(この記事はウィキペディアとヤフー知恵袋を参考にしました。)

前回のエントリで『勧進帳』かんじんちょうのお話をしましたが、今日は12月14日ということで『忠臣蔵』ちゅうしんぐらにまつわるお話しをします。

大石内蔵助おおいしくらのすけが、吉良邸討きらていうち入りのために江戸に向かいました。



大石内蔵助は垣見五郎兵衛(かきみ ごろべえ)というニセの名前を使っていました。


ところが、東海道にある宿で大石は本物の垣見五郎兵衛とばったり出くわします。

当然、本物の垣見はおこります。「オレの名前を勝手に使うんじゃねえ!」

一方で、大石も負けていません。「何言っていやがる。オレこそ本物の垣見五郎兵衛だ!」と。

垣見は「お前が本当に垣見五郎兵衛なら、通行許可書(手形)をみせよ」と大石にせまります。

そこで、大石は『勧進帳』の故事こじにならって白紙の通行許可書(通行手形)を見せます。白紙の許可書をみた垣見は「『勧進帳』のマネをして許してもらおうなんてそうはいかねえぜ!」って思った事でしょう。

で、垣見が長持(通行許可書を入れる木箱)をみたところ、長持に浅野家の家紋かもんがありました。その家紋をみた垣見は大石の気持ちをおもって、目になみだかべながら「これを使ってください。そして、本望を成し遂げてください。」といって自分の許可書をわたしてしまいます。

あだ討ちをして、主君の無念を晴らそうとしている大石らの心意気に垣見は感動したのでしょう。

これが『忠臣蔵』の「東くだり」のエピソードです。垣見五郎兵衛の男意気に感動しますね。

と言いたいところですが、実は「大石の東くだり」のエピソードは史実ではありません。「大石の東くだり」は映画や歌舞伎かぶきに出てくる作り話だそうです。垣見五郎兵衛は実在の人物のようですが。

大石が垣見五郎兵衛と名乗って江戸へ向かった可能性は考えられますが、本物の垣見五郎兵衛と大石がかちあったことを裏付ける資料はないのです。