1 沈み行く大和
 大和は左舷を徹底的に敵から攻撃され、艦体に穴が開き、そこから海水が入って、どんどん艦体は傾いたのです。大和は注水システムがあって、例え左舷がやられても右舷に水を入れてバランスを保つのです。が、もはやその注水システムが機能しないほどになったのです。こうなると大和は沈むだけ。それで「戦闘中止、総員、最上甲板へ退避せよ」という退去命令が午後2時20分ごろに出たのですが、船は沈む一方。逃げたくても逃げられない状況です。


「ドアや何かでは全然出られん。水が入ってきて閉まってるもの。傾いているし。天蓋てんがいの窓からは水がザブーンと入ってくる。それに逆らって、窓から1人ずつ押し上げて外に出して、ほれ行けほれ行けって。そのときはザーザー水が入ってきた。まるで滝登りやね」
『戦艦大和 乗組員たちが見つめた 生と死』(NHK取材班)より P170


だから、逃げるのを諦める乗組員も少なくなかったようです。大和と運命を共にしようって。なんとか生きようと思った者もいれば、大和と死のうと思った者もいた。あるいは、その両方を頭の中で何度もぐるぐる回った者もいたと言います。そうこうしているうちに水はどんどん入っていき、乗組員たちを飲み込んでいく。


「なんぼもがいてもアカン。ああ、苦しいわ、水飲んで死ぬのは本当に。鼻から水は入る、口から入る、もう息ができへん。あんまり苦しいから自分で舌をかみ切って死のうと思っても、かみ切れん。いっぺん、やってごらん。そんなもん簡単にいけへんで。そのうち気が遠くなって、目の奥が真っ暗になって、お母さんの面影がすーっと浮かんできた。」
『戦艦大和 乗組員たちが見つめた 生と死』(NHK取材班)より (P173)


死を覚悟した習慣、お母さんの面影が浮かんだとうい証言は多かったと言います。「お国のために死にます」と言って戦地に行った人たちも最後にすがろうとしたのは、やはりお母さんだったようです。それでも、なんとか生きようと必死な乗組員は甲板までたどりつき、そこから海にザブーンと飛び込んだそうです。しかし、中にはなかなか飛び込もうとしない兵もいたのです。


若い兵隊がしゃがんどった。海に飛び込まないで。僕が『おい、お前ら、飛び込むぞ』って言うてもね、起き上がらんの。手を降るんじゃがね。今から思うとその兵隊らはね、水泳ができなかった。昔の海軍ちゅうのはみんな水泳やりおったですが、終戦間際の若い兵隊なんか、訓練の中に水泳なんか全然ないじゃけ。そいで山から出たような兵隊、水泳ようせなんだよね。あれはほんとかわいそうやった」
『戦艦大和 乗組員たちが見つめた 生と死』(NHK取材班)より P178



戦争も末期になると水泳訓練もロクにしてもらえないまま、戦場に送り込まれた者も少なくなかったのです。中には、海軍に入って初めて海を見たという少年兵もいたほど。自分の意思で大和に残った者もいれば、逃げたくても逃げきれなかった者もいたということでしょうね・・・

2 大和爆発
 大和を離れ、海で一人一人がバラバラに漂っていました。中には渦に巻き込まれた者も。しばらくすると、バーっとあたりが明るくなりました。海面もオレンジ色に光っている。海を漂う乗組員たちは皆驚きました。そして大きな爆発音。そう、大和が爆発したのです。大和の火薬庫が爆発し、煙も高く立ち上ったのです。大和は沈み、巨大な船体は大きな火の玉と化したのです。その爆発が、乗組員たちの運命を変えたのです。

噴煙と共に一度立ち上った大和の破片が、海へと落ちてきたのです。その破片が海に浮かんだ乗組員たちのところにも、それが降ってくるのだから、たまりません。うまく避けれれば良いのですが、運が悪い者は、頭にそれがゴツんとぶつかって、そのまま亡くなったのですね・・・

