら、おかしなことになります。無理に戦おうとするから、玉砕など特攻隊などをやらざるを得なくなる。

もちろん、戦争となれば人命などと言っていられない、前線で戦う兵士は自分の命を捨ててでも国家を守らなきゃいけないというのは日本だけでなくどこの国でも言われていること。しかし限度というものがあります。典型例が以前にも取り上げたインパール作戦ですが、サイパン島のバンザイクリフの話もひどいものです。兵士たちだけでなく、民間人もマッピ岬という岬から海へ身をなげたのです。


2 バンザイクリフの悲劇


以下、アメリカの記者が自ら目撃、あるいは伝聞により知った悲劇をあげます。


  • 父親たちが子供をがけから海中へ投げ落とそうとしていた。


  • ある家族は身を寄せ合って、手りゅう弾のピンをぬいて一家自滅した。


  • 岩の海岸を行ったり来たりしていた少年が、大波がやってきたとき、自ら巻き込まれて海中へ押し流された。


  • 断崖の下の岩のくぼみに、首のない子供の死体がたくさん残されていた。こどもの首を切り落とした親たちは海中に身を投じ自殺した。


  • 断崖に両親と四人の子供が立っていた。一家はためらっているように見えた。すると背後から銃声が聞こえ、父親と母親が撃たれ、がけから海中へ落ちていった。そばにいた女性が四人の子供をその場から引き離したが、約700メートル後方の洞窟から銃を下げた日本兵が出てきた。その日本兵は待ち受けていた海兵隊員の銃弾を浴びて倒れた。


  • 日本婦人三人が岩頭に座り、くしで髪をときはじめた。それを終えると手を合わせ祈りながら海の中に入り、消えていった。


  • 岩の上にいた100人ばかりの日本人は、断崖を見上げて、そこから見下ろしていた海兵隊に向かってお辞儀をした。そのあと、裸になり、海水で体を洗い、新しい衣服に着替えた。岩の上に大きな日章旗を広げ指南役の男が各自に手りゅう弾をくばると、各自ピンを抜いて腹に押し当て全員が爆死した。


  • 海中に浮いていた4、5歳の男の子は日本兵の岩にしがみついたまま溺死した。


かわいそうに・・・ちなみにマッピ岬には米軍がしかけた拡声器があって、投降をよびかけたが、それでも日本人たちの自決を止めることができなかったのです。

よく「『戦陣訓』(※1)で降伏を禁じられていたから、兵士だけでなく民間人も身を投げた」と言われておりますが、「戦陣訓」だけが原因ではないでしょう。「白人は野蛮人で、捕虜を虐待したり、殺したりする」と吹き込まれていたからこのような行動をとったのでしょう。

3 親切だった米兵

 ところで、米兵は日本の軍部がいうように、残酷でひどいことをするのでしょうか?実は米軍は残酷どころか、むしろ捕虜になった日本兵に対して親切だったといいます。一例として、米軍につかまって捕虜収容所へ送られる最中のことを回想した日本兵の一文を取り上げます。


(日本兵を)出迎えた米兵は親切丁寧だった。そして将校にはKレイション一箱ずつくれた。十二時昼食、レイションをはじめて食べる。ひさびさに文化の味をあじあう。川を腰までつかって渡渉すること20回、やっと平地に出た。我々の隊列の中に片目、両足を失った兵がいたが米兵が彼に水筒に甘いコーヒーを入れてやり煙草に火をつけて与えていた。(日本兵たちがさまよっていた)山の生活で親切など言う事をすっかり忘れていた目には、この行為は実に珍しい光景だった。久々に人情を見たような気がした。
山本七平『日本はなぜ敗れるのか』より


もちろん、中にはひどいことをした米兵もいたとは思います。サイパンに住んでいた日本人住民に米軍が暴行を加えたとか、女をおかしたとかそんな話もあったようです。が、そんな酷い米兵ばかりではなかったということでしょう。おおむね米兵は捕虜の日本兵に親切だったようです。かれらがキリスト教の博愛主義だったからというのも理由の一つかもしれませんが、日本軍の士気を下げたり、親切にすることで日本軍の情報を引き出そうとしたという冷徹な計算があったことも無視できません。

