1 虎狼狸(ころり)がやってきた!

 幕末に虎狼狸ころりという妖怪ようかいが日本に出没しました。この妖怪はタヌキとオオカミとトラを混ぜたような奇怪な妖怪ようかいで、疫病えきびょうをはやらせ人々を苦しめたという妖怪です。この妖怪の絵が当時はやったのです。もちろん、妖怪などいるはずがなく、当時の流行り病を妖怪化したものです。



あと管狐くだぎつねというめっちゃ小さなきつね。このキツネは人間の体に入り命を奪ってしまうという恐ろしい狐がいたと当時の人は信じておりました。



昔は医学がそれほど発達してなくて、病気は妖怪か化け物の仕業だと思われていたのですね。また、人間が不安を感じた時に不安の原因や対処法がわからないときには目に見えやすいようなわりのいい原因を求めることによって我々は自分の不安を落ち着かせようという心理があるのですね。そうした心理が虎狼狐のような妖怪を産んだのですね。



2 コレラとは
その流行り病はコレラ。この病にかかるところりと倒れてしまうからコロリとも呼ばれました。特に安政5年(1858年)はコレラが大流行し江戸を地獄におとしいれたのです。これにかかると激しいゲリとき気、それから脱水症状だっすいしょうじょうになって下手すりゃ死んでしまうのです。当然人々はパニックになります。桑の葉がきく、せんじた黒豆がきく、みょうがの根がきくと色々ウワサされました。人々はそれらのものをこぞって求めたといいます。本当にコレラにきくかわからないのに。また、ニホンオオカミの骨がコレラにきくとも信じられました。そのためニホンオオカミが乱獲され、ニホンオオカミが絶滅した原因のひとつだったのですね。・・・・何ともおろかな話です。

でも、これは令和を生きる現代人が笑える話ではありません。イソジンがコロナに効くというウワサがたつなり、イソジンが品切れになったっていいますし。

それから、お祭りをしたり、神社にお参りをしたり疫病の退散を人々は願ったといいます。特に秩父の三峯神社みつみねじんじゃには神に仕えるオオカミがまつられ、人々はこぞって三峯神社にお参りに行ったといいます。その神に仕えるオオカミが疫病をはやらせる化け物を退治してくれると信じられていたのですね。まさに苦しい時の神頼み。有効な治療法がないものだから神にお願いするしかないですよね。




3 コレラの感染経緯

 コレラ菌は水に潜んで、人体に入り込みちょうの中で増殖ぞうしょく。そうして、その人は感染し苦しむわけです。さらに悪いことに、その人の排泄物はいせつぶつにもコレラ菌が潜み、かわや(今のトイレ)から水に流れ、さらにまたコレラ菌が広がったのです。江戸の昔は下水道がなかったし、衛生状況も今ほどよくなかったので。



日本にコレラが広まったのは安政5年(1858)に長崎に入港したアメリカ船の船員にコレラ患者が発生したといいます。それから長崎から東日本へとどんどんコレラが流行っていったのです。江戸では約20万人がコレラで亡くなったといいます。それまで日本にも天然痘てんねんとうとか疫病はありましたが、これまで経験したことのないような疫病が流行ったと。だから、当時の日本人は外国人が病をもたらす妖怪を持ち込んだのではないかと信じられていたのです。



当時の人々は、コレラの原因が海外からやってきた妖怪の仕業で、それは人から人へ移ると思っていたのですね。それは当たらずも遠からず。しかし、その対処法はいづれも的外まとはずれなんです。人間は不安を解消する納得感なっとくかんを重視すると、その不安の根本的な解決法からなぜか遠ざかり、おかしな方向へ進みやすいのです。





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(虎狼狸の絵。ウィキペディアより)








※ この記事は「歴史秘話ヒストリア」と「ダークサイドミステリー」を参考にして書きました。