今日の記事は長いです。

1944年(昭和19年)6月、マリアナ海戦が起こりました。この戦いで日本軍は虎の子の空母3隻と約400機の攻撃機を失い、壊滅的な打撃を受けました。この戦いは日本の敗戦をほぼ決定づける戦いでした。勝敗を分けたのは科学技術の差とっていもいいでしょう。アメリカはこの戦いで新しい兵器を次々と投入しました。

アメリカ艦隊の旗艦レキシントンの最新式のレーダー、新戦闘機のヘルキャット、そしてVT信管という兵器でした。それでは、マリアナ海戦をみてみましょう。




1 「あ」号作戦
 1944年6月15日、米軍がマリアナ諸島にうかぶサイパン島に上陸しました。サイパンに上陸すれば、B29を使って日本本土を攻撃することができるので、アメリカとしてはなんとしてもサイパンを攻略したかったのです。逆に日本としてみれば、なんとしてもサイパンは守らなきゃいけないポイントでした。日本とアメリカはサイパンにて激しい戦いを繰り広げましたが、兵力、兵器ともに圧倒的にすぐれたアメリカ軍に日本はなすすべもなかったのです。

このことを受けて、日本はアメリカ軍をせん滅すべく『「あ」号作戦』を発動しました。作戦の骨子は、決戦海面をパラオ付近など西カロリン方面に選定し、潜水艦および索敵機などをつかって早いうちに敵の様子を把握し、その後、機動部隊と航空部隊の攻撃力を集中して、一挙に米機動部隊を撃破し、ついで攻略部隊を撃滅するというもの。つまり、日本の持っている戦力をマリアナ沖に集中させ、アメリカを迎え撃つというものです。

しかし、日本に比べアメリカは艦船、航空機ともに日本を圧倒していたため、データー的に日本の敗北は決まったようなものでした。しかし、日本としては負けられない戦いでした。

6月18日、フィリピンの東方においた小沢治三郎中将率いる第一機動艦隊がマリアナ沖に向かいました。小沢がたてた作戦は「アウト・レンジ戦法」というものです。これは日本の航空機の特性を生かしたものでした。日本の航空機はアメリカのそれよりも航続距離が長い。日本の航空機が400カイリなのに対し、アメリカは250カイリです。そこで敵の射程外から敵空母を攻撃するというもの。

しかし、この作戦には重大な誤算がありました。それはアメリカ側が新兵器を開発し、それを生かしたからです。その3つというのが「高性能レーダー」「ヘルキャット」「VT信管」です。

2 レーダー
 それはアメリカの戦艦・空母レキシントンには最新式のレーダーが取り付けられていたからです。これで日本軍の動きをチェックしていたのです。アメリカはさらに集中戦闘情報室をつくりレーダーで集めた情報を集め、上空の戦闘機に無線で指令を伝えるシステムをすでに完成させていました。

その中核となったのがPPI(平面型レーダー表示器)とよばれるレーダーの表示画面でした。360度全方向の敵の動きをとらえることができ、戦略的にも絶大な成果をあげることができたのです。

このとき空母レキシントンだけで100人のオペレーターが配置され、PPIでもって日本軍の動きを監視していたのです。アメリカはアジア・太平洋戦争以前からレーダーの開発が行われていたのです。レーダーを重要な防御兵器として位置づけ開発に力をいれたのです。そして航空機の方向や距離だけでなく高度まで感知するレーダーまで開発していたのです。



もちろん、日本の艦隊にもレーダーを取り付けていたのですが、アメリカと比べると著しく性能が劣っていたのです。日本の電波探信儀でわかるのは航空機の方向や距離くらいでした。アメリカのレーダーのように自動的に360度キャッチできず、アンテナを手で動かしその向けた方向の40〜50度しか感知できなかったのです。しかも取り扱いもむずかしかったのです。



