最近、NHKの「戦艦大和」の元乗組員の証言を紹介したドキュメンタリー番組を見させてもらいました。NHKのスタッフが元乗組員さんのご自宅を訪ね、インタビューをしたものです。僕が見て、印象的だったのが、お部屋(おそらく居間)に戦艦大和の模型や絵が飾っている元乗組員さんが少なくなかったこと。その模型というのも子供だましなチャチなものじゃなく、精巧につくられたものです。模型は、お話をされている元乗組員さんの後ろに置いてあったのですが、遠目からみても、結構、高価そうなものです。中にはガラスケースに模型を入れ大事に保管されている方もいらっしゃいました。それくらい元乗組員さんにとって大和は誇りなんだなあって。

実際、「戦争は嫌いでも、大和は好き」とか「大和は自分の青春」と、ある乗組員さんはおっしゃっていました。あと、「大和に乗ったことは誇りでした。」とか「人生にとってプラスだった」とか「大和に乗って本当によかった。乗っていなかったら、ぐうたらな月給泥棒になっていたかもしれない」という声も。大和は競争率も高く、成績が優秀じゃないと乗れないのですね。当時の海軍軍人にとって大和は、あこがれだったのです。今で言えば、東大に入って大手企業や官庁に就職するようなものでしょうか。大和で厳しい思いをしたからこそ、少々のことではへこたれない精神力が身についたということでしょう。

もちろん、そうした厳しい体験がプラスになった人もいれば、PTSDになった人もいたと思われます。実際、大和の乗組員で「今でも海が怖い」って方もいらっしゃるそうです。実際、大和でのくるしい訓練に耐えられず、大和の艦体から海に飛び込んで自殺をした人もいたといいます。また、やむなく大和に残った人もいたと言います。なぜなら、逃げたら自分も厳罰を受ける上に、故郷に残った家族も周りから白い目で見られてしまうから。また、大和のことを思い出すのが辛くて、NHKの取材に応じなかった人も少なからずいらっしゃったと思う。

大和は不沈船と言われながらも沈んでしまいました。多くの人が亡くなり、生き残ったのはわずか。生き残ってよかったって思いたくなりますが、戦後も生きこのった側も複雑でした。ある乗組員さんが子供に言われたそうです。「大和に乗った人はみんな死んだんでしょ」って。子供は思ったことをそのままいっちゃいますからね。別に悪気はないのですが。そんな言葉を聞いた元乗組員さんは「生き残ったことを、なじられているような気がしてね。よく思うんですよ。早くお迎えが来ないかなあ、ってね。」

別の大和の元乗組員さんは、線香をあげるつもりで、亡くなった戦友の遺族の家に尋ねたところ、感謝されるどころか、「なんであんたが生き残ったんだ」みたいな感じで罵られたとか。


仲間がたくさん亡くなったのに、自分だけ生き残ったことの後ろめたさ。これは多くの生き残った人たちの意見だそうです。


一方で、平和な世の中になって「若い頃は苦労もしましたけれど、戦後はいい思いをしてきました。これも平和だからこそ。戦争はたくさんですよ」と感謝する声も。

また、大和はともかく、戦争を始めた人や指導をした人について、どう思うか?そのことを、ある元乗組員さんにぶつけたところ、

「節目はあったはずです。どうしてもっと早く戦争を終わらせることができなかったか」


僕はいつも思うんですね。勇敢に国のために戦った若者たちの勇姿と、無茶な戦争を指揮した指導者たちの失態は別物だなって。このブログでも旧日本軍の組織の問題点とか指導者の質の悪さを度々問題視しましたが、国のために戦った若者たちの意思を無駄にはできないと。

大和の乗組員だった八杉康夫さんの言葉がとても印象に残っています。


「若者よ、君たちが生きる「今日」という日は、死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」




本年もお世話になりました。来年も良いお年を。今年の干支の牛の動画を見ながらお別れします。コロナなので、皆様もお体に気をつけて。




* 参考にしたもの











また、この記事は、BS・TBSの「THE 歴史列伝」やNHK のDVD「巨大戦艦 大和 〜乗組員たちが見つめた生と死〜」を参考にして書きました。