1945年第二次世界大戦は終結。アメリカとソ連は、ナチスの研究者達の争奪戦をしたと言います。ナチスは憎むべき存在だが、その研究者達の頭脳を高く買っていたのですね。フォン・ブラウンは臆面オクメンもなくアメリカにつきました。しかし、アメリカに渡ったフォン・ブラウンは思うような仕事につけませんでした。ナチスに協力した研究者への警戒心は根強かったのです。そんな彼に転機が訪れたのです。1950年の朝鮮戦争です。この戦争でフォン・ブラウンは兵器開発の第一線に返り咲き、ミサイル開発を進めたのです。

また1954年にはウォルト・ディズニーと会っていたのです。これは当時建設中だったディズニーランドの宣伝活動にフォン・ブラウンが協力したのです。ディズニーランドに宇宙を題材にしたエリア(おそらくトゥモローランドでしょうね)を設けようとう計画があったので、フォン・ブラウンにも、ディズニーは協力を求めたのでしょうね。そしてフォン・ブラウンはすっかり有名人になりました。しかし、そんなフォン・ブラウンを快く思わない人も少なくありませんでした。敵国のナチスドイツから、いつの間にかアメリカに忠誠を誓っている変わり身の早いフォン・ブラウンを皮肉るものも出てきます。例えば、歌手のトム・レーラーはフォン・ブラウンの歌を作って批判をしたほど。



しかし肝心の宇宙開発は思うように進まず。フォン・ブラウンはヤキモキしたことでしょう。そんな最中、ソ連がいち早くスプートニクを打ち上げます。宇宙開発にソ連の遅れをとってしまったのです。アメリカは慌てます。いわゆるスプートニク・ショックです。フォン・ブラウンは上官に不満を打ちまけます。「ソ連がやることはわかっていた。この大混乱をみてください。許可さえ下りれば、私は60日で人口衛星を打ち上げてみせる」と言ったとか。フォン・ブラウンは知名度が上がっても、なかなか思うような仕事をさせてもらえなかったのですね。

そしてアメリカは1958年にNASAを設立。目標にかかげたのは有人宇宙飛行。しかし、これもソ連に先を越されてしまうのです。いわゆるガガーリンの宇宙飛行です。ガガーリンは宇宙を飛行し、無事に生還。一躍、ソ連のいや世界の英雄となったのです。そのことを苦々しく思っていたのが、時の大統領のジョン・f・ケネディ。ケネディはフォン・ブラウンに宇宙開発のことで訪ねました。フォン・ブラウンが進言したのが、

「月に人間を着陸させましょう」


当時としてはドキモを抜くようなことですが、ケネディは、人類を月面に着陸させる計画、つまりアポロ計画をぶちまけます。フォン・ブラウンは当時としては史上最大のロケットサターンVを開発。さらに月面着陸船も開発。そしてコンピューター技師としてマーガレット・ハミルトンも抜擢。アポロ計画で使われた宇宙船には当時としては最新鋭のコンピューターがつみ込まれました。その性能はファミコン以下だという都市伝説と、そもそもアポロ計画自体が捏造ネツゾウだという都市伝説がありますが、信じるか信じないかは、あなた次第w?

そして、1969年。有人ロケットが月に向け発射されます。フォン・ブラウンは管制室からロケット打ち上げを見守ったと言います。途中、トラブルがあったものの無事にイーグルは月面に到着。

フォン・ブラウンの夢が実現した瞬間です。そして宇宙飛行士達は帰還。そのことを誰よりも喜んだのはフォン・ブラウン。かれは次なる目標として宇宙基地を作り、火星に人類を送りたいと。

しかし、アポロ計画をピークにアメリカの宇宙開発は停滞。ベトナム戦争が泥沼化し、インフレ不況。ロケットよりパンをという世論が強まったからです。そしてフォン・ブラウンも1977年に亡くなります。65歳。悪魔に魂を売り渡してでも月に行きたいと思ったフォン・ブラウンの最後でした。

そのフォン・ブラウンの言葉。「子供の頃に夢見たことを一生かけて取り組めた人が世の中にどれくらいいるだろうか。私は明日死ぬとしても満足してゆくことができる。子供の頃、夢見たことの多くを自分で実現できるのだ。他に望むものは何もない」

フォン・ブラウンの火星移住計画は、今アメリカが実現を目指しています。中国も負けじと宇宙開発をおこなっております。火星をめぐって下手すりゃ戦争になる恐れだってある。科学の進歩は素晴らしい反面、悲劇を生む可能性もあります。

ジュール・ヴェルヌ「科学の進歩は一個人、一企業、一国家のものではない。秘密にされることなく、全人類がその恩恵に預かれるように努めるべきだ。必要なのは、人類の未来への進歩を確かなものとすることだ。進歩は真理、正義、美に向かって魂を高めない限りその名に値しない」

※ この記事は「映像の世紀」を参考にして書きました。