あけましておめでとうございます。本年も良いお年になりますように。今日は演歌のお話、演歌の話をして、ええんか?なんちゃってw




1 紅白視聴率最低

昨年、と言いましても、数日前の話ですがw、大晦日の紅白歌合戦が最低視聴率を記録したとか。原因はいろいろ言われておりますが、演歌や歌謡曲を大幅に削減し、中高年の視聴者がそっぽを向いたのが原因だとか。残念ながら演歌のヒット曲は昨年はなかったので、仕方がないといえば仕方がないのですが。演歌のヒット曲がないと、演歌歌手が紅白に出るのは難しいと思います。逆に演歌が売れているのに、出さないとなるとそれは問題ですね。

僕は個人的に思うのですが、紅白はそもそも、その年にヒットした曲や支持された歌手に出てもらおうという趣旨だから、紅白がJPOPばかりになるのも現状ではやむを得ないと思います。その代わり、NHKでは毎週火曜日に「うたコン」という歌謡曲番組があり、そちらで演歌歌手や往年の歌手の方々に出ていただいた方が良いと思うのです。ただ、近年の「うたコン」でも演歌や歌謡曲が削られ、だんだん若向けになってきているのですね。これでは中高年特に後期高齢者の方々の不満が出てきます。

僕は毎年紅白を見ていたのですが、去年は知らない人ばっかりで、あんまり見る気が起きなくて・・・去年は紅白は終盤のみで、ほとんどテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」を父と見ておりました。80代の父が「最近の紅白はつまんない」って文句言いながら紅白を見ていたので、テレビ東京に変えてあげたのですね。そしたら父も大喜びでした。父だけでなく中高年(特に後期高齢者)のかたは「年忘れ」の方が楽しめるかもしれません。個人的にはガンダムの主題歌を歌った森口博子さんが良かったですが、全体的に紅白より知っている曲が多く楽しめました。僕は今の紅白を否定するつもりはありません。が、音楽番組としてはいい番組になってますが、年末感を味わうには、「年忘れ」の方が分があるかなって。

また、今のJ-POPはキーもすごく高いし、メロディラインも複雑で難しいなって感じました。かっこよく洗練はされているけれど。90年代や00年代のJ-POPにもキーが高くて難しい曲はたくさんあったけれど、今のJ-POPは、それ以上だと思う。YouTubeでボイストレーナーの方々が歌い方動画をたくさんあげているのもそのためだと思う。僕も時間とお金があれば、ボイトレスクールに通って、今のJ-POPも歌えるようになりたいけれど・・・


2 何を持って演歌というべきか
それはともかく演歌が日本の伝統で、演歌が最近衰退しているのは日本の危機みたいなことをおっしゃる人もおります。永田町の先生方も演歌を守る議員連盟みたいなのを作っております。そんなのを作るのだったら、唱歌や民謡を守る会を作ってくださいよw

僕も自分なりに調べさせてもらったのですが、そもそも何を持って演歌と定義するのか、実は結構難しのです。普段何気に使っているけれど、「演歌」ってなに?って言われると難しい。北島三郎さんが歌っているような曲が「演歌」だと言えばそれまでなのですが。その北島三郎さんだって「おじゃる丸」のようなアニソンを歌われているし。また、北島三郎さんの名曲「与作」を作られた方もジャズ出身だと言いますし。曲調?これもどうかなって。森進一さんの「襟裳岬」なんて吉田拓郎さんが作られた曲で、フォークと言った方が近いし、坂本冬美さんの「アジアの海賊」なんてロックと言った方が近いですし。
あと、今の若い人が藤山一郎さんの「長崎の鐘」や淡谷のり子さんの「別れのブルース」などを聴けば、まず100%「演歌」だっていうでしょう。けれど、これらの歌は演歌とは言わず、分類的には歌謡曲だそうです。難しいですね。ちなみに淡谷のり子さんは演歌が大嫌いで有名でした。

しかも現在の演歌というのも元々はジャズやブルースといった西洋音楽の影響を受けて生まれたジャンルなのですね。そこに民謡だとか長唄などをミックスしたというか。カラオケのDAMで本人歌唱動画が出てくるのですが、鳥羽一郎さんとか小林幸子さんといった歌手が、自分の持ち歌をジャズ調にアレンジして歌っているのですね。それが妙にマッチしていて、かっこいいんです。「演歌そのものがダサいのではなく、アレンジがダサいのだ」という意見がネットに書き込まれていましたが、その通りかもしれないって

そもそも「演歌」という言葉が市民権を得たも1970年代なのですね。意外に新しいですね。

3 「演歌」という言葉が生まれるまで
最も演歌という言葉自体は明治の昔からありました。しかし、この演歌というのは今の演歌と全く性格が異なるもので、弁士が政治批判をするときの演説を歌にしたものです。

当時は藩閥政府が幅を利かせており、それに反発する公開演説会に対する当局の監視が強くなった時、圧力をかわすために政治を風刺する歌(プロテストソング)として「演説歌」が生まれたのです。有名なものに、川上音二郎のオッペケペー節があります。そのオッペケペー節も今のラップに近いのですね。



戦後どころか戦前はジャズが人気あったのです。戦前というと鬼畜米英のイメージがありますが、それは戦時中の話であって、実際は違います。むしろ戦前はアメリカ文化が入り始めた頃でした。ジャズも人気でジャズバンドができたり、ダンスホールでジャズが演奏されたりしたのです。戦時中、ジャズは「敵性音楽」として演奏が禁じられましたが、抽象的過ぎて何の曲がジャズに含まれるか、音楽の素人である役人に判別は難しかったのですね。また1943年1月にはジャズレコードの演奏禁止、更にレコードの自発的提出、「治安警察法」の適用による強制的回収などにより米英音楽の一掃を図ったが、自宅でこっそり聴いていた者も少なくなかったのです。


そして戦後になると、さらにアメリカの文化が入ってくるのですね。ジャズだけでなくハワイアンやカントリーも入ってきました。江利チエミさんとか弘田三枝子さんとか、米軍キャンプで歌を歌い、歌手としてデビューした方もたくさんいらっしゃいました。1960年代の紅白の曲目を見て驚いたのですが、意外と洋楽が歌われているのです。ビートルズが来日した1966年には立川澄人さんという歌手がビートルズの「イエスタディ」を歌っていたのです。だから演歌が減ったから高齢者は観ないと言いますが、
昔の紅白はむしろ、演歌よりも、ジャズやラテン、カントリーなど西洋音楽が結構歌われたのですね。演歌が紅白でたくさん歌われたのは、むしろjPOPの全盛期の90年代。

それに、高齢者の方だって演歌が嫌いな人もいますし、洋楽(ただし60年代や70年代の懐メロ)やジャズを楽しむ高齢者だっているのです。僕の亡くなった母親も演歌が大嫌いでした。フォークソングやニューミュージックを好み、最晩年は嵐やEXILEが好きでした。

高度成長期に、地方から都会に出てきた若者の心情を歌った歌が次々登場します。民謡の要素を取り入れた歌や、高度成長やアメリカ文化へのアンチテーゼとして生まれた曲も出てきます。そして1970年の藤圭子さんの登場。「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒット。恨み節や暗い気持ちを切々と歌い上げる彼女の歌に多くの人を魅了したのです。その頃から「艶歌」や「怨歌」の字が使われるようになりましたが、1970年代初頭のビクターによるプロモーションなどをきっかけに「演歌」という言葉が使われるようになり、やがて定着したというわけです。

*この記事はウィキペディアなどを参考にして書きました。