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今、ゴールデンウィーク。どこを行っても、人、人、人。ここ2年はコロナで自粛ムードだったから、静かだったけれど、今年は少しはコロナがおさまったせいか、今までの自粛のうっぷんを晴らすかのような人だかり。かくいう僕も、浅草に行ったのですが、驚きましたよ。島倉千代子さんのうたじゃないですが、お祭りみたいににぎやかでした。観音様にお参りに行くことは良いことですが、去年のGWに行った時は比較的少なかっただけに驚いています。100年前のスペイン風邪が収束するのに3年かかったと言いますが、コロナも3年目、そろそろマジで収束してほしいなって。

さて、そのスペイン風邪とはインフルエンザのことです、スペイン風邪は世界で5億人が感染、4000万人も死亡したと言われ、亡くなった人もたくさんいました。電子顕微鏡が発明されるまで、ウィルスの存在が知られておらず、スペイン風邪の原因は菌の仕業だと思われていたのですね。スペイン風邪はウィルスの仕業なのに、菌を殺したところで、ウィルスを殺すことができません。そんなんじゃスペイン風邪はいつまで経っても治りっこないのですね。電子顕微鏡が発明されてから、ウィルスが発見。それをもとにワクチンも発明されたのですね。

さて、このスペイン風邪が第一世界大戦を終わらせたと言われております。第一次世界大戦は、泥沼化したのですが、スペイン風邪が兵士たちの間で大流行して、戦争どころじゃなくなったのです。一方でスペイン風邪が第二次世界大戦の引き金でもあったと聞いて驚かれる方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

1919年1月、フランスのパリ、ベルサイユ宮殿で、ベルサイユ講和会議が開かれました。この会議は戦争の後始末について話し合われました。焦点は敗戦国ドイツについて。イギリスとフランスは多額の賠償金を課そうとしました。それに対しアメリカの大統領ウィルソンは大反対。過酷な要求は恨みを残し、次の戦争の火種になると考えたから。会議は長引き3月になっても続きました。この頃、フランスのパリでもスペイン風邪が流行り、イギリスのロイド・ジョージ首相、フランスのクレマンソー首相、そしてウィルソン大統領も感染してしまったのです。特にウィルソン大統領は症状はひどかったと言います。

僕も昔インフルエンザにかかったことが何度かありますが、あれは苦しいですよ。熱は出るし、頭もガンガン痛いし、体がすごくだるくなるの。僕はゲームが好きなのですが、インフルの時は好きなゲームどころか、何もしたくない状況でしたもの。おそらくウィルソンも同じ状況で、立っているだけでもつらかったと思いますよ。


本来のウィルソンはいつも俊敏で、すぐに結論を出す人物だったのですが、この時のウィルソンは、覇気がなく、決断を迫られても、のらりくらりとはっきりしない感じだったのです。そりゃインフルにかかれば、そうなりますよね。そして1919年6月、パリ講和条約の調印式が行われました。結局、イギリスとフランスの言い分が通り、ドイツに巨額の賠償金が課されるようになったのです。その金額はドイツの国家予算の20年分に相当すると言うから驚きです。ウィルソンが元気だったら、断固として反対していただろうけれど、スペイン風邪にスタミナと判断力を奪われたウィルソンに、自らの信念を語る力もありませんでした。講和会議でそんなムチャが通ったことで、ウィルソンは「私がドイツ人なら、何があっても署名しないだろう」と吐き捨てました。


むちゃくちゃな賠償金はドイツ経済を圧迫、人々は苦しみ、フランスやイギリスといった連合国への恨みはどんどん強くなったのです。そんな中で、登場したのが、あのアドルフ・ヒトラーです。ある意味、スペイン風邪がヒトラーを生み出したようなものです。もし、ウィルソン大統領がスペイン風邪に感染していなかったら歴史は変わっていたかもしれない。

今年、コロナ禍のなか、ロシアがウクライナに侵攻しました。コロナ禍でヨーロッパ各国が苦しんでいる、そのスキをぬうかのように侵攻しました。プーチンの暴走を見るたびに、ヒトラーとダブってしまい、恐ろしいなって思いました。

※この記事は「映像の世紀」を参考にして書きました。