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むかし朝鮮半島ちょうせんはんとうで新羅(しらぎ)という王朝が栄えていました。この新羅は非常に仏教を重んじた国でした。今日は、韓国の仏教が栄えていた新羅時代について。日本でいえば飛鳥時代から平安時代初期までの間でしょうか?

朝鮮半島にはじめて仏教が伝わったのは372年。高句麗(こうくり)という国に広まりました。4〜7世紀ごろの朝鮮半島は百済(くだら)、新羅、高句麗の三つの国が合い争っていました。いわゆる朝鮮半島の三国時代です。

百済とは朝鮮半島南西部にあった国。この地域は古くから、日本と強いつながりがあったそうです。その百済には384年に仏教が伝わりました。日本に仏教を伝えたのも百済だったそうです。

高句麗と百済をたおした新羅が、7世紀後半(676年)に朝鮮半島を統一しました。新羅の国も大変仏教がさかんな国で、新羅の国王は、仏教の力で国を敵国てきこくから守る「護国仏教」(ごこくぶっきょう)という考えにもとづき、国をあげて仏教を普及ふきゅうさせました。要するに仏教の力で国を治めようとしたのでしょう。仏国寺などの建築物も建てたそうです。

ウィサン(義湘)というえらいお坊さんも活やくしました。ウィサンはほぼ10年、唐(とう)で修行をしました。ウィサンは新羅に帰国すると、お寺を次々と建立し、そして唐で学んだ華厳思想けごんしそうを朝鮮に広めたそうです。

しかあしw、貴族たちの腐敗ふはいや王族や豪族ごうぞく達の権力争いで国は多いに乱れていました。

農民達は貴族や王族達から高い税金を取られ、食うにも困るような苦しい生活をしていました。いわば勝ち組がゼイタクばかりをしたり、くだらぬ権力争いをして、負け組たちはそんな勝ち組のゼイタクのために苦しんでいたそうです。まったく、どこかで聞いたような話ですなあw

ボウズはボウズで国から大事にされている事を良い事に、えばっていたそうです。農民の中にも「こんな苦しい思いをするのなら、おぼうさんになったほうがいい」と思った人もいたかも???

それで、貧しい人たちを仏の教えで救おうという人たちが出てきます。それが次のポイントに出てくる元暁(ウォンヒョ)。

ウォンヒョ(元暁)上人はウィサン(義湘)と共に、唐(とう)に修行に向かおうと出発しました。しかし、ウォンヒョは旅の途中とちゅうさとってしまいました。

「すべては自分の心の持ち方次第なのだ」(唐で学ぶ事はない)と。

さとりをえたウォンヒョはウィサンと別れ新羅(しらぎ)にもどりました。新羅で地道に仏教の布教活動を行いました。ウォンヒョは、権力者に近づいたり、りっぱな寺を建てたりせず、とても質素しっそ(※1)な生活をしていたようです。

また、ウォンヒョは戒律かいりつ(※2)をやぶって結婚けっこんもしたそうです。今では結婚しているお坊さんが多いですが、昔はいけない事だったそうです。


※1  生活などがぜいたくでなく、つつましくて倹約なこと。また、そのさま
※2 仏教の決まりごとのようなもの。

※ 今回の記事はNHK高校講座「世界史」を参考にしました。また、以下の本も参考にしました。


マンガ ものがたり韓国史〈1〉檀君神話から統一新羅まで
マンガ ものがたり韓国史〈1〉檀君神話から統一新羅まで [コミック]