history日誌

1 てやの大出世
 「歴史秘話ヒストリア」で大奥おおおくの事が取り上げられていました。とても興味深い内容でした。

大奥で出世する方法や幕末の大奥御年寄おとしより瀧山たきやま(※1)の話も良かったのですが、大奥の女中じょちゅうだった桂川rt>かつらがわてやの話が特に印象に残りました。今日は”桂川てや”の話を。

桂川てやは御典医ごてんい(※2)のむすめでした。じゃあ金には困っていないジャンと思うかもしれませんが、父は年をとっていて、息子も医者ではあったが、まだ半人前でした。

今で言う研修医けんしゅういみたいな感じでした。だから、てやの家はお金の余裕よゆうがあまりなかったのです。

それで、”てや”は家族を養うためになんと12才で大奥で女中として働く事になります。12才といったらまだ小学校6年生です!?

”てや”は一生懸命いっしょうけんめい働き、花町という奥女中の先輩せんぱい広大院(※3)にも認められ、なんと13歳で御中籠(おちゅうろう)に出世しました。中学生1年生位でこれだけ出世するとは大変なことです。

え?御中臈(おちゅうろう)って何かって?ええと、毎年7月ごろにお世話になった人に菓子よりだとかビールだとかを送る・・・それはお中元w

調べによると、御中臈とは御台所みだいどころ(※4)の身辺のお世話をする人のことだそうです。


※1 ,16才で江戸城大奥にあがる。徳川家慶(いえよし)の侍女となり,のち年寄。家慶から慶喜(よしのぶ)まで4代の将軍につかえ,江戸開城まで大奥につとめた。明治9年1月4日死去。71才。ちなみに御年寄とは大奥の役職で大奥で一番の実力者で、老中ろうじゅうにも匹敵ろうじゅうするほど

※2 将軍かかりつけの医者

※3 徳川11代将軍徳川家斉とくがわいえなりの正室(奥さん)。島津重豪しまづしげひでの娘。島津重豪は薩摩藩さつまはん(鹿児島県)の藩主。
※4 将軍の奥さん。正室。




2 てやが望んでいた事。

 順調に出世をしていった”てや”ではありましたが、彼女が望んでいたのは実家に帰ることでした。

てやは、医者であるお兄さんが一人前になった時に大奥の女中をやめようと考えました。幼いころから親兄弟とはなれて暮らしたんだもの、無理もありません。それに、”てや”も年ごろで、こいだってしたい年ごろですし。

やがて月日が流れ、”てや”が16歳になった時、”てや”に不幸が訪れます。皆さん、いよいよ今日のその時がやってまいりますw

3 てやに降りかかる悲劇
 江戸城は火事になってしまいました。当然大奥も被害ひがいを受けました。あたりが火の中で、”てや”は何とか上司の広大院を探しだします。しかし、今度は花町という大奥の仲間が見当たりません。”てや”にとって花町は自分を引き立ててくれた恩人でもありました。

広大院は花町を助けよと”てや”に命じました。

”てや”は花町を助けるべく、燃え盛る火の中へ飛びこんでいきます。「この行灯を持っている死体があったらそれは私です」という言葉を近くにいた女中に言い残して。

火が治まったのち、行灯を強くにぎった死体がみつかります。その死体はてやだという事がわかったのです。16才の短い命でした。かわいそうに・・・

自分の主のため、世話になった人間のために命を投げ打つなんて「忠臣蔵ちゅうしんぐら」のようです・・・

最愛の娘の死を知った父は、亡き娘の絵をいたそうです。その絵は今も残されています。ヒストリアでも、その絵が紹介しょうかいされましたが、本当にきれいな人だなって思いました。


大地の子 全集 [DVD]


ラストエンペラー 末代皇帝 溥儀 5 【DVD】
ラストエンペラー 末代皇帝 溥儀 5 【DVD】



こころの湯 [DVD]
こころの湯 [DVD] [DVD]


「大地の子」を前に見たことがあります。中国残留孤児ちゅうごくざんりゅうこじの主人公と主人公の実の父親が中国と日本の戦後の歴史に翻弄ほんろうされながらも生きていくという名作です。

この作品はなみだなしでは見れなかった作品ですが、中国人の養父ようふ役を演じた朱旭(チュウ・シュイ)さんの演技がとても印象に残っていました。日本人の子供を、戦争でいがみ合ったことを乗り越えて、まるで実の子供のように優しく献身的に育てる父親を見事に演じていました。

朱旭さんの足跡そくせきについて調べてみたのですが、彼が映画デビューをしたのは意外に遅かったようです。彼が映画デビューしたのは彼が50さいの時だそうです(1984年)。

それまでは舞台俳優ぶたいはいゆうだったそうです。シロウトくささを感じさせないのは、舞台ぶたいでのキャリアが生きていたからかもしれません?