レーダーの画面も今の心電図のような画面で、画面に線みたいのがでてきて、この線から飛行機や船の位置を読み取るのですが、専門の技術者でも読み取りにくく、カンに頼って何とか敵の飛行機や船の位置をとらえることができるというものです。



レーダーがあてにならないので当時の日本の戦艦は優秀な目を持った見張りの兵士で支えられておりました。遠くの目標を見分ける訓練で鍛え上げられた能力は名人芸とされましたが、限界がありました。



しかし、なぜ日本はこの程度のレーダーしか使わなかったのでしょう。様々な理由が考えられますが、当時の日本海軍の認識によるものも多々あると思われます。

日本海軍は相手を早く打ち負かそうという攻撃を重視し、アメリカのように防御のためにレーダーを使おうという認識がなかったのです。「攻撃は最大の防御なり」を地でいっていたのですね。レーダーの電波をだして敵をみつけて襲撃するなんて、ほとんどの軍人が馬鹿な戦争の仕方で、そんなものはほとんど戦争に使えないという認識だったといいます。

それでも日本ではレーダーの開発は陸軍と海軍とでひそかに行われておりました。しかし、当時の日本は陸軍、海軍両方とも秘密主義とセクショナリズムで、研究体制はバラバラで優秀な科学者たちの英知を結集させることができませんでした。せいぜい一部の科学者たちが細々とレーダーの研究が行われている程度でした。しかもできあがったレーダーも故障が多く、戦艦に装備されても邪魔者扱いされたといいます。もちろん、このマリアナの敗戦でもって日本軍はレーダーの必要性を理解するのですが、時すでに遅し。研究を進める時間も物資もなかったのです。

3 ヘルキャット
 「アウト・レンジ作戦」が失敗した第二の理由は戦闘機にありました。この当時、日本で活躍したのはゼロ戦でした。ゼロ戦は当時世界でもすごいスペックの高い戦闘機でした。まさに技術大国の面目躍如ですね。しかし、そんな戦闘機でもってしても日本は大苦戦をしてしまいます。なぜでしょう?

先にも述べた通りレーダーで日本の動きをとらえられたというのもの大きいですが、ほかにも理由があったのです。


  1. 日本の部隊にベテランのパイロットがいなかったこと。


  2. 重い爆弾を搭載されていたために動きが鈍くなった


  3. ヘルキャットの防弾がしっかりしていた


まず「1」に関してですが、マリアナ海戦以前の相次ぐ戦いによりベテランのパイロットがなくなったのです。第一期同艦隊の先陣をつとめたのは第653海軍航空隊。彼らは大部分が20前後の兵士でした。当然、十分な訓練もうけておらず、飛行機の操縦もなにもできず、爆弾を撃つどころか空母の発着艦もやっとという兵士も少なくなかったのです。しかもパイロットたちは燃料不足にも悩まされたのです。マリアナ海戦当時は経験の浅い人たちが戦争の経験のないものが隊長機でやっている。経験の浅いパイロットたちが戦闘機を動かしていたのだから、敵の攻撃をかわすこともできません。

もちろん、経験豊富なパイロットがやられてしまったのはアメリカも同じことでした。当然訓練が十分でない兵士が戦闘機に乗って戦う羽目になります。しかし、アメリカのすごいところというか、恐ろしいところはヘルキャットは経験が浅くても、未熟なパイロットでも扱いやすい操縦性だったようです。

次に「2」ですが、ゼロ戦に250キロ爆弾を搭載していたためにその重さで動きが封じられ、敵機の恰好のエジキとなってしまうのです。

最後に「3」ですが、ヘルキャットは防弾装備がしっかりしていたのに対し、ゼロ戦は機動力を重んじるばかりに、防弾装備が貧弱であると。そしてアメリカが人命を重んじるのに対し、日本は人命を軽く見るという批判もあります。日本が人命を軽く見るか否かは次回に改めて触れますが、ゼロ戦に関してはそういう批判は何とも言えません。

