今日の記事は長いです。

1 精神論を絶対悪だと思わないが
 僕は精神論をたびたび否定しておりますが、戦争というのは軍事力だけでなく精神力も必要です。しかし、戦う力もないのに精神力だけて勝てというのも無理があります。精神論はあくまでも敵と五角の戦力を持ったうえで、そのうえで重要になるのが精神論で、軍事力がゼロの状況で精神論をふりかざしたら、おかしなことになります。無理に戦おうとするから、玉砕など特攻隊などをやらざるを得なくなる。

もちろん、戦争となれば人命などと言っていられない、前線で戦う兵士は自分の命を捨ててでも国家を守らなきゃいけないというのは日本だけでなくどこの国でも言われていること。しかし限度というものがあります。典型例が以前にも取り上げたインパール作戦ですが、サイパン島のバンザイクリフの話もひどいものです。兵士たちだけでなく、民間人もマッピ岬という岬から海へ身をなげたのです。


2 バンザイクリフの悲劇


以下、アメリカの記者が自ら目撃、あるいは伝聞により知った悲劇をあげます。


  • 父親たちが子供をがけから海中へ投げ落とそうとしていた。


  • ある家族は身を寄せ合って、手りゅう弾のピンをぬいて一家自滅した。


  • 岩の海岸を行ったり来たりしていた少年が、大波がやってきたとき、自ら巻き込まれて海中へ押し流された。


  • 断崖の下の岩のくぼみに、首のない子供の死体がたくさん残されていた。こどもの首を切り落とした親たちは海中に身を投じ自殺した。


  • 断崖に両親と四人の子供が立っていた。一家はためらっているように見えた。すると背後から銃声が聞こえ、父親と母親が撃たれ、がけから海中へ落ちていった。そばにいた女性が四人の子供をその場から引き離したが、約700メートル後方の洞窟から銃を下げた日本兵が出てきた。その日本兵は待ち受けていた海兵隊員の銃弾を浴びて倒れた。


  • 日本婦人三人が岩頭に座り、くしで髪をときはじめた。それを終えると手を合わせ祈りながら海の中に入り、消えていった。


  • 岩の上にいた100人ばかりの日本人は、断崖を見上げて、そこから見下ろしていた海兵隊に向かってお辞儀をした。そのあと、裸になり、海水で体を洗い、新しい衣服に着替えた。岩の上に大きな日章旗を広げ指南役の男が各自に手りゅう弾をくばると、各自ピンを抜いて腹に押し当て全員が爆死した。


  • 海中に浮いていた4、5歳の男の子は日本兵の岩にしがみついたまま溺死した。


かわいそうに・・・ちなみにマッピ岬には米軍がしかけた拡声器があって、投降をよびかけたが、それでも日本人たちの自決を止めることができなかったのです。

よく「『戦陣訓』(※1)で降伏を禁じられていたから、兵士だけでなく民間人も身を投げた」と言われておりますが、「戦陣訓」だけが原因ではないでしょう。「白人は野蛮人で、捕虜を虐待したり、殺したりする」と吹き込まれていたからこのような行動をとったのでしょう。

3 親切だった米兵

 ところで、米兵は日本の軍部がいうように、残酷でひどいことをするのでしょうか?実は米軍は残酷どころか、むしろ捕虜になった日本兵に対して親切だったといいます。一例として、米軍につかまって捕虜収容所へ送られる最中のことを回想した日本兵の一文を取り上げます。


(日本兵を)出迎えた米兵は親切丁寧だった。そして将校にはKレイション一箱ずつくれた。十二時昼食、レイションをはじめて食べる。ひさびさに文化の味をあじあう。川を腰までつかって渡渉すること20回、やっと平地に出た。我々の隊列の中に片目、両足を失った兵がいたが米兵が彼に水筒に甘いコーヒーを入れてやり煙草に火をつけて与えていた。(日本兵たちがさまよっていた)山の生活で親切など言う事をすっかり忘れていた目には、この行為は実に珍しい光景だった。久々に人情を見たような気がした。
山本七平『日本はなぜ敗れるのか』より


もちろん、中にはひどいことをした米兵もいたとは思います。サイパンに住んでいた日本人住民に米軍が暴行を加えたとか、女をおかしたとかそんな話もあったようです。が、そんな酷い米兵ばかりではなかったということでしょう。おおむね米兵は捕虜の日本兵に親切だったようです。かれらがキリスト教の博愛主義だったからというのも理由の一つかもしれませんが、日本軍の士気を下げたり、親切にすることで日本軍の情報を引き出そうとしたという冷徹な計算があったことも無視できません。

事実、捕虜になった日本軍は米兵に聞かれていないことまでペラペラしゃべったようです。親切にしてもらったということで恩義を感じて日本軍の秘密を語った者、上官に殴られたりムチャな要求をされたりしたウラミつらみを語った者、いろいろだったようです。そういう日本軍の生の情報というのは米軍にとって貴重でしたからね。

4 日本兵の名誉意識
 日本兵は天皇のために死ぬのが名誉で、靖国にまつられることが幸せだと信じていたと一般的には言われております。というか、僕もそういうものだと思っておりました。しかし日本兵ののみながみなそういう認識ではなかったといいます。

