今日は19世紀に起こったユダヤ人迫害の話と、シオニズム運動の盛り上がりについて語ります。


1 屋根の上のバイオリン弾き
 『屋根の上のバイオリン弾き』というミュージカルがあります。たしか森繁久彌もりしげひさやさんが出演されていて、いま主演されているのは西田敏行さんだったか市村正親さんだったかわすれちゃったw。僕も名前だけは知っておりますが、どういう作品かは「これならわかるパレスチナとイスラエル」という本を読むまでは知りませんでした。これはユダヤ人作家ショーレム・アレイヘムが作者で、ロシアでおこったポグロムというユダヤ人迫害がテーマになっております。


敬虔けいけんなユダヤ教徒の牛乳屋ぎゅうにゅやテビエは、ユダヤ教の教えを守ってつつましく生活していたが、新しい時代に生きる娘たちに次々と去られ、さらにポグロムがテビエの住む村にもせまってきたため、一切をすてて旅に出るというあらすじだそうです。





さて、ポログラムとはロシアでおこったユダヤ人迫害事件です。ことの発端は、1881年、ロシア皇帝アレクサンドル2世が反体制組織によって暗殺されてしまいます。あとを継いだアレクサンドル3世はこの暗殺をユダヤ人のせいにして民衆をそそのかし、それに怒った民衆たちは1万5000人のユダヤ人を殺しました。ポログラムとは本来ロシア語で「暴動」のことですが、ユダヤ人を襲撃・迫害をすることを意味しているのです。

2 ドレフュス事件

 フランスではドレフュス事件という冤罪えんざい(※1)事件がありました。これはユダヤ人が犯人だといわれてしまった事件です。事件のあらましは以下の通りです。



ドレフュス事件とは、1894年にフランス軍のドレフュス大尉がドイツへの機密漏洩きみつろうえい容疑で逮捕され軍事裁判で終身流刑しゅうしんるけいとして悪魔島に流された冤罪事件。フランスの世論を二分する大事件となった。

ドイツ大使館のゴミ箱から機密メモが回収されたことが発端ほったんとなり、ユダヤ人将校として初めてフランス軍参謀ぐんさんぼう本部入りしたドレフュス大尉たいいが不十分な捜査そうさのまま犯人とされたが、後にドレフュスの無罪を証明する新証拠が次々と提出され、また真犯人として名指しされた同僚どうりょうのエストラジー少佐は自身の有罪を認める。しかし軍上層部は有罪判決に固執こしつ、彼がユダヤ人であったことにより反ユダヤ主義、人種主義をき込んで国中の大騒動だいそうどうとなった。

結局、ドレフュスの冤罪が公式に認められ、名誉めいよが回復されるまでには10年以上の月日がかかった
 参考サイト http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C9%A5%EC%A5%D5%A5%E5%A5%B9%BB%F6%B7%EF

ユダヤ人という理由でドレフュスは有罪となり、逆に真犯人のエステラジーは無罪となりました。文豪のエミール・ゾラは「私は告発する」という文章を公表して、ドレフュスの無罪とユダヤ人擁護ようごに立ち上がったそうです。このようにヨーロッパ各地でユダヤ人に対する迫害や偏見がひどくなります。そうしたことがシオニズム運動へとつながっていくのです。

3  シオニズム運動
 そうしたさなかユダヤ人たちの間で「自分たちの国をつくろう」、そして「ユダヤ人の祖国であるイスラエルに帰ろう」という動きが出始めました。これを「シオニズム運動」といいます。言っておきますが塩ずむ運動じゃないですよw塩を煮ている場合じゃありませんw これはシオンの山(※2)の「シオン」と「イズム」を合わせた言葉だそうです。

1897年、スイスのバーゼルで第一回シオニスト会議を開催かいさいし、「世界シオニスト機構」を設立しました。ちなみにシオニストとは、イスラエル(シオン)の土地をユダヤ人のものにしようと考えている人たちのことです。この会議以降、約一万人ものユダヤ人がパレスチナに移住したのです。

けれど、当時パレスチナには60万人のパレスチナ人が住んでいました。それでもシオニストたちは、「この地は人の住まない荒廃した土地だ」と主張し、「土地なき民に民なき土地を」という合言葉で移住計画を進めていきました。はじめのころはパレスチナ人とユダヤ人たちは仲がよく、共存していたのですが、パレスチナの地に移住するユダヤ人が増えるにしたがって、だんだん仲がわるくなっていったのです。

※1 無実であるのに犯罪者として扱われてしまうこと

※2 シオンの山はイスラエル・エルサレム旧市街の南西隅にある丘。より広義として「イスラエルの地」の意で使われる事もある



※ 参考文献