ウクライナ情勢はいまだに解決する見込みがありません(2022年5月3日現在)。一日も早い平和的解決をお祈りします。本当にプーチンの恐ろしいなって。ウクライナ侵攻とこれだけ悪いことをしているのだから、さぞ支持率も下がっているかと思いきや、なんとプーチンの支持率は上昇してて支持率82%。さらにウクライナ侵攻を支持する意見も70%を超えると言います。僕も非常に驚きましたね。

プーチンに反対したりデモを起こす人もいることはいるのですが、まだ少数派のようです。実はロシアではプーチンの人気は高いのですね。経済を立て直した実績もあるし、意外と国民の意見を割と聞いてくれるところがあるので。僕はてっきりドラえもんの「のび太の宇宙小戦争」に出てくる独裁者のように国民から恐れられ、嫌われ、革命を起こそうにも秘密警察に弾圧されているのかとばかり思っていたのです。


プーチンのことを知れば知るほど、ヒトラーに似ているなって。ヒトラーは、国民から嫌われるどころか、ナチスドイツ時代大変な支持を受けておりました。実際、ナチスドイツ時代を回想し、あの時代はよかったっていう高齢者も少なくないのですね・・・

しかし、そんな中でもヒトラーを恐れ、ヒトラーを暗殺しようと考えた人も少なくなかったのです。ヒトラーの暗殺計画は実行されなかったものも含め40以上。このようにヒトラーの独裁体制に不満を持つ人も結構いたのです。しかし「何かを思案ければならない」と頭でわかっていても、怖くてそれを行動に移せず、計画だけで終わってしまう人たちの方が多かったのです。

例えばモーリス・バヴァーという25歳の青年は、1938年11月にパレードの群衆に紛れて、ピストルでヒトラーを暗殺しようと企てたものの失敗。彼はナチスは許せないという感情から動いたのですね。

それで実際に行動に移したのがゲオルク・エルザー。彼は一介の労働者で、ドイツ共産党を支持していたのです。とは言いましてもゲオルクは共産主義者ではなく、労働者の見方を指定くれるだろうと思ってドイツ共産党に投票していたのです。そのため当初からナチスには批判的だったのですね。周りの人がナチス式の敬礼をしても、エルザーはそれを無視。ゲオルクは時限爆弾を作り、ヒトラーを暗殺しようと考えたのです。それもたった一人で。

ヒトラーがミュンヘン一揆の舞台となったビアホールで、ミュンヘン一揆の起きた11月8日の夜に毎年必ず記念演説を行なっていました。それを知ったゲオルクは、この日に行動しようと決めました。ゲオルクは、その日の一ヶ月前くらいから準備し、前日の深夜にビアホールに忍び込み、時限爆弾を仕掛けました。そして1938年11月8日。爆発。死者8人、負傷者63人も出す、惨事でした。犠牲者の多くはナチ党員でした。しかし、ヒトラーは死ななかったのです。それどころか、この事件をナチスは、ナチス党員に犠牲者が出たと宣伝し、世間の同情さえ買ったのです。なぜヒトラーが無事だったかというと予定よりも30分早く講演を終わらせたからです。ヒトラーは悪運が強いですね。

そしてゲオルク・エルザーは逮捕。新聞は「悪質で残虐な人殺し」と非難。確かにゲオルクのやったことは残忍で良くないが、のちのヒトラーたちがやることを考えたら、人のこと言えないじゃんって思うのですが。一方でヒトラーのことは「総統の奇跡的脱出」と賛美。そしてゲオルクは1945年4月9日に銃殺されてしまいます。そしてゲオロクの事件以降、ヒトラーの警備は厳しくなり、一般人がヒトラーを暗殺するのは不可能に近くなったのです。

しかし、絶望的な戦争を続けるヒトラーへの不満が国防軍内部にも広がったのです。特にロシア派兵は無謀そのもの。ソビエト軍の反撃にあっても、ドイツ軍の撤退を認めず。寒さとソビエト軍の猛攻で、たくさんの兵士が犠牲になりました。無謀な作戦ばかりのヒトラーに対して現場の将校たちは不信感を抱いたのです。さらに捕虜や民間人の虐殺。そんな残虐行為に加担するのは、もう嫌だという声も上がってきたのです。

その中心人物がヘニング・フォン・トレスコウ。彼の言葉を引用します。

この残虐行為は100年経っても悪影響を残すだろう。責めを負うべきはヒトラーだけでなく、むしろ君や私であり、君の子供や私の子供でもあり、通りを横切っているあの女性でもあり、あそこでボールを蹴っている若者でもある。


ヒトラーの残虐行為に加担したら、それこそ後の世でドイツの恥であると。例え、小さな力でも、ヒトラーの暴挙に反対する人間がいたことを後の世に示したいと思ったのでしょう。

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(ヘニング・フォン・トレスコウ)

しかし、ヒトラーは用心深く、自分の周りには信頼できる側近しか置かず、



毒見役を12人も並べるほど。移動の際は、同じ型の飛行機を2機飛ばし、どちらにヒトラーが乗っているかわかりにく。

それでもトレスコウは諦めません。1943年3月13日、ヒトラーが東部戦線視察を行った際に爆殺を企て、ヒトラーの側近にお酒の瓶が入った荷物を渡しました。その荷物は爆弾も入っていたのです。その酒の入った荷物をヒトラーの乗っている飛行機に持ち込ませました。しかし、爆弾は不発。失敗、数日後にはルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフという人物を説得してヒトラーに対する自爆攻撃を企図しましたが、直前になって中止になりました。

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(ルドルフ=クリストフ・フォン・ゲルスドルフ)


このように暗殺未遂事件が起きましたが、巻き添いを食って犠牲になる人も少なくありません。もっと穏健なやり方がなかったのかって思うのですが、ナチスは独裁的な政治を行い、民主的な手法での政権交代は不可能な状況でした。暴力がまかり通り、暴力に対抗するには暴力で行くしかないという空気が合ったのですね。