事実こんな話があったそうです。日本兵は5年間服役すれば日本に帰ってもよかったそうで、5年の服役を終えた日本兵は、戦争から抜けられたことを非常に喜んだといいます。なかには東条英機やスターリンをふくめた全世界の指導者たちに棍棒をもたせて大きなカゴに彼らを閉じ込め、指導者同士たちで戦わせ、それを世界中の兵士たちがそれを見物したほうが良いとまで語った日本兵までいたといいます。

特に都会人や教養のある人はそんな風に割とさめたものの見方をしていたようです。そういった人たちは日本に帰れることを切実に願っていたようです。それどころか敵国であるアメリカを憎むことさえできなかったといいます。都会の人たちはアメリカの映画を好んでいましたからね。都会出身の人じゃないけれど、若き頃の田中角栄元首相も徴兵で陸軍に入ったとき、ディアナ・タービンという女優のプロマイドを隠し持っていたため、上官に殴られたというエピソードもあったとか。つまり「鬼畜米英」とはいいながら本音では親米という人も結構いたのですね。

一方で田舎の出身の人たちや失礼ながらあまり教養のない人たちは天皇のために喜んで死んで靖国にいくことを切実に願う傾向があったようです。すべてがそうとは言えないが純粋なのでしょうか。というか、教養のない人たちはともかく、地方の場合は貧しかったことも大きいと思います。

戦地で戦っている息子たちや父親の給料が頼りだったのです。そして名誉の戦死をすると恩給がでるため、「お前は必ず死んで帰れ。生きて帰ったら承知しない。おれはお前の死んだあと国から下がる金がほしいのだ」と息子に死ねと願った父親もいたほどでした。


だけど都会出身、田舎出身関係なく降伏したり捕虜になったりしたら祖国に帰れないということはみな信じておりました。この信念が日本兵を支えている面もあると思います。それと体罰への恐怖をも重要な要素だと思われます。つまり上官の体罰が怖いからしかたなく戦っているという日本兵も少なくなかったのです。それと捕虜になって無事に祖国に帰れたとしても、村の人たちに殺されたり、家族が村八分にあったり、そういこうことを恐れたともいいます。


5 意外にももろかった大和魂

 日本兵は、将校の命令通りに動いたり、事前に立てられた計画通りに動くのは上手だったといいます。事実、日本兵一人一人は射撃が下手な傾向があるが、射撃規律、すなわち上官の命令による一斉射撃は良好だったといいます。ようするに”集団戦法”が得意という、現代の日本にも通じるものを感じます。

また、時に自分で考えず「自分」でとなると何も考えられなくなるという指摘もあるようです。悪く言えば指示待ち族です。もっとも自分の頭で行動したらしたらで上官から殴られたと思いますが。

しかし、指揮官を失ったりすると狼狽し四散したといいます。そうなると米兵が手りゅう弾を投げたふりをしただけでバラバラになって逃げ去ってしまったといいます。

現代にたとえればこんなことでしょうか?怖いパワハラ上司がいて、部下たちはみな恐れていたが、いざ上司がリストラかなんかでいなくなるとその会社(部署)がまわらなくなって、中堅の部下たちが勝手な行動をとるようになったり、右も左もわからない若者たちがパニックに陥ったという、そんなところでしょうか?

また、計画通りにいけばよいが、そうじゃないときはパニックになるとあります。けれど計画というのは、仕事(戦争であれば戦い)をうまく進めるための手段でありますから、計画倒れになったからといって慌てることはないと思うのですね。そういうときは次の手を考えればよいのですが、それをしないからパニックになる。

計画通りにならないとパニックになるというのは、計画の段階で起こりうる失敗とか考えられる不測の事態をあまり想定しなかったのではないでしょうか?仕事だけでなく、旅行の計画を立てるときだって、不測の事態を一応想定しますよね?「このレストラン、旅行の当日休みかもしれないから、ほかの店もリストアップしよう」とか「高速道路が事故で込むかもしれないから、早めに帰った方がいいかもしれない」とか、「海で泳ぎたいけれど、雨が降った場合、近所の水族館にいこう」という具合に。

一生懸命考えた完璧な計画に満足し、その優れた計画に酔ってしまい、その計画を何が何でも実行することが正しいみたいな空気が当時の日本軍にあったのかもしれない。

もちろん戦争映画の主人公のように勇敢に立ち向かった人もいましたし、自分の頭で考える人もいたのですが、残念ながらそんなひとばかりではなかったのです。やはり日本兵たちも普通の人たちだったのです。そんな普通の人たちにムチャなことをさせたことが日本軍の失敗だったと僕は思いますね。

※1 
日中戦争の長期化で、軍紀が動揺し始めた昭和16年(1941)1月8日、東条英機陸相が「軍人勅諭」の実践を目的に公布した具体的な行動規範。特に「生きて虜囚の辱を受けず」の部分が明確に降伏を否定しているため、これによって多くの兵士が無駄死にしたとされます。

※ 参考文献
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
山本 七平
角川グループパブリッシング
2004-03-10