事実、捕虜になった日本軍は米兵に聞かれていないことまでペラペラしゃべったようです。親切にしてもらったということで恩義を感じて日本軍の秘密を語った者、上官に殴られたりムチャな要求をされたりしたウラミつらみを語った者、いろいろだったようです。そういう日本軍の生の情報というのは米軍にとって貴重でしたからね。

4 日本兵の名誉意識
 日本兵は天皇のために死ぬのが名誉で、靖国にまつられることが幸せだと信じていたと一般的には言われております。というか、僕もそういうものだと思っておりました。しかし日本兵ののみながみなそういう認識ではなかったといいます。

事実こんな話があったそうです。日本兵は5年間服役すれば日本に帰ってもよかったそうで、5年の服役を終えた日本兵は、戦争から抜けられたことを非常に喜んだといいます。なかには東条英機やスターリンをふくめた全世界の指導者たちに棍棒をもたせて大きなカゴに彼らを閉じ込め、指導者同士たちで戦わせ、それを世界中の兵士たちがそれを見物したほうが良いとまで語った日本兵までいたといいます。

特に都会人や教養のある人はそんな風に割とさめたものの見方をしていたようです。そういった人たちは日本に帰れることを切実に願っていたようです。それどころか敵国であるアメリカを憎むことさえできなかったといいます。都会の人たちはアメリカの映画を好んでいましたからね。都会出身の人じゃないけれど、若き頃の田中角栄元首相も徴兵で陸軍に入ったとき、ディアナ・タービンという女優のプロマイドを隠し持っていたため、上官に殴られたというエピソードもあったとか。つまり「鬼畜米英」とはいいながら本音では親米という人も結構いたのですね。

一方で田舎の出身の人たちや失礼ながらあまり教養のない人たちは天皇のために喜んで死んで靖国にいくことを切実に願う傾向があったようです。すべてがそうとは言えないが純粋なのでしょうか。というか、教養のない人たちはともかく、地方の場合は貧しかったことも大きいと思います。

戦地で戦っている息子たちや父親の給料が頼りだったのです。そして名誉の戦死をすると恩給がでるため、「お前は必ず死んで帰れ。生きて帰ったら承知しない。おれはお前の死んだあと国から下がる金がほしいのだ」と息子に死ねと願った父親もいたほどでした。


だけど都会出身、田舎出身関係なく降伏したり捕虜になったりしたら祖国に帰れないということはみな信じておりました。この信念が日本兵を支えている面もあると思います。それと体罰への恐怖をも重要な要素だと思われます。つまり上官の体罰が怖いからしかたなく戦っているという日本兵も少なくなかったのです。それと捕虜になって無事に祖国に帰れたとしても、村の人たちに殺されたり、家族が村八分にあったり、そういこうことを恐れたともいいます。


5 意外にももろかった大和魂

 日本兵は、将校の命令通りに動いたり、事前に立てられた計画通りに動くのは上手だったといいます。事実、日本兵一人一人は射撃が下手な傾向があるが、射撃規律、すなわち上官の命令による一斉射撃は良好だったといいます。ようするに”集団戦法”が得意という、現代の日本にも通じるものを感じます。

また、時に自分で考えず「自分」でとなると何も考えられなくなるという指摘もあるようです。悪く言えば指示待ち族です。もっとも自分の頭で行動したらしたらで上官から殴られたと思いますが。

しかし、指揮官を失ったりすると狼狽し四散したといいます。そうなると米兵が手りゅう弾を投げたふりをしただけでバラバラになって逃げ去ってしまったといいます。

現代にたとえればこんなことでしょうか?怖いパワハラ上司がいて、部下たちはみな恐れていたが、いざ上司がリストラかなんかでいなくなるとその会社(部署)がまわらなくなって、中堅の部下たちが勝手な行動をとるようになったり、右も左もわからない若者たちがパニックに陥ったという、そんなところでしょうか?

