イスラエルの首都エルサレムは3つの宗教の聖地でもあります。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。ユダヤ教の聖地は「なげきのかべ」、キリスト教の聖地は「聖墳墓せいふんぼ教会」、そしてイスラム教の聖地が「神殿の丘」(岩のドーム)です。それぞれが近所にあるのです。


ユダヤ教徒にとって、エルサレムは神から与えられた土地です。アブラハムという人物が神と契約し、カナン(パレスチナ)を約束の地として与えられ、苦難くなんの時代には救世主が出現してユダヤ人のみを救ってくれるという伝説があるのです。伝承によればアブラハムたちは南メソポタミアのウルに生まれ、一族とともに北シリアのハランに移り住んでいたが、神に命じられ約束の地カナンについたのです。


ちょっと話はずれますが、アブラハムは子どもがなく、奥さんのサラも高齢こうれいだったので、代わりにめかけ(※1)ハガルがイシュマルという子を産みました。しかし90さいのサラが出産してしまいます。90歳のばあさまが子どもをうむなんて考えられませんねwその子の名前をイサクといい、ユダヤ人の祖となる人物です。イサクの誕生はサラと、ハガルの関係を悪化させてしまいます。アブラハムはこまってしまいました。

すると神からのお告げにより、アブラハムはハガルとイシュマルを追放してしまうのです。イシュマルとイサクは腹違いとはいえ兄弟なのですね。追放されたイシュマルはエジプト人の女性と結婚けっこんし、アラブ民族の祖となるのです。アラブ人とユダヤ人はのちに相争うことになるのですが、こうした複雑な関係も両民族が争う遠因にもなっているのかもしれません。


時代はダビデ王の時代になり、「十戒」が刻まれた石板を「契約のひつ」に入れてエルサレムに運び、ソロモン王がこれを神殿に運んだといいます。ちなみにダビデとは、ミケランジェロが作った像にもなりました。肉体美が見事ですね。僕も高校の時にダビデみたいな体になりたいと思い、大学に入ってから都内の某フィットネスクラブに通いはじめたのですが、数年でやめちゃいましてね。

David_von_Michelangelo






しかし、この神殿も破壊されてしまいます。それはエルサレムがローマ帝国に占領されたときです。、その際、ローマ軍によって神殿が破壊されてしまいます。ローマ帝国はユダヤ教を禁止したのみならず、ユダヤ人がエルサレムの町に入っただけでも死刑にしてしまったといいます。だからユダヤ人たちはエルサレムを離れ、ヨーロッパやアフリカなどの各地に引っ越しをざるをえなかったといいます。これをディアスポラ(離散)といいます。


ユダヤ人が神殿の廃墟はいきょに訪問し、ここで往時をしのんで涙にくれたことから「嘆きの壁」といわれるようになったそうです。


エルサレムのゴルゴタの丘とされる場所に建っているのが聖墳墓教会です。このゴルゴタの丘でイエス・キリストは死刑になりました。キリスト教徒にとって、この地はイエスが死んだ悲しみの地なのです。

ちなみにユダヤ人とイエス・キリストについて二つほどお話しします。

一つは、イエス・キリストは意外にもユダヤ教信者でした。キリスト教が生まれたのはイエスが亡くなった後です。もうひとつはイエスを迫害したのがユダヤ人です。当時のエルサレムはローマ帝国の支配下にあったのですが、そのローマ帝国にイエスを売り渡したのがユダヤ人だといわれております。これもユダヤ人が迫害される理由の一つでしょう。そしてイエスを裏切ったユダもユダヤ人だとされております。

さて、キリスト教はしばらく弾圧されていたのですが、4世紀のはじめになってやっとローマ皇帝によってキリスト教がこうにんされ、イエスの処刑・埋葬まいそう・復活を祈念きねんする「聖墳墓教会が立てられました。

これはときのローマ皇帝コンスタンティヌス1世が母の助言をうけて336年に建てたものです。

エルサレムはイスラム教徒にとっても聖地でした。ある夜、イスラム教の創始者ムハンマドが天使ガブリエルに導かれ、メッカから天空を飛んで「夜の旅」をし、降り立ってつくられたとされるのがアル=アクサー・モスク。これはエルサレムにあります。さらに再びムハンマドが昇天したとき、足跡がついた岩をまつったのが「岩のドーム」だといわれております。

ちなみにイスラム教徒がお祈りをするとき、メッカのカーバ神殿の方向に向かって「アラーの神よ」と拝むのですが、昔はエルサレムの方向にお祈りをしたといいます。



※1 結婚している男性が、奥さんの他に、性的関係を持ち生活の面倒を見ている女性のこと。





※ おまけ

それでは3つの宗教の聖地の動画を。これらの聖地はそれぞれ近所にあり、特に嘆きの壁は神殿の丘のちょうど西側にあります。


(嘆きの壁)


(聖墳墓教会)


(神殿の丘)

※ 参考文献