ユナボマーという人物をご存知でしょうか。アメリカで、1978年から18年にも及んで爆破事件を起こした恐ろしい人物です。しかけた爆弾の数は十六個。しかも、彼が仕掛けた爆弾の威力はだんだんアップして、犠牲者もでたと。長きにわたってアメリカを震撼させたのですね。FBIも彼をつかまえるのに大変苦労したそうです。あるFBIの関係者は「ユナボマーのような犯人は他にいません」と言わしめたほど。ユナボマーは「マンハント」という映画にもなりました。そのユナボマーのIQ167。すごい知能の持ち主ですね。ユナボマーもその能力をもっと良いところに使えばよかったのにと思いますね。
1978年、アメリカ・シカゴにあるノースウェスタン大学の材料工学のクリスト教授が怪しい荷物を受け取りました。クリスト教授は全く身に覚えがなかったので、教授は怪しんで警備員を呼びました。そして、警備員に荷物を開けさせたのです。するとその荷物は爆発。規模は大変小さいものでしたが、警備員が軽傷を負ったとか。その爆弾はマッチの発火部分をつめ込んだだけのものでした。
翌年の1979年11月15日。シカゴ発、ワシントンDC行き アメリカン航空444便が離陸直後、小規模の爆発を起こしたのです。機内は煙につつまれたものの、小規模な爆発ですんだこともあって、墜落はしなかったのです。爆発したのは飛行機の貨物室内の郵便小包。航空機を狙ったというのでFBIも動きました。
1980年6月、ユナイテッド航空社長宅に不審な郵便物が送られ、その郵便物が爆発、社長は顔や体に火傷を負ったと言います。FBIは犯人のコードネームを「UN IVERSITY」(大学)、「AIR LINE」(航空会社)の「U」「A」の頭文字に「BOMER」(爆弾)という言葉をつけて「ユナボマー」と命名しました。FBIは初め、ユナイテッド航空会社の元社員の仕業だと思ったそうです。当時、ユナイテッド航空は大規模なリストラを行なっていて、解雇された社員がうらんで、社長を狙ったと。それでシカゴ周辺を捜査し、航空会社の関係者に色々あたってみたのですが、有力な容疑者は見つからず。
1982年には爆弾事件が続けて3件続けて起こったのです。現場もテネシー州、カルフォルニア州、ユタ州と各地で起こったのです。これまではシカゴで起こっていたのですが、1982年以降は各地で起こったこと、事件現場も航空会社ではなく、大学だったのです。犯人はいづれもユナボバーの仕業だと分かったのですが、動機がわからないまま。
なぜ、3件の爆破事件がユナボバーの仕業だとわかったかというと、ユナボバーの仕掛けた爆弾には特徴がありました。いづれも木をメインにして作られていたからです。FBIは、ユナボバーは木を使うことで何かしらのメッセージを残そうとしていると判断。また、ユナボバーの残した爆弾の破片から指紋はヤスリなどで消去されていたため残されていなかったと。FBIはユナボバーはタダモノではないと判断したのです。いづれにせよ、ユナイテッド航空の元社員の仕業ではないことが判明しました。

(ユナボマーがしかけた爆弾。Wikipediaより)
1985年から1987年になると、ユナボマーの犯行現場はコンピュータショップなどにも及びました。そしてこの頃になると死者も出てきます。犠牲者はコンピューターショップの経営者。爆弾にしかけてあったクギが心臓にささり死亡したのです。今までは人を脅かしたり、火傷を負わす程度だったのに、犯行もエスカレートしていたのです。また、ユナボマーの作った爆弾は当初はマッチの発火部分を使っただけですが、この頃になると硝酸アンモニウムアンモニウムを使うようになり、その爆弾の威力もアップしていたのです。
FBIは、ユナボマーは初めは爆弾の知識がなかったのに、独学でこれだけ爆弾を作れるようになったくらいだから、名門大学卒業できるくらいの頭はあるだろうと。またこれだけ危険な事件を起こすくらいだから血気盛んな年齢で、年寄りではないだろうと。が、犯人像が少し分かったところで、有力な容疑者もいなければ、犯人の動機もわからずじまい。捜査は難航するばかり。ユナボマーはFBI相手に高笑いしていたことでしょう。「俺はFBIに勝った!」って。
しかし、悪いことはいつまでもできぬもの。ユナボマーも次第に追い込まれていきます。1987年に起きたコンピューターショップの爆弾事件のさい、コンピューターショップの駐車場で不審な男性を見たと。その目撃情報をもとにユナボマーの似顔絵も発表。似顔絵と言いましても、グラサンにフードをかぶった男性の絵でしたが。その似顔絵に似ている人物を見たという人々からの通報もFBIにドシドシ届くようになったのです。ユナボマーの存在も世間に知られるようになったのですね。
ユナボバーは、それでひるむどころか、ますます犯行を凶悪化させます。1993年6月22日、カルフォルニア州の遺伝子研究の学者の自宅に郵便物を送り、爆発させます。その学者は重傷を負ったものの、幸い命は取りとめたそうです。その後1995年4月までの2年間で3件も犯行。被害者3人のうち2人が死亡。爆弾の威力もますますパワーアップし、やばい状況です。そんなユナボマーも1993年ごろになると、今までとは明らかに違う行動をとるようになります。それは何か、次回の記事で取り上げます。