また、計画通りにいけばよいが、そうじゃないときはパニックになるとあります。けれど計画というのは、仕事(戦争であれば戦い)をうまく進めるための手段でありますから、計画倒れになったからといって慌てることはないと思うのですね。そういうときは次の手を考えればよいのですが、それをしないからパニックになる。

計画通りにならないとパニックになるというのは、計画の段階で起こりうる失敗とか考えられる不測の事態をあまり想定しなかったのではないでしょうか?仕事だけでなく、旅行の計画を立てるときだって、不測の事態を一応想定しますよね?「このレストラン、旅行の当日休みかもしれないから、ほかの店もリストアップしよう」とか「高速道路が事故で込むかもしれないから、早めに帰った方がいいかもしれない」とか、「海で泳ぎたいけれど、雨が降った場合、近所の水族館にいこう」という具合に。

一生懸命考えた完璧な計画に満足し、その優れた計画に酔ってしまい、その計画を何が何でも実行することが正しいみたいな空気が当時の日本軍にあったのかもしれない。

もちろん戦争映画の主人公のように勇敢に立ち向かった人もいましたし、自分の頭で考える人もいたのですが、残念ながらそんなひとばかりではなかったのです。やはり日本兵たちも普通の人たちだったのです。そんな普通の人たちにムチャなことをさせたことが日本軍の失敗だったと僕は思いますね。

※1 
日中戦争の長期化で、軍紀が動揺し始めた昭和16年(1941)1月8日、東条英機陸相が「軍人勅諭」の実践を目的に公布した具体的な行動規範。特に「生きて虜囚の辱を受けず」の部分が明確に降伏を否定しているため、これによって多くの兵士が無駄死にしたとされます。

※ 参考文献
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
山本 七平
角川グループパブリッシング
2004-03-10







「カルネアデスの板」というお話をご存知でしょうか?それは古代ギリシャのお話です。どういうお話かというと、船が難破し、乗っていた人たちが海に投げ出されました。そして一人の男が命からがら、海にうかぶ船の板切れにしがみつくことができました。しかし、男がつかまっている板きれにもう一人の人物(男か女か不明)が板につかまろうとしました。すると男は、その人物を助けるどころか、あとから来た人物を突き飛ばし、その人物を溺死させてしまったのですね。

この話、僕が初めて知ったのは高校生の時です。すごいでしょw?といっても、マンガの『金田一少年の事件簿』を読んで知った知識ですがw





この「カルネアデスの板」のお話でもあるように、ふだんは善良な人物でも、自分の身を守るために、悪魔になることもあるのです。特に戦争。人を出し抜いてでも自分だけが助かろうとするのが、悲しいかな人間の性だと思うし、僕だって例外ではありません。人間というのはそれほど強い動物ではありませんから。もちろん、マザー・テレサやヘレンケラーのように、自分がピンチになっても他人のことを常に思いやれる人もいらっしゃいますが、残念ながらそんな方はそう多くはない。

規律が厳しいといわれている日本軍とは言われておりますが、飢えの苦しみや生死の境に直面すると一変するようです。たとえば、フィリピンのルソンでは、食料がないということで仲間同士が殺し合いをはじめ、しかも殺された兵士の肉を食べたといいます・・・敵兵の人肉、友軍の人肉、そして戦友までも殺して食べたといいます。

これが勝ち戦だったり、短期決戦だったらまだよかったものの、アジア太平洋戦争当時の日本の戦いぶりは、泥沼化で、しかもインパール作戦やガダルカナル島の戦いでも見られるように無謀な戦いばかりでしたからねえ・・・・





人間がいざとなったら悪魔になっていく様を、山本七平さんが「日本はなぜ敗れるのか」という本にてまとめられております。以下、引用します。



平地で生活していたころは、人間性悪説等を聞いてもアマノジャク式の説と思っていた。ところが山の生活で各人が生きる為には性格も一変して他人の事等一切かまわず、戦友も殺しその肉まで食べるという様なところまで見せつけられた。そして殺人、強盗等あらゆる非人間的な行為を平気でやるようになり良心の呵責さえないようになった。こんな現実を見るにつけ聞くにつけ、人間必ずしも性善にあらずという感を深めた。戦争も勝ち戦や、短期戦なら訓練された精兵が戦うので人間の弱点を余り露呈せずに済んだが、負け戦となり困難な生活が続けばどうしても人間本来の性格を出すようになるものか。支那の如く戦乱飢饉等に常に悩まされえている国こそ性悪説が産まれたのだということが理解できる。




