俺たちに明日はない [Blu-ray]
ジーン・ハックマン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21




1 ボニーとクライドの出会い

学生時代に「俺たちに明日はない」という映画を見たことがあります。先輩に勧められ見てみました。カップルのギャングで、銀行強盗と殺人を繰り返し、最後は悲惨な目に会うのですが。そのドラマティックなストーリーなのです。実はこの映画は実話をもとにしたものです。1930年代のアメリカで暴れ回ったボニー&クライド。その凄まじいほどの命懸けの恋でした。その二人の恋は100年近く経った今もミュージシャンの歌詞に登場します。ビョンセさんとか、斉藤和義さん、ジャニーズWESTに宇多田ヒカルさんの歌にも登場します。悪いこともしたけれど、若者たちにとって憧れの存在でもあったのです。

ボニーの本名はボニー・エリザベス・パーカー。1910年生まれ、彼女は大変真面目な少女だったそうです。ボニーは父を幼い時に亡くし、祖母のいるテキサス州ダラス近郊に引っ越します。しかし、そこはスラム街で治安がわるかったそうです。そんな環境でもボニーの学校の成績はトップクラス。性格も明るく犯罪を犯すタイプではなかったようです。ボニーは16歳で結婚。しかし、夫が銀行強盗の容疑で刑務所に入れられたのですね。それでボニーは離婚を考えたのですが、結局離婚届は出さず、籍はそのまま。ボニーと夫は離れ離れでしたが、法的にはボニーと夫との婚姻関係は生涯は続いていたのですね。

1930年1月、ボニーは運命の人と出逢います。クライド・チャンピオン・バロウ。小柄でイケメンな男性。しかも若くして高価な服を着て、車を乗り回す。そして何よりもクライドの危険な香りがボニーにとって魅力的だったのです。ボニーは一目惚れしたのです。ボニーはクライドとの出会いを母親にまくしたてました。よほど、惚れたのでしょうね

のちに、母はその時のボニーの様子をこのように回想しています。

「人生を変えるような出来事の多くがそうであるように、あっけないもの。それが運命の出会い」

恋に落ちたボニーはラブラブ。毎日のようにクライドとデートを重ね、愛を深めたのです。。ところが、一か月後、クライドは窃盗容疑で逮捕。実はクライドはスラムの出身で幼い頃から悪さを重ねた悪ガキだったのです。刑期は2年。ボニーはクライドが更生することを信じて手紙をクライド宛に送ったと言います。

2  ギャング団結成
しかし、クライドは刑期をおとなしくじっとするような男ではありませんでした。クライドは脱走したのですが、逮捕。それでクライドは更生するかと思いきや、刑務所で仲良くなった者と共に再び犯罪に手を染めていたのです。そしてクライドは無事刑期をおえます。

そして、クライドとボニーは再会。さらにクライドは刑務所で知りあった仲間も加えバロウギャングを結成。クライドギャング団は車を乗り回し、銀行強盗や追ってきた警官を殺すなどの犯罪を重ねていました。その盗んだ車は1932年型フォードV8。これは時代を超え、今も愛される自動車です。1930年代は最新式の大衆車でした。フォードV8は大衆車の中で最高の速度と加速力を備えており、一味の周到な逃走計画とも相まって、警察の車では容易に追いつけなかったのですね。犯罪を犯しても、隣の州まで逃げ込めば、警察も管轄違いで追っかけることができません。

そんなボニー&クライドのマスコミで取り上げられるようになりました。特にニューヨークのタフロイド紙で、この写真が掲載されてから、アメリカ全土にボニーのことが知られるようになったのです。↓

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葉巻を吸い、銃を持ったボニーの姿はとても印象的。なにしろ当時のアメリカでは銃も葉巻も男性のイメージですから。当時の女性たちにとって、ボニーは憧れの存在になったのですね。当時は男尊女卑の風潮も強かったですから、世の女性たちは犯罪者とはいえボニーをかっこよく思ったのでしょう。その一方で、ボニーを快く思わない意見も少なくなかったのです。芸能人にせよYouTuberにせよ、有名になればなるほど、ファンも増える一方で、アンチも増えてくる。有名になるのは諸刃の剣なんですね。有名になればよいことも悪い事もどんどん世間に知られるようになるし。ましてや二人は凶悪な犯罪者ですからね。

ボニー達がマスコミにも取り上げられず、無名だったころは、親切にボニーたちを無料で家に泊めてあげたり、警察からかくまってくれた人もいたのですが、顔も世間に広く知られるようになったことで、それが一変。通報されたり、食料を買ったり、宿を取ることも以前より難しくなったのです。だから、ボニーは何日もシャワーを浴びられないってこぼしたことも。野宿をしたり、車の中で過ごしたり、寝れない日々もあったようです。運よく宿を取ることができても、警察に見つかってしまう。ボニーとクライドはアメリカ各地を逃げ回っていたのです。その間に仲間が殺されたり、逃げられたり、次第にボニーとクライドは追い詰められていきます。


そんななか、ボニーはこぼします。「ママに会いたい・・・」

郊外でボニーは母と再会。変わり果てた娘の姿に母は涙をしたと言います。体もやせ、体中傷だらけ、顔も以前より老けた感じになって。母は娘に自首するように勧めましたが、ボニーは「彼を愛している」と言い、母の言いつけを拒否。

3 ボニーとクライドの死
そして、ボニーとクライドは、1934年5月23日ルイジアナ州を車で走っていたところ、警察に銃殺されてしまうのです。それも車ごと滅多撃ち。その車体にはたくさんのハチの巣をつついたような無数の銃弾の跡と、二人の死体が転がったのです。二人の遺体が車ごと街に運ばれた時、遺体に人々が群がったのです。髪や服を切り取ったり、クライドの指まで持ち去ろうとした者もいたと言います。二人の葬儀には多くの参列者が集まったと言います。ボニーはクライドと並んで葬られたかったようですが、ボニーの母はそれを拒否。二人は離れ離れに葬られたのです。

それにしても、ボニーはなぜここまでクライドに惚れこみ犯罪を犯したのでしょう。クライドは絶対に女を幸せにするタイプでなく、実際クライドと会ってから危ない目にあってばかりで、いいことなんてひとつもないのに。クライドの性格もとても危険で、追ってきた警官を銃殺したあと、心臓に9発も銃を打ち込むような残忍な男なのに。

実はボニーが生前日記に「毎日、同じことの繰り返し。何か刺激的なことが起きないかな」って書いていたのですね。彼女は心理学的に言うと刺激希求性があって、刺激を求める性質が高かったようです。そんなボニーの要求を答えてくれたのがクライドだったのですね。ましてや、時代が時代で、女性がバカにされていましたから。だから、なおさら自分も一旗あげたいみたいな感情があったのかもしれない。

*この記事は『ダークサイドミステリー』を参考にして書きました。