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 (仁徳天皇陵もしくは大山古墳の写真。Wikipediaより)

まず、写真をご覧ください。大阪府南部の堺市、羽曳野市ハビキノシ、藤井寺市にまたがる地域に古墳コフンがいっぱいあります。「百舌鳥・古市古墳群モズ・フルイチコフングンと呼ばれた古墳群です。その中で最も大きな古墳がこの写真です。この古墳の大きさは長さが525メートル、前方部分の幅が347メートルもあり、周囲には二重の堀がめぐらされており、周囲にはいくつもの小さな古墳がたくさんあるのですね。そのスケールの大きさから、この古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝の陵墓リョウボと並ぶ、世界三大陵墓ともいわれております。

ところが、そんなに世界的に有名な古墳でありながら、その名称が何度も変わっているのです。1970年代から80年代は、この古墳を仁徳天皇陵ニントクテンノウリョウと言いましたし、僕もそのように教わりました。それが1990年ごろから、「仁徳陵古墳」となり、それが現在では「大仙陵古墳ダイセンリョウコフンないし「大山古墳」というそうです。従いまして現代の教科書でも「大仙陵古墳」ないし「大山古墳」と書かれております。


なぜこのように何度も名前が変わったからというと、埋葬者マイソウシャ仁徳天皇ニントクテンノウかどうかはっきりしないからです。仁徳天皇は4世紀ないし5世紀に即位した第16代天皇で、奈良時代に編纂ヘンサンされた『日本書紀』にも、『古事記』にも、さらには平安時代の様々な制度について記した『延喜式』にも、どこに仁徳天皇が埋葬されたかはっきり書かれていないのです。どの史料にも現代の大阪の百舌鳥もずのどこかに埋葬されたとあるだけです。百舌鳥・古市古墳群のうち、どれかが仁徳天皇の墓であることは間違いないのですが、それがどれかはわからないのです。それで古墳群の中で一番大きな古墳が、仁徳天皇の墓だろうということになっているのですが、もしかしたら、仁徳天皇は意外に小さい古墳に埋葬されているかもしれないのです。

それでこの大きな古墳が仁徳天皇のものかどうかを調査をしたいところですが、大山古墳も宮内庁が管理していて研究者といえども立ち入り禁止。だから、調査もまともにできないのです。調査できるのは宮内庁の関係者だけ。それが2018年、宮内庁が堺市と共同で発掘調査を行ったのです。調査は1ヶ月程度で終了し、調査されたのも堀を囲む堤と言われる部分だけで、誰が埋葬されたのか依然として謎のままです。

しかし、その堤から興味深い発見があったそうです。まず堤の平らな部分に石が敷き詰められておりましたこのような作りの古墳は他にはみられないのです。さらに、その石が敷き詰められた平らな部分に直径35メートルほどの約3万本もの埴輪ハニワが列になっているのも見つかったと言います。このような造りは珍しく、おそらく、この大山古墳はかなりの権力者が眠っていることは間違いないということがわかったのです。また今後、大山古墳の調査も再開し、新たなことも判明するかもしれませんね。

* 参考文献