政府は、決して米国産の焼夷弾の威力を知らなかったわけではないのです。政府が委嘱していた科学実験により、焼夷弾の消火が不可能であるという見解は政府部内で周知されていた。
大阪帝国大学の浅田常三郎教授(物理学)は、著書『防空科学』(積善館・昭和18年5月)のなかで、第一次世界大戦で使用された焼夷弾の性能調査を発表し、「いかなる消防でも、あるいはそれらの補助員も、一度にこれらの火事をけすということは非常に困難」、「約15〜20秒で燃えつくしてしまう」といい、焼夷弾を消せというのは無理だと結論付けたそうです。
テルミット焼夷弾(※1)については、水をかけるとマグネシウム反応により爆発が起こることから「消すことは不可能どころか、水をかけたら危険」と指摘しました。
黄燐焼夷弾(※2)についても「黄燐は非常に有毒なるゆえ、決して皮ふにつかないように」と注意を喚起したといいます。
それにも関わらず、焼夷弾に水をかけろだの、砂や土をかけろだの、そんなことを政府は言うのですね。特に黄燐は有害物質だから、近づくことさえ危険なのに。
さらに戦況がひどくなると、焼夷弾を手でつかめなんて意見さえでてきます。焼夷弾は水に浸した手袋などでその元部(火がでていないところ)を両手で持ち安全な場所に投げ出して処置しろなんて意見さえ出てくるのですね。
このほか政府は、第一次世界大戦後のヨーロッパの空襲防護技術についても研究をしておりました。一例として、スペイン内戦下のバルセロナ空襲(1938年3月)の被害状況について、内務省計画局は英国人技師の報告書「バルセロナにおける空襲に依る被害と防空施設」を和訳して冊子化しました。建物下の地下室は危険であること、地下駅は避難所として有効だったことが書かれておりました。日本の政府はこれらの情報を生かしていたかどうか疑問です。
実はナチスドイツ軍によるロンドン空襲の際、地下鉄駅が避難場所として役立ったという報告があったのです。それで、日本もそうすべきだという議員さんもいました。昭和16年(1942年)の春ごろ、貴族院の委員会で小川郷太郎鉄道大臣が「地下鉄がある程度、防空壕の作用を一部なしうることがある」と発言しました。ところが、最終的に政府が決めたのは「地下鉄道の施設は、これを待避または避難の場所として使用せしめざるものとす」、つまり地下鉄を避難場所として使わないよという方針です。この方針に従って、空襲時には地下鉄の入り口が閉鎖されてしまいました。
もちろん、すべての地下鉄が閉鎖されたわけではなく、大阪市営地下鉄は、防空要員輸送のために10分間隔で運行されたようです。しかし、優先されるのは軍隊や警察、公務員、それから消防団員と続いて、一般人は後回しにされました。昭和20年の6月以降の空襲時は地下鉄の入り口は固く閉ざされていたといいます。
日本も日本で1938年12月から中国の重慶を爆撃したのですね。重慶爆撃は非戦闘員を含む無差別攻撃だったといいます。だから、空襲の恐ろしさを日本政府が知らないなんてありえないんですね。この爆撃について大本営海軍報道部長は「我が空襲部隊は厳に軍事施設を唯一の空襲目標としていることはもちろんであるが、たまには爆弾炸裂の余勢で市民も犠牲をまぬがれないこともありうると覚悟するのが常識である」と述べたそうです。戦争だから非戦闘員が多少死ぬのは仕方がないという一種の開き直りともいえる発言でありますが、爆弾の被害は決して軽いものではないということも、この発言からうかがえます。
また、日本による投下弾が防空壕を直撃し、数千人の窒息死者がでたといいます。蒋介石が防空壕を整備したが、かえって、その防空壕で死者がでたのですね。それで1940年(昭和16年)6月22日付けの『読売新聞』には、「防空壕内での窒息事件は本年が最初ではなく、昨年のわが連続空襲に際しても同様事件が惹起じゃっきし、その時も、当局(蒋介石率いる国民党軍)は言論機関を圧迫して真相を伝えず、対策をとらず今次の惨劇を招いた。(中略)わが防空設備の万全を期する上においても、他山の石以上のものがあるように思われる」と報道されました。が、これを日本の政府は他山の石としなかったのですね。蒋介石が、空襲において対策をとらないから余計被害が大きくなったこと、しかも言論弾圧をしたことも失敗だったことも含め、日本が蒋介石を反面教師にすべきでした。
それどころか東京大空襲の前夜には「待避所(防空壕)の安全度は今のままでよい、居心地よくせよ」といったほど。この『読売新聞』の報道も政府は知らないはずはないのに。
知らなかったのあれば、仕方がないことなのですが、「知っていながら」というのが一番質が悪いのです。
※1 テルミット(サーマイト)とはアルミニウム粉末と他の金属の酸化物の粉末を混合したものである。
テルミットに着火を行うとアルミニウムと金属酸化物の間で激しい酸化還元反応が起き、その結果還元された金属と酸化アルミニウムが生成する。この反応をテルミット反応・テルミット法と言う。
また、この反応は膨大な熱の発生を伴うもので、たとえば酸化鉄との反応では約3000℃もの高温になる。テルミット焼夷弾とはテルミット反応を応用して兵器として使われたもの。
