桂歌丸 名席集 CD-BOX
桂歌丸
ポニーキャニオン
2018-03-07



桂歌丸師匠が亡くなって、もう一年たつのですね。月日のたつのも早いものです。「笑点」では時事問題を得意とし、時に厳しい政治批判を回答者時代よくされておりました。たとえば、「説得力のないセリフは?」というお題に対し「政治家の"日本を変えてみせる"」と答えておりました。

そういう彼のピリリと辛い風刺は定評がありました。司会者になってからも、政治批判だとか風刺がらみの回答を好み、そういう回答をした人には(たとえば三遊亭円楽さんとか)座布団を気前よく上げていたのを覚えております。そんな調子ですから、歌丸さんはある政治家から圧力があったそうです。ある政治家が「あんまり政治家の悪口を言うなよ」というと、歌丸さんは得意のとんちをきかし「悪口言われるような政治家になるな」と言い返したそうです。すごいですね。その歌丸さんの言葉に政治家はぐうの声も出さなかったそうです。歌丸さん、かっこいいですね!

歌丸さんが亡くなってからも、政治批判する回答がちょくちょくでてきます。すると、炎上をしたり、保守系言論人から批判もされるそうです。そもそも、落語とは庶民のためのもの。庶民が噺家たちの風刺をきいて、留飲をさげるのです。「自分たちが言いたいことを代弁してくれてありがとう」って。逆に言えば、噺家が権力マンセーになったら面白くありません。権力への批判精神を失い、弱者や庶民を切り捨てるようになったら落語はおしまいだと僕は思います。

戦時中はまさに噺家が政治批判をできない時代でした。

1940年9月に、当時の講談落語協会などは「磁極柄ふさわしくない」として、遊郭にまつわったお話や、恋物語、残酷な話を自粛したのです。これは上からの圧力ではなく、自主的な行為です。そして、ただ自粛しますと宣言しただけではダメと思い、記念碑をたてることにしました。翌年の1941年に浅草の本法寺に「はなし塚」を建立し、その塚に禁じた落語の台本、せんすや手ぬぐいを奉納したといいます。その「はなし塚」は今もあるそうですよ。



そして戦況が悪化し、いくつもの演目が時節柄ふさわしくないとして演じられなくなりました。禁演落語といいまして、53種あったといいます。しかし、戦時中に演じらるのが太平洋戦争に突入し、戦況が悪化していくなかでも庶民は笑いを求めていました。その庶民が心から楽しんでいた落語は、古典落語(江戸時代にできたもの)で、平和で明るく、実にのんきでほのぼのとしたお話ばかりです。しかし、政府はそんな落語さえも目の敵にしたのです。

噺家が寄席でそうした禁演落語をやろうものなら、警察がやってきて「中止」と声がかかってしまいます。禁演落語だけでなく、歌丸さんみたいに権力者を批判したり、戦争をちょっとでも批判すると厳しく取り締まりをされたといいます。

ただ、禁演となった53種の落語は、戦前、表むきは寄席で演じられなくなりました。が、噺家が軍の慰問にいくとそうでもなかったそうです。一般の兵隊には基本的に演じなかったそうですが、こっそり女郎買いの噺をしたら、一般兵たちから喜ばれたといいます。さらに将校には、逆に禁演落語をやってくれと言われたといいます。軍の上層部では禁演落語どころか、もっとエッチな噺もしたといいます。

ある噺家は「兵隊の前じゃいけないが、将校の前ならば会食の時なんかに演じると喜ばれるんです」と証言しております。戦争でいつも締め付けられるのは、一般国民と下っ端の兵隊だけ。上層部や勝ち組はそんな時代でもおいしい思いをするのですね・・・

※ 参考文献