「日本はなぜ敗れるのか」は、小松真一さんという人物が書いた「虜人日記」を引用したり、解説しながら、日本軍の問題点を山本七平さんがまとめた本です。小松真一さんは農芸化学を研究していたので、生物学という視点で日本軍の誤りを指摘していたのです。

また、この本にはこのように書かれておりました。


山の生活で、糧秣は欠乏し、過労、長雨、食塩不足、栄養不良、それに加えて脚気、下痢、アミーバ赤痢、マラリヤ等により、体力が消耗しつくし、何を食べても一行回復せず、いや養分を吸収する力が無くなり、というより八〇才位の老人の如く機能が低下している。いわゆる栄養失調患者が相当数このストツケードにもいる。所内をカゲロウの如く、ふらふらと歩きまわっている様は、悲惨なものだった。食欲だけは常に猛烈だった。これは食べねば回復しないという意思も手伝っているようだが、少し多く食べればすぐ下痢をおこし、また衰弱する。それでも食べるので下痢は治らない。常にガツガツしている様は、餓鬼そのものだ。

自制心の余程強い人は良いが、そうでない人は同情を強要し、食物は優先的にたべるものと一人決めるものが多い。軍医氏の話によれば「栄養失調者は、身体の総ての細胞が老化するので、いくら食べても回復しない。それに脳細胞も老化しているので、非常識なことを平気でやるのも無理はない」という。なるほどと思われる解説だ。


この本に出てくる小松真一さんも山本七平さんも悪名高きインパールの戦いに参加したわけじゃないのですが、彼らもそのような地獄のような体験をしたのです。日本軍はつねに糧秣の欠乏に苦しんでいたため、腹ペコで栄養失調になる兵士もたくさんいたのです。しかし、そんな状況にもかかわらず、上官は根性論ばかりを振りかざす。いくら根性論を振りかざしても、生身の人間がちゃんと戦えるようにコンディションを整えてあげるのが上の人の役目だと思うのですが、残念ながら日本軍のお偉いさん方はそれができなかったようです・・・

さらに、この本から引用します。

「生物学を知らぬ人間程みじめなものはない。軍閥は生物学を知らない為、国民に無理を強い東洋の諸民族から締め出しを食らってしまったのだ。人間は生物である以上、どうしてもその制約を受け、人間だけが独立して特別な事をすることができないのだ」

「日本はあまりに人命を粗末にするので、しまいには上の命令を聞いたら命がないと兵隊が気づいてしまった。生物本能を無視したやり方は永続するものではない。特攻隊員の中には早く乗機が空襲で破壊されればよいと、ひそかに願う者も多かった」


戦争だから、人命、人命ばかり言っていられないのかもしれませんが、もう少し何とかならなかったのかと思わず思ってしまいます。

当時の軍部が生物学を知らなかったといいますが、台湾の総督だった後藤新平みたいな人が軍部にいれば違っていたかもしれない。彼は台湾を統治する際、 「ヒラメの目をタイの目にすることはできない」と語り、日本式をおしつけるのではなく、台湾の実情にあった統治を目指したといいます。医者だった後藤の台湾経営の哲学は、しばしば「生物学的植民地論」とよばれました。旧日本軍は鯛の目をヒラメにするどころか、ピラニアが100匹いる水槽に金魚をいれて、その金魚たちに「根性で生き延びろ」みたいなことをやるからおかしくなる。


これは戦争の話ばかりではなく、現代にも通じる話だと思います。たとえば某ブラック企業の社長さんが「『無理』というのはですね、嘘吐(つ)きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんです」なんて仰っていまして、それを聞いた村上龍さんが「いやいやいや、順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』んですよね?」と突っ込んでおりましたが。


※ 参考文献および参考にした番組 

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
山本 七平
角川グループパブリッシング
2004-03-10






シリーズ証言記録 兵士たちの戦争 DVD-BOX
ドキュメンタリー
NHKエンタープライズ
2010-08-27

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