1 「友達になれたら、きっと。」
 今日は一冊の本をご紹介します。パレスチナ人の少女とユダヤ人の少女が文通をしたというお話です。この本の内容は作り話ではありません。本当にあったお話です。文通といいましても、パレスチナ人の少女の住む家と、ユダヤ人の少女の住む家の距離は15キロほどです。しかし、紛争やら外出禁止令やらで、会うこともままならないのです。平和な日本では考えられないことです。

二人の文通がはじまったのは1988年です。当時の二人の年齢が12さいですから、いま二人は40歳前後かな。

この本には二人の少女が実際に書いた手紙の内容がつづられております。僕がびっくりしたのは、二人がお互いに本音をぶつけあい、時には相手の心象しんしょうを悪くするようなこともはっきりと手紙につづっているのです。

たとえば、パレスチナ人の少女は「ユダヤ人はきらいです。だってわたしたちがずっと住んでいた土地をとりあげて、アラブ人にひどいことばかりするんだもの。」とか「いまのパレスチナ人にあるのは、ただひとつ、わたしたちの土地からイスラエルをおいだすことなんです」とか「あなたのことばに、きずつきました」という具合に。

一方でユダヤ人の少女は「どうしてイスラエル人がきらい、なんていうの?」とか「ほんとうのことを言うね。怒ってたの。アラブ人全員のことを。だからあなたのことも。」とか「あなたはやさしい人だと思う。でも、やっぱりアラブなの。だから、もうこの先も友達になれないと思う」という具合に。

2 子どもの心までゆがめるにくしみの連鎖れんさ

もちろん、両者がお互いにこんなことを言うのは伏線ふくせんがあるのですね。イスラエルではユダヤ人とパレスチナ人がいがみ合っているのですが、ヒサンな事件が何度も起こっているのですね。たとえば1989年7月7日に10歳のパレスチナ人の子どもがイスラエルの兵士に殺されたという事件が起こり、やはり同じ日の1989年7月7日に25歳のパレスチナ人青年がバスをジャックして、バスを故意こい峡谷きょうこくき落としイスラエル人乗客16人を死亡させた事件が起こりました。お互いににくしみ合い、殺しあうような出来事が何度も起こっているのです。

そうした事件が起こるたびに二人はお互いに「嫌い」だとか時にきびしい言葉を相手にぶつけるのですね。

みんながみんなそうじゃないけれど日本人は、あまりはっきり物事を言わない人が多いだけに、びっくりしてしまいます。けれどお互いに本音を語れるから、相手の心のなかがわかるのだと思うし、なんだかんだで二人の距離が縮まっているのだと思いました。

実際に二人は、1991年の4月に一度会っているのですね。会うなり二人はにっこり笑って、あいさつをしながら握手あくしゅをしたといいます。そしてお互いにプレゼントを交換したといいます。

あいにく二人が会ったのはその一回きりで、それから二人は結婚けっこんして家庭を持ち、それぞれが生活に追われたり、テロや紛争におびえる日々で二人は疎遠そえんになってしまうのですが。

争いがいかに子どもの心までゆがめてしまうかを、この本を読んで感じられました。そして、民間レベルでもパレスチナとユダヤ人が仲良くなり、平和がくることを強く望んでいる人も決して少なくないということも感じられました。


3 平和を望む人々

 実際、イスラエルの人々のなかには争いをやめようという人たちもいるのです。たとえば、イスラエルにピース・ナウという民間団体があるのですが、この団体はイスラエルの武力政策に反対しております。たとえば、

入植地で作られたブドウで製造されたワインなどの不買運動、入植地で活動する企業への不投資の呼びかけなどを行い、イスラエル政府がし進める入植政策に抗議こうぎしたりしています。

ただ、この団体は経済問題を扱わないため、最近は活動も停滞しているといいます。イスラエルも物価の高騰もしているし、格差も激しいとききますからね。それでも、右派がピース・ナウなどのユダヤ人左派に対して「国家への反逆者」「反ユダヤ主義者」などと非難しているくらいですから、右派にとってはこの団体の存在を無視できないのだと思われます。

ほかにもパレスチナ人との交流を深めることによって偏見をなくし、平和を実現しようとするグッシュ・シャーロムなどの団体もありますし、武術をとおしてパレスチナ人とユダヤ人との交流を深めようとする動きもあるようです。