前回はテレサさんが日本でのご活躍をお話ししましたが、今日は時代を少しさかのぼります。日本に再来日する前のテレサさんのお話からはじめます。1980年にアメリカから台湾に帰国したテレサ・テンさんは、まっさきに中国との国境の島、金門島きんもんとうを訪れました。そして兵士たちと歌を合唱し、大陸にむかって「『何日君再来』をいっしょに歌ってください」とよびかけました。台湾の国民政府は、中国でも人気を博していたテレサさんを利用したのでした。

この「何日君再来」は1937年に映画の挿入歌としてつくられました。酒場の踊り子が、一人の抗日青年に思いを寄せつつ、その青年が作戦を成功させて次の任地に移っていくときに歌う、別れの歌でした。それを日本のレコード会社が日本語の歌詞をつけて発売し、広く知られました。しかし、日本軍は中国の抗日ソングだということで、この歌を歌うことを禁じました。戦争後は台湾の国民政府が、この歌の「君」は日本軍のことで、日本軍を懐かしむ歌だということで歌うことが禁じられました。

中国では文化大革命の混乱が収拾にむかい、改革開放政策がおしすすめられました。改革開放政策とは、中国は社会主義の国でありながら、資本主義の良いところも取り入れていこう政策です。海外の情報や文化も様々なルートから入ってくるようになりました。当時の中国人たちは、文化大革命の混乱でほとほと疲れていたので、平和におだやかにすごしたいという気持ちを強くおもっていました。そんなときにテレサさんの「何日君再来」のやさしい歌が当時の中国人たちに響いたのでしょう。

中国共産党は、これほど親しまれたこの歌を、革命精神を堕落させる歌だとして禁止しました。しかし、人々はそれでも、平気でこの歌を歌ったり聴いたりしていました。「小圧倒老」(かわいいが年老いたを負かした)などという人もいました。小平とうしょうへいによって、この歌は禁じられても、みんなテレサのことを愛し、逆に小平のことを煙たがっていたということでしょう。

その後、中国も胡耀邦こようほうが実験をにぎると、テレサの名誉も回復され「何日君再来」も愛国の歌とされました。そればかりか、北京などでコンサートを開くようにひそかに招待されました。

「何日君再来」は日本軍にも、台湾の国民政府にも、そして中国共産党の幹部にも疎まれたいわくつきの歌ですが、この歌もやっと日の目をみるようになるのですね。そして、この曲はテレサさんの代表曲でもあり、現在も数多くの歌手や音楽家によって歌われたり、演奏されたりしております。




※ 参考文献

これならわかる台湾の歴史Q&A
三橋 広夫
大月書店
2012-05-01