今日から数回にわたってヒトラーが権力を握った過程を語ります。ヒトラーは、決して暴力だけで権力を握ったわけじゃなく、意外にも合法的なやりかたで、しかも国民の支持を得て権力を握ったのです。そのヒトラーが力を得るようになった遠因は第一世界大戦後のドイツの混乱にありました。

第一世界大戦でドイツは負けてしまいました。第一次世界大戦後に、パリ講和会議が開かれました。講和会議というものは、戦勝国と敗戦国が話し合いをして、お互いにWIN-WINの関係でまとまるのが望ましいです。けれど、実際のパリ講和会議はひどいものでした。

なんと、この講和会議にはドイツやオーストリアなど第一次世界大戦で負けた国は一国も呼ばれませんでした。イギリスやフランス、アメリカの3国が中心になって、一方的かつ独善的にものごとを決めていきました。会議はさながら「死肉にむらがるハイエナ」のごとく、イギリスやフランスが負けたドイツからむしり取ろうとしたのです。まさに列強のエゴむき出しだったのです。


この講和会議で決められた条約がベルサイユ条約です。この条約は1919年6月28日、ベルサイユ宮殿の鏡の間で連合国とドイツの間で調印されました。それはドイツにとって大変厳しいものでした。

とくにフランスはこれまでドイツにさんざんやられたので、ここぞとばかり報復をしました。ドイツが二度と復興できないくらいな賠償金を要求したのです。これにはさすがのアメリカも呆れたほど。アメリカはドイツに民族自決を適用したり、領土の割譲もやめましょう、賠償金もとるのをやめましょうといったようです。これは、アメリカがドイツに同情したというよりも、破たん状態のドイツをこれ以上苦しめたら、ドイツに共産革命がおこってしまう。それをアメリカが恐れたというのです。そうして紆余曲折を経て、ドイツと連合国の間で取り決められたのが以下の通り。



  • ドイツが持っている全植民地と海外の一切の権利を放棄し、領土を割譲する。たとえば、アルザス・ロレーヌをフランスに明け渡すなど。

  • 軍備制限 徴兵制も禁止


  • ラインラントの非武装化


  • 賠償金の支払い


このような屈辱的な内容に当然ドイツの人たちは反発します。ドイツの人たちは、政治家が弱腰だから列強になめられると考える人たちが増えて、次第に国家主義的な人物に魅了されるようになるのです。


この会議のありさまを、フランス陸軍元帥のF・フォッシュは「これは講和などど呼べる代物ではない。ただの20年間の休戦にすぎぬ」と言ったようです。そのフォッシュの予言は現実のものとなります・・・


※ 参考文献