1 ソ連も中国もナゾの国だった

ロシア(旧ソ連)といって何を連想しますか?

「北方領土返せ!」

街宣右翼がいせんうよくか!?w

僕はロシアと聞いて連想するものはボリショイサーカスです。

ボリショイサーカスは子どものころに父親につれてってもらったことがあります。





しかし旧ソ連が今の北朝鮮のように悪の帝国とよばれていた時代があったことを知ったのはわりと最近のことです。中国も1972年に国交を回復するまでは今の北朝鮮のようなナゾの国だったそうです。何か信じられないなあ。

今日は旧ソ連と中国の関係をちょっとだけね

2 初めは仲が良かった中ソ

 中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく(中国の正式名称せいしきめいしょう)は1949年に建国されたが、当時の中国はソ連から大変な援助えんじょをしてもらいました。

そのため中国のリーダーだった毛沢東(もうたくとう)はソ連との関係を重要視しました。

おとなりの国だったということと、同じ社会主義国家だったということもあって二つの国は仲良しでした。


3 両国の関係が悪くなった

 けれど、そんな二つの国の間にヒビが入るのはスターリンが死んで、フルシチョフがソ連の実権をにぎってから。フルシチョフはスターリンを批判し、西側諸国に歩み寄りました。特にアメリカに。

キューバ危機という緊張関係きんちょうかんけいもあったものの、部分的核実験禁止条約ぶぶんてきかくじっけんきんしじょうやくを結んだり、ホットライン(モスクワとワシントンを電話でつなぐ)を結んだりしたのでした。

4 中ソの対立
こうしたソ連の平和共存路線を中国、特に毛沢東はよく思いませんでした。ソ連の態度は裏切りにしか映らなかったのでしょう。

中国は、1950年に起こった朝鮮戦争ちょうせんせんそうでは命がけで西側諸国から社会主義陣営(北朝鮮)を守りました。

北朝鮮だけでなく、北ベトナムを守っている中国にとって、アメリカを初めとした西側諸国はまさに敵でした。

ソ連と中国は段々気まずくなり、しびれを切らしたソ連は、中国に対する援助えんじょをやめてしまいました。当然中国はおこりました。


5 こじれるばかりの二つの国
 
 当時の中国は大躍進運動だいやくしんうんどう真っ最中まっさいちゅうで、毛沢東(もうたくとう)らの失政しっせいと天災のために多くの餓死者がいしゃを出しました。

それを毛沢東ら中国の指導者達は、ソ連が援助えんじょをやめたから餓死者がでたのだと開き直ったそうです。

その後、中国は、部分的核実験禁止条約ぶぶんてきかくじっけんきんしじょうやくに反発するかのように核実験かくじっけんをおこない、たびたび両国は国境のあたりで紛争ふんそうをやったそうです。中国共産党の機関紙『人民日報じんみんにっぽう』でも特集を組んで、ソ連共産党を批判しました。

6 西側に近づく中国

 そうやってソ連と対立を深める中、中国は中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん)に代わって国連の常任理事国となり、アメリカや日本と国交を結びました。ソ連に対するあてつけのようですが、西側諸国と親しくすることで経済発展をすすめようという思惑おもわくが中国にあったからでしょう。

1980年に行われたモスクワオリンピックは日本やアメリカなどの西側諸国と同じく、中国は出場をボイコットしたそうです。

ソ連と中国が仲直りをするのはゴルビーことゴルバチョフがソ連の指導者になってからです。

中ソの対立は、まるで子どものケンカにも見えますが、こういったことで迷惑めいわくをこうむったのは両国の国民達だと思われます。