中国に馮道フウドウという人物がいたのですが、彼は後唐コウトウから始まって、後晋コウシンリョウ後漢コウカン後周コウシュウと五つの王朝に仕えてきました。そして後唐4代の皇帝、後晋2代、遼(契丹)1代、後漢2代、後周2代と合計11人の皇帝に仕えたのです。

次々と主君や王朝を変えたので節操がないと批判されましたが、今では優れた官僚として評価されております。馮道は君主に意見を言っては幽閉幽閉ユウヘイされたり、主君が病死してから、左遷サセンさせらたりしながら、何度も這い上がり宰相に幾度もなったと言います。王朝が倒れても馮道は倒れないと人々はウワサしたと言います。

宰相としての在任期間は20年に及んだそうです。馮道が仕えた皇帝たちは、ほとんど農民に対する哀れみの心が少なかったため、時に暴走する皇帝をいさめたそうです。そのため、時の民衆に馮道は尊敬されていた。一例を挙げれば、 耶律 堯骨やりつぎょうこつという遼の皇帝が開封カイホウという都に入った時に漢族を虐殺ギャクサツし、略奪をしようとしたのですね。すると馮道は「今、仏陀ブッダがここに現れても民衆を救うことは出来ず、ただ皇帝である貴方だけが民衆を救うことが出来るのです(此時仏出救不得、唯皇帝救得)」と持ち上げて止めたと言います。

馮道は954年に世を去りました。73歳でした。人々は馮道のことを「起き上がりこぼし」と呼んだそうです。