奈良県の吉野といえば、桜の名所であります。その桜の本数は千本桜じゃなかったw(初音ミクかw)3万本だと言われております。最も現地の人に聞いたら4万本はあるんじゃないかと言いますが、世間では3万本の桜と言われております。これだけのたくさんの桜は自然にはえたものではないし、観光目的で植えられたものでもありません。実は、吉野の桜は信仰の証として植えられたものです。

吉野で桜が植えられるようになったのは、役小角エンノオヅメという人物が関係あります。葛城山カツラギサンのふもとで生まれ、山岳修行をしたのち、日本固有の山岳宗教に密教や陰陽道を取り入れ独自の修験道を確立させた人物です。また、役小角は藤原鎌足の病気をの治したと言われておりますが、人々を迷わせたと言われ、699年に伊豆に流罪になりますが、のちに許されます。

役小角は、葛城や熊野、そして吉野などの霊山で修行を重ねておりました。すると、役小角の前に蔵王権現ザオウゴンゲンが現れたと言います。感激した役小角はその蔵王権現の姿を山桜の木に刻み、本尊としてお祀りしたと言います。それから、吉野に参拝した人たちが、信仰の証として桜の木をこの地に植えるようになったと言います。


また、役小角は年齢や性別に関係なく蔵王権現をお参りできるようにと吉野に蔵王堂を建立したと言います。


吉野は修行の山ですが、観光地としての顔も持っております。毎年、桜の季節になると観光客で賑わいます。吉野に観光で訪れたのは豊臣秀吉が最初だと言います。秀吉が吉野へ花見に訪れたのは1594年。
徳川家康や前田利家、伊達政宗など名だたる武将たちを集め、総勢5000人もいたと言います。秀吉一行は5日間吉野に滞在しましたが、秀吉が吉野に訪れてから3日間も雨だったそうです。

それに怒ったのは秀吉。秀吉は、「明日も雨だったら、吉野の桜に火をつけて燃やしてやる」とブチ切れたのです。それに慌てたのが吉野の僧侶たち。僧侶たちは晴天になるように夜通し祈願をしたそうです。その甲斐あって、四日目は見事に晴れ。秀吉はたいそう喜び、桜を燃やすどころか、桜の苗木を吉野の地に1万本寄進したと言います。


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(蔵王堂の入り口)

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(蔵王堂。現在は改修工事中。)

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(吉野の街並み)


* 参考文献及び参考サイト

吉野の観光パンフレットやウィキペディアなど