1 日本デビュー
 テレサ・テンさんは台湾でも実力があったので、日本でデビューさせたいと考える音楽会社は何社もありました。テレサさんは1974年に日本デビューしたものの、当時はアグネス・チャンさんだとか、オーヤン・フィーフィーさんらの活躍の影になりほとんど注目を浴びませんでした。一枚目にだしたシングルもまったく売れません。音楽会社の関係者の人たちは「はじめはこんなもんだよ」とテレサさんを励ましたのですが、テレサさん本人の気は晴れません。

また、テレサさんは慣れない日本の生活で戸惑いも多くありました。台湾や香港では美空ひばりさん並みの歌手として扱われていたのに、日本では新人という扱いでしかありません。新曲キャンペーンのために地方回しもしなければいけないし、音楽番組に出ても楽屋は個室が与えられず、ほかの歌手と相部屋でした。アグネス・チャンさんには個室の楽屋が与えられたのに。

しかし、テレサさんにとって一番の悩みは言葉の壁でした。たとえば「わたしは」も「わだしは」になるなど、なかなか習熟することができません。それがつらく、なんども台湾に帰りたいと母親に訴えたそうです。しかし、テレサさんが日本で歌手として成功するには越えなければいけない壁でした。

2 「空港」のヒット
 そんなテレサさんに転機がおとずれました。二曲目にだした「空港」がヒットしたのです。20代のOLをターゲットにしたのですが、この曲は40歳代の男性の心も捕らえました。この曲がヒットしてからテレサさんはだんだん忙しくなりテレビにも出るようにもなったのですが、クラブやキャバレーなどの営業もひと月に4、5回こなしたといいます。

テレサさんは「酔っ払いの前で歌いたくない」と泣くこともしばしばでした。テレサさんは台湾でもクラブで歌っていたから、そうした場の雰囲気には慣れていたのですが、日本と台湾では客の対応が違うようです。一緒に踊れとか、デュエットをしろと言われるのはもちろん、ひどいときは「脱げ」なんて言われたことも。それからテレサさんはだんだんクラブなどでは歌わなくなりました。

クラブの仕事をしなくなりましたが、テレサさんには次々と仕事が舞い込み、テレビ・ラジオ・地方公演と忙しい日々が続き、月に一日しか休みがとれなかったといいます。テレサさんに限らず芸能人は本当に大変だと思います。本当に歌とか演技をすることが好きじゃないとやっていけない仕事だと思います。

3 偽装パスポート事件
 順風満帆でいくかと思われたテレサさんですが、ここで事件が起こります。人生塞翁さいおうが馬といいますが、いいことばかり続かないのですね・・。シンガポールなどで公演していたテレサさんが、パスポートを偽装したという嫌疑で、東京入国管理事務所によって収監されてしまったのです。それは1979年の出来事です。

テレサさんは本来の台湾のパスポートではなくインドネシア発行のパスポートで来日しようとしたため、旅券法違反で国外退去処分を受けたのです。当時、1972年の日中国交正常化の影響で日本は台湾とは国交を断絶していました。そのため、台湾のパスポートでは日本に入国の際に非常に煩雑な手続きが必要でした。日本は1972年にいまの中国(中華人民共和国)と国交を結びましたが、そのとき台湾との国交を断絶してしまったのですね。

そんな煩雑な手続きを避けようとしてテレサさんはひそかにインドネシアのパスポートを入手して使ったのです。そこで彼女はインドネシアのパスポートで「エリー・テン」という名前で入国していました。これはテレサさんだけでなく当時の台湾の著名人(歌手や芸能人を含む)は、皆インドネシアのパスポートを持っていたそうです。パスポート自体はインドネシア政府筋による正式なもので、決して偽造パスポートではなかったのです。

そのため、事件としては白黒はっきりしないグレー決着となり、彼女は1年間の国外退去処分となりました。この事件で日本だけでなく台湾からも非難の声が上がり、台湾当局は彼女の身柄の引き渡しを強く要求しました。「テレサを返せ」といわんばかりに。しかし当時テレサさんのプロデューサーが「要求に従えば数年間は歌手活動が出来なくなるだろう」と考え、彼女をアメリカに渡らせることにしました。日本と台湾の政治的事情が、テレサさんの芸能活動にも支障をもたらしたのですね・・・

アメリカで暮らしたテレサさんが再び日本の土を踏むことになります。その辺のお話はまた次回に。

※ 参考文献 


これならわかる台湾の歴史Q&A
三橋 広夫
大月書店
2012-05-01