川島芳子はジャンヌ・ダルクにあこがれていたそうです。そう中世ヨーロッパで起きた100年戦争で活躍かつやくしたフランスの聖女です。

学生時代、彼女はノートに「ジャンヌ・ダルク」という文字であこがれは相当なものだったようです。

川島芳子がジャンヌ・ダルクにあこがれたきっかけはジャンヌ・ダルクの伝記です。芳子はこのジャンヌ・ダルクの伝記を夜10時ころまで読んでいたそうです。

女だてらに祖国そこくのために戦ったジャンヌ・ダルクがカッコいいとおもったのでしょう。清朝復興しんちょうふっこうの夢を(父親から)たくされた芳子は、ジャンヌ・ダルクと自分を重ね合わせたのかもしれません。

ある日学校で、芳子はジャンヌ・ダルク気取きどりで「私に三千の兵隊があったら、シナをとって見せるんだけれども」だれかれの別もなく言いふらして得意になっていたそうです。

それで芳子のクラスメートが「川島さん、あんた女のくせにシナを取るなんて、チャンチャンボーだって、女なんかに負けはしないわよ」と芳子に語ったそうです。

すると芳子はいかり出して、そのクラスメートにビンタを食らわせたそうです。

「私のジャンヌ・ダルクの夢をぶちこわしたのもしゃくだったが、チャンチャンボーという言葉も気に入らず」と芳子は思ったそうです。

チャンチャンボーとは当時の日本人の中国人をバカにした言葉です。日清戦争、日露戦争にちろせんそうと数々の戦いに勝利し、列強れっきょ>の仲間入りをした日本は中国を見下していたのでしょう。


いつかはジャンヌ・ダルクのようになりたいとおもった芳子。大人になった芳子は女スパイとして大活躍だいかつやくをしました。祖国復興そこくふっこうのために戦いました。まさに東洋のジャンヌ・ダルクです。

しかし、祖国のために戦ったジャンヌ・ダルクの最後は本当に不幸だった(処刑しょけいされた)のは歴史が証明するとおり。川島芳子もジャンヌ・ダルクと同じように処刑をされてしまいます・・・

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