南国土佐を後にして」はペギー葉山さんの名曲です。ペギー葉山さんといえば、僕の世代だと「ひらけポンキッキ」にでてきた、しつけおばさんのイメージが強いです。また、紅白歌合戦にもたびたび出場され、昭和41年の紅白では司会もされました。ペギーさんがお亡くなりになり、一年になるのですね。早いものです。

それでは、「南国土佐を後にして」の曲の説明をします。この曲は武政英策が作詞・作曲しました。もともとこの曲は中国戦線に赴いた兵隊たち(通称くじら部隊といったが、望郷の思いから歌っていた「南国節」あるいは「よさこいと兵隊」という曲名の歌だったそうです。それが戦後になって歌詞が変わったのですね。

空襲で焼け出され、高知県に疎開をしていた武政は、酒の席で元歌の「南国節」or「よさこいと兵隊」を聴き、その望郷の思いに心を動かされたといいます。そして、戦後になって武政は原曲の「南国節」or「よさこい兵隊」を採譜、整理、改編しており、原曲の歌詞にあった「中支ちゅうし」「露営ろえい」など戦時下を連想させる言葉を、集団就職の若者をイメージさせる言葉に置き換えたといいます。

昭和28年(29年?)にレコード化し丘京子さんという歌手がお歌いになり、昭和30年には鈴木三重子さんという歌手がお歌いになったのですが、いづれもヒットしなかったそうです。それが、昭和34年にペギー葉山さんがお歌いになり、この曲は大ヒット。

昭和34年といえば高度成長期。いままで高値だったテレビが一般家庭でも普及しはじめたのです。そして集団就職で都会に出た多くの若者の、望郷の思いを代弁する歌として、100万枚も売れたといいます。戦時中、そして集団就職の時代、どちらの時代においても、遠く離れた故郷を思う人々の心に、この曲が響いたのですね

また、この歌の歌詞に「かんざしを買った坊さん」という言葉が出てくるのですが、そのお坊さんは実在したのですね。五台山竹林寺の純信というお坊さんです。鋳掛屋いかけやの娘、お馬に恋をし、彼女を喜ばせようとかんざしを買ったそうです。むかしは、お層板がそんなことするなんて考えられない時代でした。お坊さんが女性に恋をして、何かをプレゼントするということはとてもハレンチなことだったのですね。そのお坊さんのウワサはたちまち広まり、歌にまでなったのですね。


(原曲を歌われている元兵隊さんの動画)

※ 参考文献