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日本人と英語 ――もうひとつの英語百年史
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明日は、終戦記念日と言うことで、戦争にまつわるお話をいたします。

大正や昭和初期のころにも英語を必死で勉強する人も結構いましたが、なかなか日本人の英語のレベルはあがりません。そのため、「英語なんて勉強する必要は無いんじゃないか?」ってムードが少しづつでてきました。そこへアメリカが排日運動はいにちうんどうを行ったもんだから、アメリカどころか英語までにくむ言論人達が現れました。

その言論人の一人が東京帝国大学教授の藤村作(ふじむらつくる)。彼は「中等学校での英語科廃止はいしの急務」という論文を昭和2年ごろに発表し、当時の日本人にも大きな反響はんきょうがありました。藤村作は外国語学習は時間のムダだからやめるべきだといったそうです。英語が苦手で赤点ばかりの生徒さんには藤村作は神様のような存在かもしれませんw?

太平洋戦争が起こってから、反欧米はんおうべいの機運が高まりました。英語は「敵の使う言葉」(敵性語)と言われるようになりました。英語だけでなくカタカナ英語も禁止されました。例えば「ニューヨーク」は「入浴」w「紐育」と表記され、野球の「ストライク」、「アウト」、はそれぞれ、「よし一本」、「ひけ」、と言いかえられました。さらに、音楽では「ドレミファ」が「ハニホヘ」になりました。しかも、当時ラジオで放送されていた英語講座まで放送中止になりました。

まさに「ボウズにくけりゃ袈裟(けさ)まで憎し」(※1)ですね。一方、当時のアメリカは敵国である日本を徹底的に研究したそうです。

「バッカじゃなかろうか ルンバ♪だねwだから日本は負けたんだよw」と言いたいところですが、政府が外来語の言いかえを奨励しょうれいしたり、英語を使った者をばっしたわけじゃないのです。意外ですね。政府よりも、マスコミが「英語は敵性語」とあおったことが大きかったそうです。まったくロクな事をしねえなあw

戦況が悪化していくなかで、学校教育における英語の時間も減らされたり、教科書に親英気分をかもし出すような文章の掲載けいさいを禁止したりと政府の圧力も多少はありました。

でも、削減されただけで学校教育で英語が完全に無くなったワケじゃないそうです。特に、国際社会で活躍するようなエリートを養成する学校は英語学習をそうとう熱心にやっていたそうです。国際社会をわたり歩くには英語は必要だということで。エリートにはちゃんと国際感覚を身に付けさせて、そうじゃない人達には、英語をきちんと学ばせるどころか、マスコミや変な風評ふうひょうおどらされて、「鬼畜米英」(きちくえいべい)とさわぐばかり・・・

陸軍は知らないが、海軍も普通に英語を使っていたそうですね。知り合いのこっとう業者さんで、元海軍さんがいらっしゃるのですが、その方も海軍時代に英語の勉強もしたし、実際に英語も使ったとおっしゃっていました。

※1 その人を憎むあまり、その人に関係のあるものすべてがにくくなるというたとえ。


(この記事は2010年の秋ごろに書いたモノを加筆修正したものです)