アメリカの戦闘機の13ミリ機銃の持つ破壊的な威力を考えると、仮に米軍並みの装甲を追加しても顕著な効果は期待できない。重い防弾装備をつければゼロ戦の強みである機動力が損なう。「装備で性能を落とすよりも・・・」と防弾を備えなかったという見方もできなくはないです。


ただ、ゼロ戦などの戦闘機の防備について実戦部隊から軍令部に対して要望があがったようですね。「戦闘機といえでも防御が必要である。防弾タンクは絶対必要である」と実戦部隊が願いでました。昭和18年夏、航空機の生産に携わる技術者あつまり、ゼロ戦の防備について話し合ったようです。そうした中で軍令部作戦課の航空参謀の源田実中佐はこのように述べたといいます。

「皆の議論を聞いていると情けない。大和魂で突貫しなくちゃいかん。精神的なことがたるんでいるようだ。そういう議論はやめて、うんと軽くてよい飛行機を作ってもらって我々は腕を磨き、訓練をよくやってこの戦争を勝ち抜こうじゃないか」とまるで、ブラック企業の社長さんのように精神論を訴えたのです。

源田実がこのような大演説をすると、そこに居合わせた人たちはみな黙ってしまったといいます。ちなみにこの源田実という人は戦後自民党の議員さんになりました。そういや某ブラック企業の社長さんも自民党の議員ですなw

もちろん、源田実のせいでゼロ戦の防弾装備がつくれなかったとは思えませんし、材料が調達できないとかそういったことが理由だとは思いますが、源田実に限らず当時の日本軍のお偉いさんには、こうした精神論を重んじる人が少なくないようです。逆に言えば、資源や材料、燃料が不足するなど国力が低下したために、精神論に頼るしかなかったのではないかとも考えられます。まるで倒産寸前の会社の社長がやたらと精神論や根性論を唱えるのと同じように・・・・


4 VT信管
 アメリカはさらにVT信管という新兵器を開発しました。この兵器によって対空砲火の威力を飛躍的に高めたのです。砲弾にセットされたVT信管は高射砲から発射されると電波を出し目標を感知し、そして自動的に爆発し、砲弾が当たらなくても、その破片や爆風で敵機を撃ち落とすことができるのです。

このVT信管はアメリカでは原子爆弾に匹敵する兵器だといわれており、現在ではすべてのミサイルにVT信管が使われています。

このVT信管の存在を日本は全く知らず、それが明らかになったのは戦後のことだといいます。

こうしたアメリカの新兵器により日本はバタバタ負けていきます。このありさまを見た米兵たちは「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄し、火だるまになって墜落する日本の戦闘機に拍手喝さいをしたといいます。




5 生かされなかった日本の技術
 これまで、アメリカのエレクトロニクスが日本のそれよりも優れていたことを書きましたが、なにも日本のことを馬鹿にしているわけじゃありまえん。戦時中にも日本に優秀な科学者もいました。アジア・太平洋戦争が始まる前に、日本の科学者たちは優れた論文をたくさんかいていたのですね。それをアメリカも知っていたのですね。たとえば八木アンテナを発明した八木秀次。彼のような優れた人的資源を生かせなかったところも日本が負けた理由の一つだと思います。



この八木アンテナは、意外にもアメリカで軍事用に活用されたのです。爆撃機の方向探知機やレーダーのアンテナに八木アンテナが使われ、さらに広島や長崎に落とされた原子爆弾にも八木アンテナが使われているそうです。原子爆弾に小さなアンテナみたいなものがついておりますが、これこそ八木アンテナなのです。




敵国に自分たちの技術が使われてしまうとは皮肉な話です。








参考文献および参考にした番組
「太平洋戦争 第三集 エレクトロニクスが戦を制す 〜マリアナ・サイパン〜」(NHKスペシャル)











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