舞台と映画では勝手がちがうから、朱旭さんも初めはとまどったそうです。劇場に入るお客さんの数は知れているし、回数も少ない。しかし映画に出るようになってから多くの人に知られるようになっておどろいたとか。

有名になれば、人によっては「オレはえらいんだぞ」っていきがる人も出てきます。が、彼は「少し人気が出たり顔が知られても、それを意識せず、おごりたかぶるな」ということを自分に言い聞かせてきたのです。彼の最近の写真を見たことがあるのですが、本当に人柄ひとがらがよいおじさまに見えます。

ちなみに、文化大革命ぶんかだいかくめいのときは朱旭さんの所属していた北京人民芸術劇院ぺきんじんみんげいじゅつげきいんもヒドイ目にあったそうです。朱旭さんだけでなく、同じ劇団員で彼のおくさんもやはりヒドイ目にあったとか。

「大地の子」で主人公の実の父親役を演じた仲代達也(なかだいたつや)さんと朱旭(チュウ・シュイ)さんは、戦争の話をふくめていろいろな話をしたそうです。

後に朱旭さんはこう語っています。

『大地の子』に出演できてよかったと思っています。仲代達也さんと出会えて、仲代さんの戦争時代の話をきいて、戦争で苦しんだ日本人も大勢いたということがわかったからです



※参考文献 


中国映画の明星 朱旭・姜文・張藝謀・張國榮


時は五大十国の時代。日本で言えば平安時代ごろです?当時の中国はいくつかの国に分かれていて争っていました。いわゆる戦国時代のお話です。

その時代に李克用(りこくよう)という大将がいましたが、病気になってしまいます。李克用は息子の李存勗(り そんきょく)を呼び寄せ、三本の矢を見せました。

李克用の三人のライバルをこの矢でたおせという遺言ゆいごんを残したのです。三人全員を倒せなくても、李克用の宿敵、朱全忠(しゅぜんちゅう)だけでも息子に倒してもらいたかったのかもしれません。

三本の矢と聞いておどろきました。

日本で「三本の矢」といえば三ツ矢サイダーじゃなかったw毛利元就(もうりもとなり)が有名ですが、中国にも似たような話があったとは。

実は、この話、歴史マンガで知りました。歴史マンガもバカにできませんね。

それからしばらくして、朱全忠(しゅぜんちゅう)は自分の息子に殺されてしまいます。

その混乱に乗じて、李存勗(りそんきょく)はしゅ一族が治める後梁こうりょうめこみました。後梁を滅ぼした李存勗は後唐こうとうという国を建国しましたが、李存勗(りそんきょく)は政治に関心をもたずゼイタクばかりして遊んでいました。

李存勗(りそんきょく)は人々のウラミを買い殺されました。それで後唐は滅亡めつぼう。宿敵の朱一族を倒した事で油断したのかもしれません。



※参考文献 『学習漫画 中国の歴史 5』(集英社)

中国の歴史〈5〉宋王朝と北方民族の興隆―五代十国・宋・遼・金時代 (集英社版・学習漫画)

先週の「なんでも 鑑定団かんていだん志野焼しのやきうの平鉢が取り上げられました。

僕もテレビで見たのですが、何とも味のある平鉢ひらばちだと思いました。

プライスは300万円でした。

作られた時期が比較的ひかくてき新しいこともあって、依頼人いらいにんの評価額の500万円には届きませんでした。

作られた年代がもっと古かったらもっと高い値段がついたでしょう。

ちなみに僕は大野鈍阿(おおのどんな)の名前は、こないだの放送で始めて知りました。

大野鈍阿とはどういう人物かというと、ウィキペディアの解説によると明治から昭和初期にかけて活やくした陶芸家とうげいかだそうです。

そして彼は益田鈍翁(ますだどんおう)という人物にまぬかれて、彼の元でやきものを作りました。

益田鈍翁とはどのような人物でしょう?

