※ この記事はウィキペディアを参考にしました。

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戦国武将の石田三成がじんを構えた古墳こふんがあるのをご存知でしょうか?

それは、埼玉県さいたまけんのさきたま古墳群こふんぐんひとつ、丸墓山古墳(まるはかやまこふん)です。さきたま古墳群にはいくつもの古墳がありますが、この古墳は他の古墳よりも高さがあります。

この古墳は豊臣秀吉の軍勢が忍城(おしじょう)にめこむ際に、豊臣秀吉の家臣の石田三成がこの丸墓山古墳に陣を構えていたのです。石田三成がここに陣を構えたのは、この古墳の頂上から忍城を望むことができたからです。

ちなみに豊臣勢の忍城攻めは、小説になりました(「『のぼうの城』。映画にもなった)




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(忍城の写真。)


さらに、石田三成は難攻不落なんこうふらくの忍城を攻略するために、水攻め(※1)を行ったようです。忍城の周辺をつつみでぐるりと囲んだようです。その堤の長さは総延長28kmにもおよんだそうです。

堤が完成した後、利根川とねがわ荒川あらかわの水を堤に引き入れたのですが、城にはあまり水がたまらなかったようです。

その後、増水したため、堤がこわれてしまい石田の軍勢にもおぼれて亡くなった人も沢山でてきて、水攻めは失敗に終わったようです。



※1  川をせき止め、その水を敵の城の周囲に導入し て孤立こりつさせること。あるいは、敵の給水路をち、飲料水いんりょうすい欠乏けつぼうさせ苦しめること。.




(石田堤の動画)

*この記事は2014年5月18日に書いたものを加筆修正しました。