1 三毛別ヒグマ事件
近年、熊が町にやってきていると言います。それも年々増えていると言います。怖いだろうな。実際、熊が町の通行人を襲っている様子を動画で見ましたもの。怖い世の中になったなあって。東京でも奥多摩や八王子で熊を見かけたなんて話を聞きます。こうした熊の被害は昔からありましたが、最もひどいのが大正時代に起きた「三毛別サンケベツヒグマ事件」


NHKの「ダークサイドミステリー」という番組で知りました。事件が起こったのは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日の間。北海道の開拓民の人たちが住む集落にヒグマが現れ、そのヒグマが7人も殺し、重症者も3名出たのです。狙われたのは女性と子供ばかり。女性を狙うとはずいぶんスケベなクマだなって僕は思わず思ってしまいました。以下、ヒグマに殺された人です。



・阿部マユ(34)
・斉藤タケ(34)
斎藤巌サイトウイワオ(6)
蓮見幹雄 はすみみきお(6)
明景金蔵ミヨケキンゾウ(3)
斎藤春義サイトウハルヨシ(3)
・斉藤タケの胎児たいじ


専門家によりますと、クマはめったなことでは襲ってこないそうです。実は熊は臆病おくびょうな生き物で、人間をある意味怖がっているそうです。だから、熊が出そうな山道を歩くときは鈴とかふえラジオとか音の出るものを持っていくと良いそうです。あと、歌でも歌えば完璧でしょうかw?それと最近は熊撃退スプレーなんて売っているので、万が一熊が襲ってきたときのために持っていくのも良いかも知れません。

そうやって人間がいるということを熊に知らせると良いそうです。万が一、熊にあったら絶対にやってはいけないのが、逃げること。逃げると熊が自分より弱いと認識し、熊は襲ってくるそうです。

あと、俗に言われている死んだふりは微妙。有効という人もいれば、絶対ダメという人もいるので。死んだふりは、あんまりおススメできるやり方ではないみたいです。万が一、熊にあったら、まず熊の目を見て、穏やかに声をかけながら、そのまま、ゆっくり後退りをして、熊がいなくなるまで、ずっとそれを続けると良いそうです。ともかく、熊にあったら怖いけれど、それにビビったら向こうもつけあがって襲ってくるというのです。なんだか、いじめの構図と同じような気がします。いじめっ子だって相手が弱いと思うから、意地悪をするのだから。

2 凶悪なヒグマ
さて、事件が起こった原因は、熊の生息地に人間が住むようになってからです。明治から大正にかけて、本土から次々と開拓民が北海道にやってきたのですね。そして開拓民が北海道に住むようになったのですが、開拓民が「ここは俺の土地💓」って勝手に住むことはできません。土地を割り当てがあったのです。平野だとか海に近い便利な土地を割り当てられた開拓民もいれば、逆に辺鄙へんぴな場所を割り当てられた開拓民もいたのですね。

辺鄙なところを割り当てられた人たちは運が悪いということで。辺鄙ということは山奥。そういう山奥は熊の生息地。熊に出くわすリスクが高まるのです。事件の始まりは12月9日。の太田家で、太田家当主(太田三郎)の内縁の妻・阿部マユ(当時34歳)と、太田家に養子に迎えられる予定であった子供の 蓮見幹雄 はすみみきお(当時6歳)の2人が、窓を破って屋内に侵入したと見られるヒグマに殺害されたのです。そして、ヒグマはマユの死体を口にくわえたまま、そのまま立ち去ったようです。殺害現場となった太田家には、マユの髪の毛だけが残っていたようです。

翌日の12月10日の朝、集落の男たちがマユを探したところ、太田家から150メートルほど離れた付近でヒグマに会います。童話の「森のクマさん」に出てくるような優しいヒグマではありません。そのヒグマはとてもでかい熊でした。それもそのはず、このヒグマの大きさは体長2.7メートル、体重340キロ、立ったら3.5メートルほどだそうですから。

集落の男たちは手に持った鉄砲でバンバンとヒグマを狙ったら、ヒグマは一目散に逃げたと言います。そして、ヒグマがいた地点には、変わり果てたマユの遺体でした。集落の人たちはマユの遺体を持ち帰り、同日夜、太田宅で幹雄とマユの通夜が行われ、集落の人たちも数人集まりました。午後八時過ぎ、外から物音が聞こえてきたと思うや否や、なんと今朝に追っ払ったはずのヒグマがまた襲ってきたのです。しつこいですね。当然、その場にいた人たちは大混乱。恐怖のあまり逃げ出す人も。ヒグマは自分の獲物が消えたものだから取り返しにきたのでしょうね。