※この記事は「ダーク・サイドミステリー」を参考にして書きました。
1978年、アメリカ・シカゴにあるノースウェスタン大学の材料工学のクリスト教授が怪しい荷物を受け取りました。クリスト教授は全く身に覚えがなかったので、教授は怪しんで警備員を呼びました。そして、警備員に荷物を開けさせたのです。するとその荷物は爆発。規模は大変小さいものでしたが、警備員が軽傷を負ったとか。その爆弾はマッチの発火部分をつめ込んだだけのものでした。
翌年の1979年11月15日。シカゴ発、ワシントンDC行き アメリカン航空444便が離陸直後、小規模の爆発を起こしたのです。機内は煙につつまれたものの、小規模な爆発ですんだこともあって、墜落はしなかったのです。爆発したのは飛行機の貨物室内の郵便小包。航空機を狙ったというのでFBIも動きました。
1980年6月、ユナイテッド航空社長宅に不審な郵便物が送られ、その郵便物が爆発、社長は顔や体に火傷を負ったと言います。FBIは犯人のコードネームを「UN IVERSITY」(大学)、「AIR LINE」(航空会社)の「U」「A」の頭文字に「BOMER」(爆弾)という言葉をつけて「ユナボマー」と命名しました。FBIは初め、ユナイテッド航空会社の元社員の仕業だと思ったそうです。当時、ユナイテッド航空は大規模なリストラを行なっていて、解雇された社員がうらんで、社長を狙ったと。それでシカゴ周辺を捜査し、航空会社の関係者に色々あたってみたのですが、有力な容疑者は見つからず。
1982年には爆弾事件が続けて3件続けて起こったのです。現場もテネシー州、カルフォルニア州、ユタ州と各地で起こったのです。これまではシカゴで起こっていたのですが、1982年以降は各地で起こったこと、事件現場も航空会社ではなく、大学だったのです。犯人はいづれもユナボバーの仕業だと分かったのですが、動機がわからないまま。
なぜ、3件の爆破事件がユナボバーの仕業だとわかったかというと、ユナボバーの仕掛けた爆弾には特徴がありました。いづれも木をメインにして作られていたからです。FBIは、ユナボバーは木を使うことで何かしらのメッセージを残そうとしていると判断。また、ユナボバーの残した爆弾の破片から指紋はヤスリなどで消去されていたため残されていなかったと。FBIはユナボバーはタダモノではないと判断したのです。いづれにせよ、ユナイテッド航空の元社員の仕業ではないことが判明しました。

(ユナボマーがしかけた爆弾。Wikipediaより)
1985年から1987年になると、ユナボマーの犯行現場はコンピュータショップなどにも及びました。そしてこの頃になると死者も出てきます。犠牲者はコンピューターショップの経営者。爆弾にしかけてあったクギが心臓にささり死亡したのです。今までは人を脅かしたり、火傷を負わす程度だったのに、犯行もエスカレートしていたのです。また、ユナボマーの作った爆弾は当初はマッチの発火部分を使っただけですが、この頃になると硝酸アンモニウムアンモニウムを使うようになり、その爆弾の威力もアップしていたのです。
FBIは、ユナボマーは初めは爆弾の知識がなかったのに、独学でこれだけ爆弾を作れるようになったくらいだから、名門大学卒業できるくらいの頭はあるだろうと。またこれだけ危険な事件を起こすくらいだから血気盛んな年齢で、年寄りではないだろうと。が、犯人像が少し分かったところで、有力な容疑者もいなければ、犯人の動機もわからずじまい。捜査は難航するばかり。ユナボマーはFBI相手に高笑いしていたことでしょう。「俺はFBIに勝った!」って。
しかし、悪いことはいつまでもできぬもの。ユナボマーも次第に追い込まれていきます。1987年に起きたコンピューターショップの爆弾事件のさい、コンピューターショップの駐車場で不審な男性を見たと。その目撃情報をもとにユナボマーの似顔絵も発表。似顔絵と言いましても、グラサンにフードをかぶった男性の絵でしたが。その似顔絵に似ている人物を見たという人々からの通報もFBIにドシドシ届くようになったのです。ユナボマーの存在も世間に知られるようになったのですね。
ユナボバーは、それでひるむどころか、ますます犯行を凶悪化させます。1993年6月22日、カルフォルニア州の遺伝子研究の学者の自宅に郵便物を送り、爆発させます。その学者は重傷を負ったものの、幸い命は取りとめたそうです。その後1995年4月までの2年間で3件も犯行。被害者3人のうち2人が死亡。爆弾の威力もますますパワーアップし、やばい状況です。そんなユナボマーも1993年ごろになると、今までとは明らかに違う行動をとるようになります。それは何か、次回の記事で取り上げます。
※この記事は「ダーク・サイドミステリー」を参考にして書きました。
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