きょうの記事は長いです。

1 アンシャンレジーム

 むかしドラマ「女王の教室」ってありましたね。オニ教師が「この国は勝ち組が一生楽しく暮らせるようにできているの。あなたちはずっと愚かでいてくれたほうがいいの。」というセリフがあります。平成の日本を皮肉ったセリフですが、フランス革命のころのフランス社会はまさにオニ教師の言っていた社会そのものでした。

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2005-12-21




フランス革命がなぜ起こったかといえば、それは当時のフランスが超がつくほどの格差社会で、一般国民の不満が高まったからです。今では考えられないことですが、当時のフランスは身分差別がありました。まず、当時のフランスは絶対王政で、王様が一番偉いという時代でした。その王の下に大きく分けて三つの身分がありました。いわゆるアンシャンレジームと呼ばれています。



第一身分が聖職者いわゆる神父さんとか教会で働いている人たち、第二身分が貴族、そして第三身分が平民でした。聖職者と貴族は税金が免除されておりましたが、第三身分の平民だけは重い税金を課されていました。ちなみに、第三身分つまり平民の数はフランス全国民のおよそ98パーセントに対し、残りの2パーセントがそれ以外でした。



そして貴族の多くが、自分の領地をもっており、貴族は領主として、農民から年貢を徴収したり、商品の生産や流通にも重い税金を課していたのです。貴族はそれだけ良い思いをしていたのです。平民は、重い税金をかけれれていたのです。それだけでなく、第三身分の人たちは、特に貴族たちからバカにされたり、見下されたりと人間としての尊厳を傷つけられたのです。



また、三部会とよばれる議会がありまして、第一身分、第二身分、第三身分のそれぞれが話し合います。しかし話し合いとは建前で、身分別の多数決をとっていました。第一身分、第二身分、第三身分、それぞれ議員が300名ずついましたが、単純な議員による多数決ではないのです。



まず各身分ごおと(300票)で個別に多数決採決をおこない、一票でも多い意見が「その身分の総意」とされます。たとえば、税金を安くしようという案がでて、第一身分の300票のうち149票賛成意見があっても、151票の反対意見があれば、そんなわずかな差であっても第一身分は税金を安くすることに反対だということになるのです。そうして各身分ごとに一票が与えられ、最終的に3票で採決される「身分別議決方式」です。だから、貴族の特権を廃止しようという意見に第三身分が賛成しても、第二身分と第一身分が反対すれば、1対2で、貴族の特権廃止案は廃案になるわけです。



2 ブルジョワ

 また、第三民分も一枚岩ではなく、第三民分にも富める者と貧しいものがはっきり分かれておりました。たとえば、都市部ではブルジョワという層がでてきました。もともとは町人という意味でしたが、彼らは貿易業者や金融業者、富裕な商工業者、弁護士や医師、文筆家、かなりの職人を使う親方など、豊かで教養もある人たちでした。特に弁護士はブルジョワの中でも、知識が豊富で、当時はやっていた啓蒙思想(※1)の影響を強く受けておりました。

のちに革命の中心人物となるロベスピエールも弁護士でした。そのブルジョワの中核をなす商工業者は、かなりの労働者や職人をやとっており、いわば資本主義マンセーの人たち。今でいえばホリエモンみたいな人たちです。


資本主義の発展に必要な条件は、財産などの所有権の保護、自由な商売のやり取りができることです。要するにブルジョワが求めるものは、自由、所有、権利の平等でした。ところが、革命前のフランスは、商売をするにしても、高い税金を払わなくてはいけません。それで貴族は税金を払わず、ろくに働かないでブイブイやっている。

ブルジョワにとって、これは面白くありません。ブルジョワたちが革命に身を投じるのも自由な経済活動を求めるためでした。ブルジョワにとって貴族たちは敵でしかありません。そんな貴族がのさばるような社会をぶち壊し、俺たちが権力を握るとおもうのは自然な流れだったのです。

でも、ブルジョワといわれた人々は本当にごく一部。ほとんどの人は貧しい人たちでした。下っ端の職人、小さなお店の店主、メイド、ホームレスなどなど。都市部の人たちの最大の関心ごとは「その日のパンをいかにして確保するか」でした。


工場で働いている人たちは一日に16時間働きましたが、年収は400〜700リーブル。これは日本円になおすと、だいたい40万〜70万くらいだそうです。これは大変なことです。いま日本では年収100万円でさえ大変だというのに。この時代のフランスには平成の日本みたいに100円ショップも業務用スーパーもありませんし。ましてや1789年には凶作でパンが高騰したといいます。給与生活者の家庭では支出の88パーセントをパン代に充てられたというからオドロキです。。なおさら当時のフランスの一般ピープルは大変だったことがうかがえます。

