http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vit_ex/vit_ex2.html#


広島の平和記念資料館に、さびていまにもこわれそうな三輪車と鉄のかぶとが展示されております。この三輪車と鉄のかぶとの持ち主が、鉄谷伸一(てつたに・しんいち)ちゃんという男の子でした。


伸一しんいちちゃんは当時3歳でした。この伸一しんいちちゃんのお話は、絵本にもなりました。

伸一しんいいちゃんの一家は、お父さん、お母さん、おばあちゃんに、しんちゃん、お姉さんの路子(みちこ)ちゃんと生まれたばかりの妹の洋子ちゃんの6人家族でした。

8月6日、伸一しんいちちゃんの家は爆心地ばくしんちから1500メートルほどしか離れていなかったので、爆風ばくふうで家がこわれてしまったのです。伸一しんいちちゃんのお父さんは、伸一しんいちちゃんのお母さんを助けるのがやっとでした。

伸一しんいちちゃんは庭で三輪車にのったまま被ばくをしたのです。庭でたおれていた伸一しんいちちゃんを、たまたま外に出ていたおばあちゃんに助けられました。


けれど、伸一しんいちちゃんは、原爆の熱線のためにひどいヤケドを負い、その日の夜に亡くなりました。

伸一しんいちちゃんのお父さんは、3歳の子どもを一人でおはかに入れてはさみしいだろうと思い、大好きだった三輪車と一緒に、自宅の裏庭に伸一しんいちちゃんのなきがらをうめたといいます。

伸一しんいちちゃんといっしょに遊んでいて死んだ近所の女の子と手をつながせ、三輪車と共に庭にうめました。

それと、お姉さんの路子(みちこ)ちゃんと洋子ちゃんも原ばくで亡くなったそうです。

原ばく投下から40年後の1985年の(昭和60年)の夏、お父さんは、伸一しんいちちゃんのなきがらを庭からり出して、お墓に納めたそうです。




※ おまけ


今日は平和へのいのりをこめて合唱曲「折り鶴 おりづる 〜 平和への祈りを込めて 〜 」を。