そして、太田宅からヒグマが消えて、20分と経たない午後8時50分ごろ、窓を破ってヒグマが今度は、太田家から500メートル離れた明景家みよけけに侵入したのです。その時明景家には女や子供も含め十人もいたのです。戸主である明景家の家族だけでなく、斎藤家の人間もいました。斎藤タケ(34)、斎藤巌(当時6歳)、斎藤春義(当時3歳)の3人。しかもタケのお腹の中には赤ちゃんがいたのです。ヒグマにおびえて、明景家に集落の者が何人か集まっていたのでしょうね。

ヒグマに居間に引きずり出された斎藤タケは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」とお腹の中にいた赤ちゃんの命乞いをしたのですね。どんな自分がひどい目にあっても子供を守ろうとする母の愛情ですね。しかし、その母の慈愛も虚しく、ヒグマは上半身からタケを食い始めたのです。駆けつけた集落の男性らが鉄砲を空に向かって放つと、ヒグマは玄関から躍り出たのち裏山の方へと姿を消しました。タケの腹は破られ赤ちゃんが引きずり出されていたが、ヒグマが手を出した様子はなく、そのときには少し動いていたといいます。なぜ、ヒグマがわざわざ赤ちゃんをお腹の中から出したのか謎ですね。しかし、その赤ちゃんも間も無く亡くなります。明景家の三男の金蔵と、斎藤巌、斎藤春義もヒグマに殺されてしまいます。こんなに幼い子供まで無慈悲に殺すとは憎たらしい。


3 ヒグマを退治したものの・・
 12月12日は、警察が駆けつけました。ヒグマは獲物を取り戻そうとする習性があるので、明景家にに残された犠牲者の遺体をエサとして誘き寄せようとしたのです。するとヒグマは当たりを警戒しながら、のっしのっしとやってきたところを、警察が射殺しようとするが、失敗。ヒグマは逃げてしまうのです。

そして12月13日、歩兵第28連隊の将兵30名がヒグマ退治のために出動。また、熊退治の名人の山本兵吉も助っ人で駆けつけます。翌日の14日には、そのヒグマをやっと打ち取ることができたのです。退治したのは山本兵吉。熊撃ちの名人であったは一撃でヒグマの心臓近くを撃ち抜き、続く銃弾でヒグマの頭を貫通させたのです。

ヒグマの死骸しがいは住民によってそりで運ばれました。すると、にわかに空がくもり雪が降り始めたのですね。事件発生からこの三日間は晴天が続いていたが、この雪は激しい吹雪に変わり、ソリを引く一行を激しく打ったと言います。不思議なことですね。この天候急変を、村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだとか。

さらに不思議なことが続きます。そのヒグマは解体され、その肉も人々が食べたのですが、鍛冶屋の息子が、肉を食べたその日の夜から家族にいきなり噛みついてきたりと乱暴し出したのです。その凶暴性は日に日にエスカレート。そこで彼を寺に連れて行ったところ、間違いなく熊のタタリであることが判明したのです。そのため鍛冶屋の近親縁者が集まり、一心に祈りを捧げたところ、息子の症状は治まったと言います。そういうことってあるのですね・・・怖

この事件が起きて以来、人々は集落を離れてしまったのですね。三毛別ヒグマ事件があった現場は今も人が住んでおりません。

4 人間を恐れなくなった熊
それにしても人間を恐れるはずの熊がなんでこんなに何度も襲って人間を殺しにきたのでしょう。それは熊が人間を恐れなくなったからだと言います。当時、開拓民の家の外には、干したトウモロコシが置いてあったのです。実はクマはトウモロコシが大好物。トウモロコシの匂いに誘われクマはやってきたのです。そういうことが何度も続いたのです。村人たちも思ったでしょうね。なんでトウモロコシがなくなるのかって。そうやって人間の気配を感じても、それを恐れなくなったのです。いわゆる慣れでしょうか。

実はクマは獲物を捕まえるのは得意な動物じゃないのですね。例えば山にいる鹿を襲ってもクマはうまくそれを仕留めることができず、逃げられてしまうことの方が多い。鹿はすばしっこいですからね。ところが、人間のいる里に行けば、容易に食べ物を手に入れることができる。

最近、熊が町にも現れるようになりましたが、それもきっと同じことでしょう。食べものを求めて町までくるようになったのですね。町に行けば、畑もそうですが、生ごみだとか色々ありますし。何回も町を訪れているうちに人間への警戒心が薄れたのでしょうね。

そして、三毛別事件では、ヒグマが人間を襲って、その人間の味を覚えるようなり、それで人間の肉を求めて何度も集落にやってきては、人間を襲うようになったのでしょう。人間は鹿ほどすばしっこくないし、どんなに足が早い人でも熊から逃げるのは容易ではありません。ヒグマは時速60キロで走れると言いますからね。これはオリンピックのメダリストより早いかもしれない。こりゃ人間を襲った方が楽だとヒグマは学習したのでしょう。

三毛別のヒグマ事件は漫画や小説の題材にもなりました。そして、亡くなった人たちへの供養も地元の人たちがしているようですね。



*この記事は「ダークサイド・ミステリー」を参考にして書きました。