これまで、日本の防空法のことを書かせていただきました。書くたびに防空法が悪法であること、当時の為政者たちが国民を守ろうとする気概がまるでなかったことに腹が立って仕方がなかったのですが、もっと悪いのは無差別に爆撃を行った米軍です。

そもそも米軍が大都市のみならず無差別に地方都市まで攻撃したのは、日本の軍需産業は当時家内手工業にかなりの部分を頼っていたのです。つまり家庭の内職で部品を作っていたのですね。また、下請け企業も都市部だけでなく地方の都市にもあったことも理由の一つだと考えられます。


また、米軍は日本本土空襲に入る前にガダルカナルの攻防や硫黄島など、日本軍の激しい抵抗にあいました。日本軍の果敢な戦いぶりは米軍も震え上がったといいます。捕虜になることを拒否し、捕虜になるくらいなら玉砕も恐れないというその士気を恐れたのです。もし、今後も徹底抗戦にあったら、米軍の被害も甚大なものになる。そこで米軍が取った戦略は徹底的に空き地にして、抵抗する日本人がいなくなったところを確かめてから進出し、占領するとう作戦をとったといいます。


そのときアメリカの爆撃兵団を率いたのがカーチス・E・ルメイ。日本の都市を無差別に焼き尽くした張本人に、なんと日本政府は勲章を贈ったといいます。呆れた話です。その勲章は勲一等旭日大授章。最高位の勲章です。授章の理由は「航空自衛隊の育成に貢献したから」


それは昭和39年(1964年)のことです。時の総理大臣は佐藤栄作氏。そして当時の防衛長官が小泉純也氏。小泉純一郎元総理の父親にあたります。

ルメイに勲章をおくった理由として佐藤栄作元総理は次のように述べております。

「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば過去は過去として功に報いるのが当然、大国の民とはいつまでもとらわれず今後の関係、功績を考えて処置していくべきもの」

小泉元防衛長官は、勲章授与について次のように説明しております。

「功績と戦時の事情は別個に考えるもの。防衛庁の調査でも当時ルメイは原爆投下の直接部隊の責任者ではなく、原爆投下はトルーマン大統領が直接指揮したものである」

当然、勲章について国会でも批判が大きく、社会党などが反対したといいます。当時の国民感情からすれば、これは当然でしょう。ちなみに今でもこの勲章は返すべきだという意見も少なからずあるようです。

そのルメイは東京大空襲ほか日本各地の空襲で良心の呵責がなかったのでしょうか。


「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」

「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」

「答えは“イエス”だ。軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。だが、戦争は全て道徳に反するものなのだ」


またルメイは自著でもこう述べていたそうです


「焼夷弾空襲での民間人の死傷者を思うと、私は幸せな気分にはなれなかったが、とりわけ心配していたわけでもなかった。私の決心をなんら鈍らせなかったのは、フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人―民間人と軍人の両方―を、日本人がどんなふうに扱ったのか知っていたからだ」[




※ 参考文献
日本空襲の全貌
洋泉社
2015-02-26