1 買った覚えのない首飾り
 今日は「マリーアントワネットの首飾り事件」についてです。フランス革命のことをざっと書きましたが、今日はフランス革命が起こる前の話。この事件が起きたのは1785年です。この事件によってアントワネットの評判を下がり、国民の反感も買ってしまったのです。

事件の発端は、ルイ16世の先帝ルイ15世の時代です。ルイ15世が生前デュ・バリー夫人に贈るために注文したという、ダイヤモンドの首飾りでした。しかし、ルイ15世が亡くなったために、この首飾りの買い手がいなくなったのです。それで、宝石商ベメールは、マリーアントワネットのところにセールスにやってきます。

アントワネットは首飾りの輝きに目を奪われますが、その値段が160万リーブルだときくと思わず仰天。それもそのはず、160万リーブルは日本円にして約192億円にも上る金額。さすがのアントワネットも、その場で購入を拒みました。

しかし、後日アントワネットの元へベメールから首飾りの代金の支払い催促状が届きます。おかしいですね、買った覚えのないのに、代金を払えなんて。アントワネットはそのベメールからの催促状を燃やしてしまったといいます。そりゃそうですよね。しかし、のちにアントワネットに恐ろしい災難が降りかかるとは、そのときのアントワネットは思わなかったでしょう。

2 大司教ローアン
 1785年8月15日、事件は明るみに出ます。宝石商ベメールがアントワネットに首飾りの代金支払いを求め、直接訪ねてきたのです。不審に思うアントワネット。しかし、アントワットが知らぬ間に、アントワネットの名をかたった別の人物が契約をし、首飾りを購入していたのが判明したのです。

そして、逮捕者もでました。初めの逮捕者はローアン大司教。かれは大司教でありながら女好きで、アントワネットも嫌っていました。しかし、ローアンはアントワネットをものにしようと狙っていて、しつこくすり寄っていたのです。

ローアンが逮捕されたのは、首飾り購入の契約書に保証人のサインをしていたからです。当初はローアンがアントワネットの署名を偽装し、ベメールに契約書を渡したものと思われていました。が、実際には、ローアンは保証人としてサインするように即され、彼もまた騙されていただけだったのです。

3 事件の黒幕
 この事件には黒幕がいました。それがジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人です。ジャンヌは貴族バロア家における最後の当主と女中の間にうまれた不義の子でした。彼女こそが、アントワネットが首飾りを欲しがっているとローアンに吹き込み、彼を保証人にたて、まんまと首飾りを手に入れた犯人だったのです。

宝石商ベメールがアントワネットに首飾りを売りたがっているのを知ったジャンヌは、ローアンに契約のことを持ち掛けます。ローアンはアントワネットに近づきたかったから。ジャンヌはローアンを利用し、より高い地位と財産を手に入れようと、かねてよりアントワネットを騙ったニセのラブレターをローアンに渡したり、アントワネットのそっくりさんの女性をローアンに会わせたり、いろいろやっていました。ローアンはアントワネットが自分に気があると思い込むようになりました。

しかし、首飾り購入の件は、すべてジャンヌの仕組んだ詐欺事件であることが発覚。アントワネットは事の真相をしり、大激怒。ローアンそしてジャンヌを裁判にかけたのです。そして翌年の1786年に判決がくだります。なんとローアンは無罪。

一方のジャンヌは、「証拠がない」と反論し続けました。でも、ジャンヌはすでに首飾りの540粒のダイヤをばらばらにし、ヨーロッパ各地に売りさばいていたのです。たちが悪いですね。ジャンヌの判決は終身禁固が命じられた上に、ジャンヌの両肩にドロボウの頭文字であるVの烙印を押されることになりました。フランス語でドロボウを「voleur」(ヴォルール)というそうです。その後、ジャンヌは何者かの助けで脱獄し、亡命先で回想録を何冊も書きました。そこには事件のすべての犯人は王妃であるという事実無根の事柄が書き連ねてあったのです。その回想録こそ「アントワネット醜聞伝」です。まさに逆恨みもいいところですね。


しかし、一般国民たちはジャンヌのことを信じてしまうのです。ジャンヌよりむしろアントワネットのほうが悪者になってしまったのです。「俺たちだって食うに困っているのに、アントワネットは高い首飾りを買って贅沢をしている」と反感を買っていたのです。なんだかアントワネットがかわいそうです。この事件が、アントワネット処刑になった理由の一つだと思うと、やるせません・・・