※2 黄燐の自然発火を利用したもの
大阪帝国大学の浅田常三郎教授(物理学)は、著書『防空科学』(積善館・昭和18年5月)のなかで、第一次世界大戦で使用された焼夷弾の性能調査を発表し、「いかなる消防でも、あるいはそれらの補助員も、一度にこれらの火事をけすということは非常に困難」、「約15〜20秒で燃えつくしてしまう」といい、焼夷弾を消せというのは無理だと結論付けたそうです。
テルミット焼夷弾(※1)については、水をかけるとマグネシウム反応により爆発が起こることから「消すことは不可能どころか、水をかけたら危険」と指摘しました。
黄燐焼夷弾(※2)についても「黄燐は非常に有毒なるゆえ、決して皮ふにつかないように」と注意を喚起したといいます。
それにも関わらず、焼夷弾に水をかけろだの、砂や土をかけろだの、そんなことを政府は言うのですね。特に黄燐は有害物質だから、近づくことさえ危険なのに。
さらに戦況がひどくなると、焼夷弾を手でつかめなんて意見さえでてきます。焼夷弾は水に浸した手袋などでその元部(火がでていないところ)を両手で持ち安全な場所に投げ出して処置しろなんて意見さえ出てくるのですね。
このほか政府は、第一次世界大戦後のヨーロッパの空襲防護技術についても研究をしておりました。一例として、スペイン内戦下のバルセロナ空襲(1938年3月)の被害状況について、内務省計画局は英国人技師の報告書「バルセロナにおける空襲に依る被害と防空施設」を和訳して冊子化しました。建物下の地下室は危険であること、地下駅は避難所として有効だったことが書かれておりました。日本の政府はこれらの情報を生かしていたかどうか疑問です。
実はナチスドイツ軍によるロンドン空襲の際、地下鉄駅が避難場所として役立ったという報告があったのです。それで、日本もそうすべきだという議員さんもいました。昭和16年(1942年)の春ごろ、貴族院の委員会で小川郷太郎鉄道大臣が「地下鉄がある程度、防空壕の作用を一部なしうることがある」と発言しました。ところが、最終的に政府が決めたのは「地下鉄道の施設は、これを待避または避難の場所として使用せしめざるものとす」、つまり地下鉄を避難場所として使わないよという方針です。この方針に従って、空襲時には地下鉄の入り口が閉鎖されてしまいました。
もちろん、すべての地下鉄が閉鎖されたわけではなく、大阪市営地下鉄は、防空要員輸送のために10分間隔で運行されたようです。しかし、優先されるのは軍隊や警察、公務員、それから消防団員と続いて、一般人は後回しにされました。昭和20年の6月以降の空襲時は地下鉄の入り口は固く閉ざされていたといいます。
日本も日本で1938年12月から中国の重慶を爆撃したのですね。重慶爆撃は非戦闘員を含む無差別攻撃だったといいます。だから、空襲の恐ろしさを日本政府が知らないなんてありえないんですね。この爆撃について大本営海軍報道部長は「我が空襲部隊は厳に軍事施設を唯一の空襲目標としていることはもちろんであるが、たまには爆弾炸裂の余勢で市民も犠牲をまぬがれないこともありうると覚悟するのが常識である」と述べたそうです。戦争だから非戦闘員が多少死ぬのは仕方がないという一種の開き直りともいえる発言でありますが、爆弾の被害は決して軽いものではないということも、この発言からうかがえます。
また、日本による投下弾が防空壕を直撃し、数千人の窒息死者がでたといいます。蒋介石が防空壕を整備したが、かえって、その防空壕で死者がでたのですね。それで1940年(昭和16年)6月22日付けの『読売新聞』には、「防空壕内での窒息事件は本年が最初ではなく、昨年のわが連続空襲に際しても同様事件が惹起じゃっきし、その時も、当局(蒋介石率いる国民党軍)は言論機関を圧迫して真相を伝えず、対策をとらず今次の惨劇を招いた。(中略)わが防空設備の万全を期する上においても、他山の石以上のものがあるように思われる」と報道されました。が、これを日本の政府は他山の石としなかったのですね。蒋介石が、空襲において対策をとらないから余計被害が大きくなったこと、しかも言論弾圧をしたことも失敗だったことも含め、日本が蒋介石を反面教師にすべきでした。
それどころか東京大空襲の前夜には「待避所(防空壕)の安全度は今のままでよい、居心地よくせよ」といったほど。この『読売新聞』の報道も政府は知らないはずはないのに。
知らなかったのあれば、仕方がないことなのですが、「知っていながら」というのが一番質が悪いのです。
※1 テルミット(サーマイト)とはアルミニウム粉末と他の金属の酸化物の粉末を混合したものである。
テルミットに着火を行うとアルミニウムと金属酸化物の間で激しい酸化還元反応が起き、その結果還元された金属と酸化アルミニウムが生成する。この反応をテルミット反応・テルミット法と言う。
また、この反応は膨大な熱の発生を伴うもので、たとえば酸化鉄との反応では約3000℃もの高温になる。テルミット焼夷弾とはテルミット反応を応用して兵器として使われたもの。
※2 黄燐の自然発火を利用したもの