なんと、益田鈍翁は三井物産の初代社長である益田孝(ますだたかし)なのです。

何でも「鈍翁」という号は彼の持っている茶器の「鈍太郎どんたろう」にちなんで名づけたそうです。

彼は井上馨(いのうえかおる)に気に入られ、大蔵省に入省し、その後、三井物産みついぶっさん設立せつりつしました。また、中外商業新報ちゅうがいしょうぎょうしんぽう(のちの日経新聞)という新聞も作った大変やり手の人物です。

彼の顔写真を拝見はいけんしましたが、若いときはものすごい凛(りん)としているなと思いました。

年をとっても品の良く、しかも威厳いげんのある顔をしていると思いました。なにせ29さいで三井物産の社長になったのだからすごいですね!!

さて、明治のころの日本は欧米おうべいからすすんで文化を取り入れた時代でした。

。そうした中で日本の文化がどんどんおとろえていきます。

戦国時代のころは盛んだった茶道も例外ではありません。

それに危機感を感じたのが益田孝でした。益田孝は一流の茶人でもあり、知人を自分の茶室に招いては、茶会を開いていたそうです。

風流だねえ〜。ちなみにその茶室は小田原にあるそうです。小田原といえばたびたび僕も骨董市こっとういちでいきます。それがどうした?とつっこまれると困りますがw

そして益田孝は茶器コレクターでもありました。番組でも益田孝のコレクションが取り上げられたけれどセンスがいい。ゆずってもらいたいくらいw

大野鈍阿は益田のコレクションを基にして、新作の陶芸とうげいを次々とつくり、うでをみがいていったのです。

晩年の大野鈍阿は東京の等々力とどろきでやきものをつくっていたそうです。

益田鈍翁をめぐる9人の数寄者たち
益田鈍翁をめぐる9人の数寄者たち
クチコミを見る







活きる 特別版 [DVD]
コン・リー
ハピネット・ピクチャーズ
2003-11-27





1 チャン・イーモウの『きる』


 先週、中国映画の巨匠きょしょう、張 芸謀 (チャン・イーモウ)監督かんとくの映画『活きる』を観ました。ビデオ屋で半額セールをやっていたので、ビデオ屋で映画を借りてきたのです。

あらすじは見てのお楽しみですが、命の尊さと家族や仲間が助け合う事の大切さを見事にえがいた作品です。

映画に出演したコン・リーさんは本当に演技のうまい人だと思いました。夫を健気けなげに支えるつまを見事に演じています。

その夫というのが、大変な遊び人でバクチで家を破産させてしまいます。

が、夫は影絵かげえの才能があり、そのおかげで(収入はわずかながらも)なんとか妻と子供を養っています。貧しいながらも幸せな人生を送ってきた家族に次々と不幸がやってはきますが・・・

さて、この映画は40年代から60年代までの中国が描かれていて、中国の歴史を知らない人が見ても感動する映画です。

今日はこの映画と中国の歴史を、ちょっと長くなりますが、オーバーラップしてみます。


2 50年代の中国 大躍進運動だいやくしんうんどう


 1949年に共産党が国民党との戦争に勝ち、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくを建国しました。貧しい労働者のための理想的な国としてスタートを切りました(はずであった)。

映画にも共同食堂(おそらく無料)で人々が、もくもくと食事をしているシーンが出てきます。貧乏びんぼうで食べるものに困っている人には、こういった施設しせつはありがたいかもしれません。その一方で地主などの金持ち階級がひどい弾圧だんあつを受けたそうです。

50年代の後半に中国政府は大躍進政策だいやくしんせいさくを行いました。

この映画では自転車やナベなどの鉄製品をあちこちから集めて、それらをかして製鉄をしているシーンが出てきます。まるで戦中の日本人のように、人々はる間も惜しんで鉄を作ったが、そんな苦労もむなしく出来たのは小さな鉄でした。

とても実用化できるような代物にはみえないのですが、市民達はとっても満足そうでした。そんな場面も映画に登場します。

3 60年代の中国 文化大革命ぶんかだいかくめい

 60年代に文化大革命が起きました。

このとき、小平(とうしょうへい)たちは共産主義国家の中国でも資本主義のよいところを取り入れようとしたが、毛沢東(もうたくとう)や4人組らは小平たちを走資派そうしは(資本主義者の手先)として糾弾きゅうだんしました。権威主義打倒けんいしゅぎだとうというのもこのころいわれていたことです。

子が親を学生が先生を糾弾されたり、影絵や京劇きょうげきといった中国の伝統芸能もこの時代に弾圧だんあつされました。

この映画にも、看護学校の女生徒たちが教授をリンチし、病院から追い出してしまい、看護学校の生徒が教授の代わりに医者をやっているというおかしな光景が出てきます。






オマケ 

この映画の主人公の特技である影絵の動画が見つかったのでご紹介します。



活きる
活きる
クチコミを見る

このページのトップヘ