1 本当にむかしの日本人はモラルが高かったか?
「むかしの日本人はモラルが良かった。それは『教育勅語』を学んだからだ」という意見をききますが、本当にそうでしょうか?
例えば列車の乗客のマナーはひどかったそうですよ。1936年(昭和11年)、大阪ロータリー倶楽部が実施した『公衆道徳に関する調査蒐録』です。日常において、公衆の場において「ひどい」とか「きたない」、「迷惑だ」と感じる行為について、市民にアンケート調査をしたものをまとめたものです。
その中で一番多かったのが「交通上に関するもの」で、乗客のマナーの悪さに対する指摘が多数寄せられたといいます。
他にも、列車の中で化粧をするなとか、乗務員と口論するなとか、汽車の中の洗面所を長く独占するなとか意見もありました。車内でタンやツバを吐いたり、満員電車の中で人の顔にセキを吐きつけるなんて、コロナ禍の現代では大問題ですねw戦前どころか、僕が小さい頃も、電車にゴミが落ちていたっけ。それから駅のあちこちにたんつぼがあったのを覚えています。それくらい、タンを吐く人が多かったのでしょう。本当に電車の中がきれいになったなあって思えたのが僕が中学くらいになってからですね。
ちなみに「乗車の先争いは断然やめてほしい」とは、乗車をする際、イスに座ろうと我も我もとイス取りゲームのように争うこと。
こういった話は列車の話ばかりではありません。東京の上野公園だとか、飛鳥山公園などの公園も、ごみクズ、果物の皮、新聞紙、食べかすなどがあちらこちらに散らばっていたといいます。また木を折ったり、公園のイス(ベンチ)を壊す人間や、公園の中でも由緒ある古木の幹に女優の名前を刃物で彫った学生もいたといいます。もちろん、今の上野公園とかでも、ゴミをポイ捨てする人も少なからずいますが、少なくとも足の踏み場もないほど散らばっていません。
1903年(明治36年)、東京に日比谷公園が開園したのですが、日比谷公園もゴミが散らばったり、草花を荒らす人も少なくなかったといいます。他にもこんなイタズラもあったようです。以下、日比谷公園で働いていた人たちの記録です。いづれも何とも情けない話ばかりです。
これらのことを子どもだけでなく、大の大人がやっていたというから空いた口がふさがりませんw逆に言えば、戦前はおおらかな時代だったともいえます。戦前というと暗いイメージしかなかったのですが、あきれるというか、ほほえましいというか、そんなエピソードもあるのですね。いづれにせよ、戦前の日本人はモラルが高い人がいる一方で、そうでない人も少なくなかったということでしょう。
2 意外にも子供を甘やかしていた戦前の親
「昔の親はしつけに厳しかった。しかし今の親は子供を甘やかしすぎだ」という意見もしばしば聞きます。しかし、それは本当なのでしょうか?けれど、戦前の昔にも子供を甘やかす親は少なくなかったようです。
また1940年(昭和15年)7月11日の東京朝日新聞いは、海外から日本に帰国した女性たちの座談会みたいなものが記事に掲載されておりました。
この朝日新聞の記事、平成・令和の話ではありませんからねw?
