わが夫、溥儀―ラストエンペラーとの日々
前回の記事で取り上げた溥傑のお兄さんである溥儀にまつわるお話をします。溥儀には奥さんがいました。その人の名前を李淑賢。といいましても溥儀は初婚ではありません。バツイチです。溥儀が満州の皇帝だったころ、婉容というお妃がいました。そして、もう一人側室がいたそうです。で、婉容と溥儀の二人の生活は最悪で、夫婦のすれ違いや自由のない生活のストレスが重なり婉容もアヘン中毒にかかって、最後は狂人になって39歳の若さで亡くなってしまうのです。
で、李淑賢 の書いた本を読ませてもらいましたが、夫である溥儀に負けないくらい波乱に満ちた半生だったようです。
二人は結婚してから大変な思いをしましたが、それでも夫との夫婦生活はとても充実していて幸せだったことを知りました。そして溥儀が子供のような純粋な心を持ったやさしい人だということも理解できました。
李淑賢 は大変まずしい家庭に生まれ、少女時代は苦労をしたそうです。いちど結婚をしたが、最初の結婚はうまくいかず離婚したそうです。身分が違いすぎるとはいえ、最初の結婚生活がうまく行かなったところは溥儀と同じでした。
それから、バツイチの彼女の元に縁談が持ち上がりました。そのときの相手がラストエンペラーことruby>溥儀だったのです。
さいしょ、李淑賢は最初の結婚生活で懲りている上に、「相手が自分とは身分がちがう人だから、結婚なんてとてもとても」と思っていたようです。
結局、元皇帝の溥儀と一般人である、李淑賢は結婚をすることになりました。溥儀は皇帝だったので、人にやってもらうことはあっても、自分で何かをするなんてことはありませんでした。だから、炊事(※1)だとか縫い物、身支度などが満足にできません。顔を洗うときも周りを水だらけにして、上着までびしょぬれにしちゃうほどだったとか。ご飯を食べるときもボロボロこぼしたといいます。
そんな溥儀を妻の李淑賢はがんばって彼をサポートしました。まるでダメ亭主としっかり者の女房のようですが、それでも二人は幸せだったようです。
溥儀は妻の李淑賢ことを死ぬまで気づかったようです。溥儀は何不自由のない皇帝の生活よりも、平民で決して豊かとはいえないが、今の結婚生活のほうが幸せだと語っていたそうです。
しかし、そうした二人の幸せな生活も長くは続きません。溥儀もガンにかかってしまったのです。しかも、溥儀が病気になった時期というのが、悪いことにちょうど文化大革命の真っ最中でした。昔、皇帝だったという理由と満州国皇帝として日本に協力したという理由で、満足な治療が受けられなかったそうです。
文化大革命というのは、毛沢東が党内で権力闘争をおこし、その余波が中国国民にも及んだ出来事です。それは、1965年から10年間続きました。この時期、先生だとか親だとかともかくエライ人が嫌われた時代でした。紅衛兵(※2)と呼ばれる若者達は、先生だとかエライ人たちをリンチしたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=9DjOrC_PGWI&feature=youtube_gdata_player
(紅衛兵のことが出てくる動画)
※1 食物を煮たきして調理すること
※2 中華人民共和国の文化大革命時期に台頭した全国的な青年学生運動。毛沢東を支持し、教師だとか親だとか権威的なものを攻撃した。
前回の記事で取り上げた溥傑のお兄さんである溥儀にまつわるお話をします。溥儀には奥さんがいました。その人の名前を李淑賢。といいましても溥儀は初婚ではありません。バツイチです。溥儀が満州の皇帝だったころ、婉容というお妃がいました。そして、もう一人側室がいたそうです。で、婉容と溥儀の二人の生活は最悪で、夫婦のすれ違いや自由のない生活のストレスが重なり婉容もアヘン中毒にかかって、最後は狂人になって39歳の若さで亡くなってしまうのです。
で、李淑賢 の書いた本を読ませてもらいましたが、夫である溥儀に負けないくらい波乱に満ちた半生だったようです。
二人は結婚してから大変な思いをしましたが、それでも夫との夫婦生活はとても充実していて幸せだったことを知りました。そして溥儀が子供のような純粋な心を持ったやさしい人だということも理解できました。
李淑賢 は大変まずしい家庭に生まれ、少女時代は苦労をしたそうです。いちど結婚をしたが、最初の結婚はうまくいかず離婚したそうです。身分が違いすぎるとはいえ、最初の結婚生活がうまく行かなったところは溥儀と同じでした。
それから、バツイチの彼女の元に縁談が持ち上がりました。そのときの相手がラストエンペラーことruby>溥儀だったのです。
さいしょ、李淑賢は最初の結婚生活で懲りている上に、「相手が自分とは身分がちがう人だから、結婚なんてとてもとても」と思っていたようです。
結局、元皇帝の溥儀と一般人である、李淑賢は結婚をすることになりました。溥儀は皇帝だったので、人にやってもらうことはあっても、自分で何かをするなんてことはありませんでした。だから、炊事(※1)だとか縫い物、身支度などが満足にできません。顔を洗うときも周りを水だらけにして、上着までびしょぬれにしちゃうほどだったとか。ご飯を食べるときもボロボロこぼしたといいます。
そんな溥儀を妻の李淑賢はがんばって彼をサポートしました。まるでダメ亭主としっかり者の女房のようですが、それでも二人は幸せだったようです。
溥儀は妻の李淑賢ことを死ぬまで気づかったようです。溥儀は何不自由のない皇帝の生活よりも、平民で決して豊かとはいえないが、今の結婚生活のほうが幸せだと語っていたそうです。
しかし、そうした二人の幸せな生活も長くは続きません。溥儀もガンにかかってしまったのです。しかも、溥儀が病気になった時期というのが、悪いことにちょうど文化大革命の真っ最中でした。昔、皇帝だったという理由と満州国皇帝として日本に協力したという理由で、満足な治療が受けられなかったそうです。
文化大革命というのは、毛沢東が党内で権力闘争をおこし、その余波が中国国民にも及んだ出来事です。それは、1965年から10年間続きました。この時期、先生だとか親だとかともかくエライ人が嫌われた時代でした。紅衛兵(※2)と呼ばれる若者達は、先生だとかエライ人たちをリンチしたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=9DjOrC_PGWI&feature=youtube_gdata_player
(紅衛兵のことが出てくる動画)
※1 食物を煮たきして調理すること
※2 中華人民共和国の文化大革命時期に台頭した全国的な青年学生運動。毛沢東を支持し、教師だとか親だとか権威的なものを攻撃した。
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