1 テレサの両親
 今日から数回にわたってテレサ・テンさんの生涯を取り上げます。テレサ・テンさんは1953年1月29日に台湾中部の雲林県にうまれ、1995年5月8日、タイ北部にあるチェンマイのホテルで気管支喘息の発作のために亡くなりました。テレサ・テンさんの曲はカラオケでも大人気で、紅白にも3度出場しました。それだけ日本でも人気の高い歌手ですが、彼女の生い立ちを知り、ここまで波乱に満ちた人生だったとは思いませんでした。

それにしても僕が中国・台湾の歴史を取り上げるのは本当に久々です。ここ数年日本の歴史ばかりでしたからね。

さて、テレサ・テンさんの本名は 麗筠(とうれいいん)といいます。麗君(テレサ・テン)という芸名は母親が名付けたそうです。

テレサ・テンさんの父親は中国河北省のうまれで、国民党軍中尉で、アジア太平洋戦争では日本とも戦いました。母親は中国の山東省の出身です。日本が戦争に負けた後大陸では共産党と国民党が激しく争っておりました。そして1949年、国民党軍は戦争にまけ台湾にわたりました。その時、テレサ・テンさんの両親も台湾にわたりました。二人は3人の男の子を生んだ後、テレサ・テンさんを産みました。テレサ・テンさんはいわば外省人ですね。え?外省人って何?と思われる方もいらっしゃるかもしれないので、次の項目でご説明します。


2 外省人と内省人
 外省人とは、戦後国民党政府とともに大陸から台湾に逃れた人たちとその子孫のことを指します。彼らは北京語、上海語、福建語など各地の方言を話し、互いに意思の疎通もままならない人々でした。(※1)

外省人の兵士たちには欲しいものがあれば銃で脅しとる者がいたり、粗暴な人間が多かったようです。台湾に古くからいた人たちは国民党および戦後に台湾に渡った人間は自分たちと違う人間とみなし、「外省人」とよびました。そして自分たちは「内省人」とよぶようになりました。

外省人はおもに政治家や警察官や公務員・教員になり、内省人のことを差別したり、弾圧さえもしました。そのため内省人たちはそんな外省人たちに反発しておりました。政府は長らく戒厳令(※2)を敷き、台湾を支配しておりましたが1987年に戒厳令は解除。そして1988年に内省人出身の李登輝が総統に絵選ばれるなど、内省人たちも次第に日の目を見るようになります。

ちなみに、よくネットでは「内省人=親日」「外省人=反日」といわれておりますが、必ずしもそうとはかぎりません。テレサ・テンさんだけでなく、日本でも活躍されている欧陽菲菲さんも外省人出身です。台湾の内情はとても複雑で単純な善悪二元論では語れないのです。

そして今では、お年寄りはともかく、内省人、外省人の区分けも昔ほどではないようです。現に台湾の若者のツイッターとかをみてみると「若者はマジで気にしないよ。親が言ってるのは耳にするけど。だから『省籍ガー』って言ってる人は若者じゃないんだな、と思う」とか「小学生の頃はよく耳にしていたけど、この10何年で耳にすることは少なくなった」という意見も見られます。

3 子供のころから歌がうまかった
 テレサ・テンさんは小さいころから歌がうまかったようです。6歳の時に軍隊所属楽団の音楽教師に手ほどきを受けるたといいます。「才能があるあるから歌の道にすすめばいい」といわれ、やがて軍の慰問につれてってもらえるようになります。それはテレサ・テンさんが小学校2年の時です。この軍の慰問がテレサ・テンさんの人生初ステージだったのでしょう。当時のテレサ・テンさんが一番好きだった曲は美空ひばりさんの「リンゴ追分」でした。しかし、当時の国民党政府は日本の出版物などを禁じていたらしく、「リンゴ追分」の楽譜も手に入れることができなかったようです。仕方がないので、ラジオから流れるひばりさんの歌声にあわさえて練習をしたそうです。歌うことが彼女の楽しみだったのです。

それからラジオののど自慢などにも出演するようになり、13歳でプロ歌手になりました。それからのテレサ・テンさんの活躍はめまぐるしいものがありました。14歳でレコードを発売し、海外のステージにもたちました。1970年の香港公演では、クリスチャンネームであるテレサと「 」を「とう」ではなく「てん」と読ませ、組み合わせて「テレサ・テン」という芸名を使うようになりました。シンガポール、マレーシア、タイなどでも公演をおこない、地元の華人から高い人気を得るようになりました。そしてテレサ・テンさんの才能を日本人も注目します。そのお話は次回に。

※ 参考文献
これならわかる台湾の歴史Q&A
三橋 広夫
大月書店
2012-05-01




※1 え?中国人って中国語を話すんじゃないの?と思われる方もいらっしゃるかと思われますが、皆さんがご存知な「ニーハオ」とか「シェーシェー」は普通話といいまして、北京語をもとにしてつくられた中国の共通語です。日本でいえば標準語のようなものです。日本がそうであるかのように中国も地域によって方言がありますが、その方言というのが地域によってバラバラです。上海語と福建語はそれこそ英語とフランス語くらい違いがあります。

※2 戦争や内乱などの非常時に際し,全国ないしは一部地域において通常の立法権,行政権,司法権の行使を軍部にゆだねる非常法をいいます。国家緊急権制度のひとつ。本来、これは戦争だとか内乱だとかの非常時にやるもので、長くやるものではありません。しかし、台湾では長いこと戒厳令が敷かれました。