ほかにも銀座の一流レストランのなかを4人の子供たちがサルのように走り回ってナイフで壁を叩いているのに立派な身なりをした親たちは注意もしなかったといいます。
そんな様子をみた永井荷風は嘆きました。「今の世の親たちは小児のしつけ方にはまったく頓着せざるがごとし」と日記にかいたほど。意外かもしれませんが、子供に厳しいしつけをというのは欧米的な考え方で、むしろ日本は子供にやりたい放題やらせてあげるのが伝統だったようです。安土桃山時代にルイス・フロイスが日本は子供に体罰をやらないことを絶賛したといいます。また、江戸時代に小林一茶が幼い娘が茶碗を割り、障子をやぶって暴れても、それをかわいいと喜んで眺めたというくらいですから。
3 意外にも教育勅語を理解できなかった?子供たち
むかし、ある方が「どんないいことでも強制され、形式的になったら、心がなくなる。それに人間は成長する。大人になったのに小学生の時の服を着ようとしても無理だ」とおっしゃって教育勅語を皮肉ったそうです。安倍元総理にきかせてあげたい言葉w?その通りだと思います。もちろん「教育勅語」の中には「なるほど」という記述もあることはあるので、「教育勅語」を全否定はしません。
けれど、「教育勅語」は愛国心などの価値観の植え付けには一定の役割を果たしたかもしれませんが、必ずしも実践的な道徳心の養成という成果を得られたわけじゃないのです。現に戦前の子どもたち全員が『教育勅語』を理解していたわけではないそうです。
形ばかりで心が伴っておりませんね。せっかく、いいことを教わっても、これじゃあ身に付きませんね。
また、道路にごみを捨てるなとか、友達と仲良くしろとは教育の場で教えることはできますが、それを実践させるかどうかは教育で直接関与することはできません。むしろ、親のしつけとか、そういった面も大きい。また、子供は遊びを通して、ものの善悪を学んでいくのですね。いたずらをしては、先生に叱られたりして、そうやってものの善悪を学んでいくのですね。
それは戦前も戦後も同じこと。当然のことですが、人の行動は教育の成果というよりも、その時の状況や社会環境に大きく左右されます。どんなに友達と仲良くしろといっても、相手が人に意地悪をするような悪い子だったら無理ですよね。また、親や先生から「勉強しろ」といわれても全然勉強しない、のび太くんのような子どもがいたとします。そんな子供でも、今の成績では入れる高校や大学がないとわかれば、必死に勉強すると思うんですよ。実際、僕がそうだった。小学校の時はあんなに勉強が嫌いだったのに、浪人時代は偏差値をあげるために勉強しましたし、大人になった今ではNHKのラジオ英会話を毎日聴いています。
せっかく授業で『教育勅語』だとか道徳的な話を聞かされても時間がたてば忘れ去られてしまうということでしょう。僕だって、小学校の道徳の授業で教わったことなんて覚えていないものなあ。もちろん、道徳的な教育が無意味だとはいいませんが、あまりに強要されると、かえって反発したくなるんですよ。
※1 うなずくこと。
※ 参考文献
「むかしの日本人はモラルが良かった。それは『教育勅語』を学んだからだ」という意見をききますが、本当にそうでしょうか?
例えば列車の乗客のマナーはひどかったそうですよ。1936年(昭和11年)、大阪ロータリー倶楽部が実施した『公衆道徳に関する調査蒐録』です。日常において、公衆の場において「ひどい」とか「きたない」、「迷惑だ」と感じる行為について、市民にアンケート調査をしたものをまとめたものです。
その中で一番多かったのが「交通上に関するもの」で、乗客のマナーの悪さに対する指摘が多数寄せられたといいます。
- 所かまわず痰唾を吐き散らすのは不衛生だ。(68件)
- 乗車の先争いは断然やめてほしい(41件)
- 車内で広い座席を占領するな(34件)
- 車内では騒ぎ、いたずら、飲酒などを遠慮してほしい(21件)
- 満員電車内で窓から外を見せようとドロ靴のまま子どもを座席に座らせるのはぜひやめてほしい。ほかの迷惑に頓着せぬ母親が多い(13件)
