* この記事は「映像の世紀 バタフライ」を参考にして書きました。

ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」は、多くの影響を与えた小説です。この小説は1900年代初頭にも映画化されました。人類に宇宙への憧れを駆り立てたのです。そして1927年にドイツで宇宙旅行協会が設立されました。ここには宇宙旅行をマジで夢みる研究者達が集まったのです。当初は七人だったのですが、一年で五百人も人数が増えたのです。すごいですね。研究者と言っても、アマチュアの研究者が多かったようですが。彼らの中に一際ロケット開発に情熱を燃やす大学生がいました。ヴェルナー・フォン・ブラウン。彼もヴェルヌの「月世界旅行」を読んでいたのです。フォン・ブラウンは数学が苦手で、留年するほどだったが、宇宙ロケット作るためには数学や物理の知識が必要だということで、彼は猛勉強したそうです。それくらい、彼の宇宙に行きたいという情熱があったのでしょう。

また、1929年に上映されたSF映画「月世界の女」もフォン・ブラウンを熱狂させたと言います。この映画はドイツで封切られ、この映画になんと発射前のカウントダウン、多段式ロケット、宇宙服までと登場するのです。この時代に未来を先駆けるような内容のものが作れるとはすごいなって。

1930年代ナチスが台頭します。ナチスドイツは新技術のミサイルに目をつけました。ドイツ陸軍は宇宙旅行協会に「ミサイルを開発してくれ」と資金援助を申し出ます。だが、メンバーは兵器開発を拒否。元々は宇宙旅行がしたくて作った団体なのに、人を殺す兵器をつくるなんてとんでもないと思ったのでしょう。しかし、フォン・ブラウンだけがただ一人、その申し出を受けます。ロケット開発には莫大な資金が必要です。しかもミサイルもロケットも原理は同じ。宇宙空間をそのまま飛ぶか、敵地に落とすかの違いだけ。ミサイルの研究でロケッツ開発のノウハウも蓄積できるし、お金ももらえるし、美味しい話じゃんwっとファン・ブラウンは乗ってしまったのですね・・・そしてフォン・ブラウンは25歳の若さで技術責任者に就任。

フォン・ブラウン達はミサイル開発を進めますが、実験ではほとんど打ち上げ失敗ばかり。とうとう開発資金の削減まで検討されてしまいます。一計を案じたフォン・ブラウンはヒトラーに直談判。当時のドイツは何事もヒトラーのツルの一声で決まってしまう時代でしたからね。失敗した時の映像を伏せ、実験が成功した時の映像ばかりを見せ、開発の継続を訴えたのです。この映像を見たヒトラーは興奮したと言います。ヒトラーは「なぜ私は君の仕事の成功が信じられなかったのだろう」と言ったとか。そしてミサイル開発は継続。

そして、フォン・ブラウン達はV2ロケットを完成。そのロケットの胴体にイラストが描かれております。月とロケットと女性のイラスト。これはフォン・ブラウンに影響を与えた「月世界の女」をモチーフにして描かれたイラストです。到達高度は100キロを超えたとか。

その時、フォン・ブラウンが言った言葉が「私は月まで届くロケットを、どんなことがあっても一生のうちに作りたかった。私は月にいくためには、悪魔に魂を売り渡してもいいと思った」

V2ロケットは3000発も発射され、ロンドンやパリが被害を受けたといいます。そのロケットは9000の命を奪ったと言います・・・・

そして1945年終戦。ドイツは負けてしまいます。フォン・ブラウンはどうなるのか?次回はフォン・ブラウンの戦後を追っていきます。