「ちょっと考えてみろ。彼は狂人で、私は喜劇役者だ。しかし一つ間違えれば、その反対になっていたかもしれない。私がこうしていられるのも、神様のおかげだ」

チャールズ・チャップリンの言葉です。彼とはアドルフ・ヒトラーのこと。実はチャップリンとヒトラーは生まれた年も同じで、誕生日が4日違いなのですね。驚きですね。平和を愛し、人々を楽しませてきたチャップリン、一方のヒトラーは独裁者として人々を恐怖のどん底に陥れた。まるで正反対のようですが、実は二人の共通点はあるのですね。両者とも、ちょび髭がトレードマークで、人々を熱狂させたという意味で。また、両者とも

また、ヒトラーはユダヤ人を弾圧したことで有名ですが、意外にもチャップリンもユダヤ人を弾圧こそしなかったものの、ユダヤ人に偏見を持っていたような描写の映画を撮ったことがあるのですね。最も、それは初期の頃の話です。「チャップリンの覚悟」(1916)という作品にユダヤ人らしき人間が登場し、その人物に(チャップリン演じる)主人公が金を巻き上げられる描写が描かれているのです。しかし、チャップリン自身は自分の心の奥に潜むユダヤ人への偏見と葛藤していたようです。「チャップリンの霊泉」という映画に、初めはユダヤ人を馬鹿にしたような描写のシーンもあったのですが、そのシーンをボツにしたとも。

トーキーが流行り出しても、チャップリンは無声映画にこだわり続けました。チャップリン曰く」トーキーは嫌いだ。人類最古の芸術であるパントマイムを滅ぼし、沈黙の美を破壊するからだ」と。逆にトーキーをうまく利用したのがヒトラー。ヒトラーは演説の際、トーキー映像を使い、多くの人々に訴えることができたのですね。ヒトラーは発声法のプロ(オペラ歌手)を雇って、力みのない発声法や呼吸法を学び、演劇で使われるジェスチャーなども学んだのです。こうしたテクニックは演説の時に役立ったと言います。ヒトラーが演説の時、大きな手振り身振りをしますが、あれもこうして学んだテクニックのうちなんですね。

チャップリンはドイツでも人気がありましたが、1935年1月にドイツで上映禁止通達書が出され、チャップリンの映画も上映禁止になります。理由は、チャップリンと風貌が似ているということで、ヒトラーも神経を尖らせていたのです。実際、ドイツは「永遠のユダヤ人」というプロパガンダ映画を作り、チャップリンを批判したのですね。

そしてチャップリンは自分と容貌が似たヒトラーを笑い物にしようと「独裁者」という映画をつくり、ファシズムを批判するのです。この「独裁者」は大ヒットしました。この映画でチャップリンは一人二役で、独裁者とユダヤ人の理髪師を演じたのです。僕も前に見たことがあるけれど、面白かったですよ。ヒトラーを笑い物にするべく、嫌っていたトーキーを取り入れたのですね。ヒトラーの演説のパロディをするために。一方のヒトラーも黙っていません。ナチスはこの映画を「チャップリン特有のグロテスクで下劣な作風」と批判。それにしてもヒトラーは、この映画を実際に見たのでしょうか?チャップリンは「ヒトラー本人の感想を聞きたいね」と述べていましたが。


チャップリンとヒトラーは日本とも繋がりがありました。チャップリンは親日家であり、生涯において四度も訪れています。和食を食べたり、歌舞伎や相撲を倒しんだそうです。そんなチャップリンは日本でも大人気。チャップリンの真似をする人もいたほど。チャップリンはちょと前なら、マイケル・ジャクソン。今ならジャスティン・ビーバーのような存在でしょうか。しかし、チャップリンが来日したタイミングが悪く、一度目は5・15事件、二度目は2・26事件の時だったのですね。なお、先に挙げた「独裁者」は日本では上映されませんでした。「独裁者」が日本で初めて上映されるのは、なんと1960年。

日独伊三国同盟を結んだ後だったので、ヒトラー批判の映画は上映しづらかったのでしょうね。一方、ヒトラーは日本と同盟を組みましたが、「我が闘争」では日本人を馬鹿にしたような描写があるし、日本がシンガポールを陥落させたという知らせを受けた時は、喜ぶどころか、逆に援軍をおくってイギリスを助けたい部下に言い出す始末。口では親日だと言っていたが、本心は侮日だったのですね、ヒトラーは。