- 市電やバスで空いているのに出入り口をふさがれるのは迷惑だ(13件)
- 老人や婦人には席をゆずれ(8件)
- 満員車内で人の顔に息や咳を吐きつける無作法者がある。(5件)
- 電車で新聞を大きく広げてみるのは迷惑だ。(3件)
- 食べカス、果物の皮、タバコの吸殻を車内に捨て散らすのは下劣なやつだ。
他にも、列車の中で化粧をするなとか、乗務員と口論するなとか、汽車の中の洗面所を長く独占するなとか意見もありました。車内でタンやツバを吐いたり、満員電車の中で人の顔にセキを吐きつけるなんて、コロナ禍の現代では大問題ですねw戦前どころか、僕が小さい頃も、電車にゴミが落ちていたっけ。それから駅のあちこちにたんつぼがあったのを覚えています。それくらい、タンを吐く人が多かったのでしょう。本当に電車の中がきれいになったなあって思えたのが僕が中学くらいになってからですね。
ちなみに「乗車の先争いは断然やめてほしい」とは、乗車をする際、イスに座ろうと我も我もとイス取りゲームのように争うこと。
こういった話は列車の話ばかりではありません。東京の上野公園だとか、飛鳥山公園などの公園も、ごみクズ、果物の皮、新聞紙、食べかすなどがあちらこちらに散らばっていたといいます。また木を折ったり、公園のイス(ベンチ)を壊す人間や、公園の中でも由緒ある古木の幹に女優の名前を刃物で彫った学生もいたといいます。もちろん、今の上野公園とかでも、ゴミをポイ捨てする人も少なからずいますが、少なくとも足の踏み場もないほど散らばっていません。
1903年(明治36年)、東京に日比谷公園が開園したのですが、日比谷公園もゴミが散らばったり、草花を荒らす人も少なくなかったといいます。他にもこんなイタズラもあったようです。以下、日比谷公園で働いていた人たちの記録です。いづれも何とも情けない話ばかりです。
- (日比谷公園で飼育している)さるや小鳥に石を投げたり、マッチを燃やしてあたえたり、ステッキでついたりして悲鳴をあげるのをみて喜ぶ人がある。
- (便所には)汚らわしい落書が多いため、子どもたちに用便をさせられぬことがある。
- ブランコやすべり台を大人で横取りをして遊ぶのがある。これは別に大人専用のがあるのだからこれを使ってもらいたい。
これらのことを子どもだけでなく、大の大人がやっていたというから空いた口がふさがりませんw逆に言えば、戦前はおおらかな時代だったともいえます。戦前というと暗いイメージしかなかったのですが、あきれるというか、ほほえましいというか、そんなエピソードもあるのですね。いづれにせよ、戦前の日本人はモラルが高い人がいる一方で、そうでない人も少なくなかったということでしょう。
2 意外にも子供を甘やかしていた戦前の親
「昔の親はしつけに厳しかった。しかし今の親は子供を甘やかしすぎだ」という意見もしばしば聞きます。しかし、それは本当なのでしょうか?けれど、戦前の昔にも子供を甘やかす親は少なくなかったようです。
日本ではいつでも子どもが優先されますが、汽車のなかでもそうです。まず子どもたちが坐ってから、両親が空いている隅に小さくなって坐ります。可愛いわが子のためならこんなことは何でもありません。汽車に乗っていなければ、どうせ家で子どもを可愛がっているのですから。(キャサリン・サンソム『東京に暮らす 1928〜1936)』 112P)
また1940年(昭和15年)7月11日の東京朝日新聞いは、海外から日本に帰国した女性たちの座談会みたいなものが記事に掲載されておりました。
D夫人「日本の子どもはひどく甘やかされていますね。」
B夫人「一寸うるさいとすぐに食べ物を当てがって、食べ物を与えさえすればよいと云う風ですね」
D夫人「その点英国の子どもは厳格にしつけられています。」
(略)
C夫人「私も初めはびっくりしましたが、他家の子どもでもその親の面前で平気で叱りますね。つまり悪いことをすれば誰からでも叱られるし、叱ってもよいというわけなのでしょう。日本人の子は大人を甘く見てバカにしますね」
この朝日新聞の記事、平成・令和の話ではありませんからねw?