そうかと思えば、逆に大和が命を救ったケースもあるのです。


「何かの拍子に吹き上げられたんやろうね、大和が爆発した時に。私の心臓は止まっていたはずだけど、それが動いているんだから。大和が最後に爆発した爆風で、心臓が活を入れられて動き出したんじゃないかな。大和が私を助けてくれた、という結果になったんだろうね。一回死んでいたのに」
『戦艦大和 乗組員たちが見つめた 生と死』(NHK取材班)より P182


アンビリバボーな話ですね。他にも、おぼれて海に沈んでいたところを爆風で押し上げられ助かったものや、海に浮かぶ大和の破片に捕まって助かった者、破片からイカダを作って、イカダに乗って助かった者たちもいたとか。実際、大和の乗組員の多くは「大和の爆風に助けられた」と証言しているようです。

八杉康夫さんは、水泳が達者だったのですが、力尽きて泳げなくなったようです。その時思わず言った言葉が「助けてくれ!」。その言葉を発した瞬間、八杉さんは「しまった!」と思ったそうです。いくら生死をさまような思いをしているとはいえ、自分は帝国軍人の端くれ。命乞いをするのは恥ずかしと。すると八杉さんのすぐ後ろに川崎克己さん(後射長)がいたのです。八杉さんは「こりゃ、怒られるぞ」と思ったようです。しかし、川崎さんは「落ち着いて、落ち着いて、そうら、そうら。いいか落ち着くんだ」と優しく声をかけ、自分が捕まっていた丸太を八杉さんの方へ押し流してくれたのです。

八杉さんは必死で捕まったそうです。川崎高射長は「もう大丈夫だぞ。お前は若いから、頑張って生きろ」とエールを送ってくれたのです。八杉さんは「ありがとうございました」と言い、丸太に捕まりながら大声でしばらく泣いたそうな。それから川崎高射長は、いつの間にかいなくなったと言います。

3蜘蛛クモの糸
 やがて、八杉さんは駆逐艦クチクカンによって救われたのですが、その時の光景がまさに地獄絵。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』さながらだったようです。

助かった大和の乗組員たちは即席でイカダを作って、そのイカダに乗っていたのです。すると海の彼方から駆逐艦が近づいてきたのです。

駆逐艦がイカダに近づきました。駆逐艦からロープが何本か降ろされました。「ようやく助かるのか」と安心したのも束の間、それは地獄の争いになったのです。ロープに最初の人が捕まり、引き上げ始めると、その男の腰や足に別の兵がつかまって、引きずり下ろそうとする。みんな、我先に助かろうとするんです。引きずり下ろされた者は、そのまま海の中に消えていったのです。

階級も年齢もへったくれもなく、皆ロープを奪い合うのです。「どけえ!俺のだ!」という怒号が飛び交いめちゃくちゃだったようです。その光景を見た17歳の八杉康夫さんは「これが人間の本質だったのか」と衝撃を受けたのです。日頃厳しい訓練を受け心身ともに鍛えられているはずの帝国軍人もいざとなったら自分が可愛い。八杉さんは呆れるを通り越して、「こんなところにいたら、殺されてしまう」と恐怖感さえ覚えたと言います。

そんなところへ、ふっと八杉さんが振り返ると、そこになんと川崎高射長がいたのです。川崎高射長は「行け、行け」という仕草をしたのです。その時の彼の目は優しかったと言います。そして、彼は大和が沈んだ方向へ向かって海中へ消えていったそうです。「助かるのにどうして」。八杉さんは呆然と見ていたのです。

川崎高射長は大和を空からの攻撃から守る責任者でした。「自分は大和を守れなかった」という責任から、若い八杉さんたちの無事を見届け、自ら死を選んだのです。川崎高射長も、その気になれば助かったのに。「頑張って生きろ」と言ってくれた人が目の前で生きることを拒否したのです。そのことが17歳の八杉少年にとって大きな衝撃だったようです。


* 参考にしたもの
徹底図解 戦艦大和のしくみ (徹底図解シリーズ)
市ヶ谷ハジメ
新星出版社
2012-07-19

















また、この記事は、BS・TBSの「THE 歴史列伝」やNHK のDVD「巨大戦艦 大和 〜乗組員たちが見つめた生と死〜」を参考にして書きました。