ただでさえ、パンが高くて大変なのにこれ以上パンの値上げなんてとんでもない話で、物価の統制(物価が上がらないように抑える)をしてほしいのです。

3 農村でも格差が

 都市部だけでなく、農村でも、勝ち組の農民と貧しい農民の差がありました。勝ち組の農民は、貴族や領主から広い農場を借地して経営し、住み込みの作男や日雇いの労働者を雇っていたといいます。当然、こういう勝ち組の農民は第三身分でありながら、第一身分の聖職者や第二身分の貴族の人たちとつるんでいたといいます。だから、同じ第三身分でありながら、貧乏な農民とは距離、あるいは対立さえしていたそうです。

貧しい農民はわずかな土地しか持てないから、とても一家を養うほどの作物はとれません。自給自足なんて夢のまた夢。年貢も納めなければいけないし、貴族のために賦役ふえき労働もしなければいけないのです。え?賦役労働って何かって?僕も説明せよといわれると困るけれど、道路工事などの重労働をタダ働きさせられたといったところでしょうか。

年貢プラス税金もいろいろとられたそうです。国家には「人頭税じんとうぜい」、教会には「十分の一税」納めなければいけません。それだけ取られた手取りが全収入の10パーセントくらいしかないなんて人もいたそうです。それではほとんど生活なんてできません。


だから、貧しい農民たちはもっと広い土地が欲しいと願うのは自然の流れでした。貧しい人たちにとっても、いまの体制が続くことは非常に良くないことなのです。

4 あまりにも貧しい人が多すぎた
 このように、都市部でも農村でも食べ物に困っている人がたくさんいたのです。革命が起きた時、大勢の死者がでました。そのとき身ぐるみはがされた死者が放置されていたといいます。それは、貧しい人たちが、死人がはいているクツ下や着ている服を盗ったからです。それくらい、当時の人たちは着る者にも困っていたのです。服なんて高くて貧しい人たちには買えないものでした。ユニクロもしまむらもなかった時代でしたから。ぼろは着てでも心はにしきといいますが、少しでもいい服を着たいと思うのが人情でしょう。

また、6、7歳から働いて金を稼ぐのは少しも珍しいことではありませんでした。いまの日本では考えられないことです。教育を受けられるのはごく一部の恵まれた子供たちだけ。学校など一度も言ったことがないという人がほとんどでした。

だから自分の名前が書ける人はフランスの全人口の3分の1程度でした。役所や教会などでどうしても署名しなければならないときは〇か×ですましていたそうです。また、教育があれば、国王や貴族たちが理不尽なことをしても、それに逆らう知恵も勇気もわくし、国王たちや勝ち組たちのやっていることの矛盾にも気づくことができます。しかし教育がないと国王たちがアホなことをやっても、ただブーブー文句を言いながら従うだけなのです。

そう考えると学校で教育を受けられるのはありがたいことなんですね。もっとも、いじめがひどいとか、バカな先生が体罰をやりまくっているとかだと話は違ってきますが。

また、赤ちゃんやおさない子供たちの死亡率も異常に高かったのです。一般国民の平均寿命も30歳だというから、いかに当時の人たちが明日の食べ物にも困り、栄養失調になったり、お金もないから医者にもろくにかかれなかった人が多かったことがうかがえます。

5 ブルジョワ層との一般ピープルとの認識のズレ
 このように貧しい人が多かった一方で、おなじ第三身分でもブルジョワは食べものにはさほど困っていません。むしろ、貧しい人たちが要求する、パンなどの生活必需品を安くしろだの、物価を統制しろだの、もっと広い土地をよこせなどは、ブルジョワ層にとってはあまりありがたい話ではないようです。

本来、ブルジョワと貧しい人たちの利害は一致しないのです。ブルジョワは今でいえば、資本主義をバンバン推し進めてほしい側。でも資本主義がどんどん進めば貧しい人たちはますます貧乏になります。それはいまの日本やアメリカをみればわかること。

パンが値上がりしたり、これ以上自分たちの土地が狭くなったら困るのです。それが、革命の時にブルジョワも一般ピープルも力を合わせるのです。国王という共通の敵がいるから。「ドラゴンボール」に例えれば、それまで敵同士だった悟空とベジータが、フリーザという共通の敵を倒すために力を合わせるようなもの。でも、共通の敵が倒れると、ブルジョワと貧しい人たちの対立は深まるのですが、それはのちにお話しします。







※1 非常に乱暴ないいかたをすれば、無知で愚かな大衆に知識を与え、目をひらかせようとする思想


※ 参考文献