ほかにも銀座の一流レストランのなかを4人の子供たちがサルのように走り回ってナイフで壁を叩いているのに立派な身なりをした親たちは注意もしなかったといいます。
そんな様子をみた永井荷風は嘆きました。「今の世の親たちは小児のしつけ方にはまったく頓着せざるがごとし」と日記にかいたほど。意外かもしれませんが、子供に厳しいしつけをというのは欧米的な考え方で、むしろ日本は子供にやりたい放題やらせてあげるのが伝統だったようです。安土桃山時代にルイス・フロイスが日本は子供に体罰をやらないことを絶賛したといいます。また、江戸時代に小林一茶が幼い娘が茶碗を割り、障子をやぶって暴れても、それをかわいいと喜んで眺めたというくらいですから。
3 意外にも教育勅語を理解できなかった?子供たち
むかし、ある方が「どんないいことでも強制され、形式的になったら、心がなくなる。それに人間は成長する。大人になったのに小学生の時の服を着ようとしても無理だ」とおっしゃって教育勅語を皮肉ったそうです。
けれど、「教育勅語」は愛国心などの価値観の植え付けには一定の役割を果たしたかもしれませんが、必ずしも実践的な道徳心の養成という成果を得られたわけじゃないのです。現に戦前の子どもたち全員が『教育勅語』を理解していたわけではないそうです。
このお勅語は三年生までに暗誦させられた。(中略)もちろん意味はほとんどわからない。四年生になると、さらにみないで書けないといけないのだった。先生が出張などで自習になるときは筆で書かされた。むずかしいので半紙を載せて写したのがばれ、「日本人であろうものがお勅語の上に紙を載せて書くとは何事です!」とひどく叱られる子もいた
(綿引まき『私のうけた戦前の教育』<教育>(1989年2月号 69P〜70P)
形ばかりで心が伴っておりませんね。せっかく、いいことを教わっても、これじゃあ身に付きませんね。
また、道路にごみを捨てるなとか、友達と仲良くしろとは教育の場で教えることはできますが、それを実践させるかどうかは教育で直接関与することはできません。むしろ、親のしつけとか、そういった面も大きい。また、子供は遊びを通して、ものの善悪を学んでいくのですね。いたずらをしては、先生に叱られたりして、そうやってものの善悪を学んでいくのですね。
それは戦前も戦後も同じこと。当然のことですが、人の行動は教育の成果というよりも、その時の状況や社会環境に大きく左右されます。どんなに友達と仲良くしろといっても、相手が人に意地悪をするような悪い子だったら無理ですよね。また、親や先生から「勉強しろ」といわれても全然勉強しない、のび太くんのような子どもがいたとします。そんな子供でも、今の成績では入れる高校や大学がないとわかれば、必死に勉強すると思うんですよ。実際、僕がそうだった。小学校の時はあんなに勉強が嫌いだったのに、浪人時代は偏差値をあげるために勉強しましたし、大人になった今ではNHKのラジオ英会話を毎日聴いています。
教師は修身の時間において教育勅語の『朋友(友人)相信じ』について教科書により最巧妙に教授して居る。教室では子供らは成程朋友相信じなくてはならぬものと首肯(※1)させて居るかのようである。しかしひとたび15分間休憩の鐘が鳴りわたると子供らは先を争って運動場へ急ぐ。忽ちのうちに彼方,此方で大小の喧嘩が演ぜられる。すなわち今、修身で学んだ朋友相信じと正反対な行為である喧嘩が数分間を出ずしてこの運動場で行われて居るのである。
西山哲治『悪教育の研究』(57〜58P)
せっかく授業で『教育勅語』だとか道徳的な話を聞かされても時間がたてば忘れ去られてしまうということでしょう。僕だって、小学校の道徳の授業で教わったことなんて覚えていないものなあ。もちろん、道徳的な教育が無意味だとはいいませんが、あまりに強要されると、かえって反発したくなるんですよ。
※1 うなずくこと。
※ 参考文献
コメント