history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、歴史を中心にいろいろ語ります。2020年3月より、過去記事の加筆修正も含め、リニューアルしました。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。

カテゴリ: アメリカの歴史




今日は、9・11です。考えてみれば、あの悲惨な事件からもう20年たっているのですね。月日の早さに驚いております。改めて亡くなられた方々に追悼の意を表します。

今日は、9・11のお話をしたいところですが、今日の本題は陰謀論インボウロンについてです。9・11の時も結構陰謀論が流行ったのですね。あの事件は巨大組織が関わっているってウワサされましたし。








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1 スペイン風邪とは
 1918年第一次世界大戦中またしても、疫病えきびょうがはやります。それはスペイン風邪かぜ。風邪というと大したことがないイメージがありますが、これは新型のインフルエンザのことです。いまでこそインフルエンザはワクチンがあり、治療薬はありますが、この当時は未知の病で、致死率も高く、大変恐れられていたのです。個人的な話になりますが、僕も5年前にインフルエンザにかかったことがあります。幸い、タミフルが効いたので大事には至らなかったのですが。治療薬やワクチンがある現在でさえインフルエンザで亡くなる人がいるのです。当時のインフルエンザが人々に与えた恐怖と言ったら、それは大変なものでしょう。

また、スペイン風邪というから、スペインから発祥したイメージがありますが、実際はアメリカが発祥です。アメリカの軍事基地で48人の肺炎患者はいえんかんじゃがでたことから始まりました。当時は大戦中ですから、どこの国もインフルエンザが流行っていたことを隠蔽いんぺいしたのですね。それが当時のスペインだけは中立国で、インフルエンザが流行っていることを世に発表していたのですね。それで、あたかもスペインではやっているように思われていたのですね。スペインにとって風評被害もよいところなのです。

大戦で戦った兵士たちがどんどん感染しました。戦争が終わってからも、自分たちの母国に帰り、水際を通り越しして、市中感染につながったのです。まさに戦争による被害拡大です。それからインフルエンザの原因と思われる細菌さいきんを発見され、この細菌をもとにワクチンがつくられました。ところが、ワクチンは思ったような効果がでず、患者は増えるばかり。それもそのはず、インフルエンザの原因は最近じゃなかったw細菌ではなく、ウィルスだったのです。ウィルスは細菌よりもずっと小さかったのでふつうの顕微鏡けんびきょうでは発見できなかったのです。まさにウィルスは未知の存在だったのです。ウィルスを発見できるようになったのは電子顕微鏡が発明された1932年以降です。

2 ハスラーの挑戦
その未知なるものに挑んだのがアメリカのサンフランシスコの保健委員会委員長ウィリアム・ハスラー。彼が行ったことは「人の接触せっしょくを減らす(人が集まりそうな娯楽施設ごらくしせつや学校・教会閉鎖」ことと「市民に対するマスクの着用義務付け」。

なんとサンフランシスコの市民99%ちかくがマスクを着けていたといいます。当時アメリカは第一次世界大戦の前線で兵士たちが戦っていました。その兵士たちにインフルエンザをうつさないためにも自分たち市民が協力せねばと思ったのですね。

ハスラーは「これはサンフランシスコ市民の持つ注目すべき知識レベルの高さと強調精神の証だ」と。そのハスラーの呼びかけに市民が応えたのですね。1918年10月には8000人の市民がインフルエンザに新規感染したのですが、11月には100人以下まで下がったといいます。11月21日にはマスク着用条例が解除。そして閉鎖していた娯楽施設や学校や教会も再開させます。

3 またしても流行りだした
 ところが、マスク着用条例解除の10日前、第一次世界大戦が休戦したのです。戦争終結の喜びとともに、自粛疲じしゅくづかれも手伝って気がゆるんだのですね。感染者の数は減ったものの、ウィルスが潜伏せんぷくしていたことは当時の人たちは気づかなかったのです。

そしてマスク条例を解除してから徐々に増え始めました。また悪いことに12月はだんだん寒くて乾燥していますからウィルスにとっては居心地のよい環境です。さらに悪いことに12月といえばクリスマス。ますます市民の気が緩みます。それでハスラーは12月7日、ふたたびマスク着用義務化の再実施を訴えます。

しかし、議会ではクリスマスが盛り下がるとかいろいろな理由をつけて反対されます。戦争が終わったので、兵士たちをマスクをつけて守ろうという愛国的な目標が失われてしまったのですね。今日の日本に例えればマスクをして自粛をして医師を守ろうという目標ですね。そのうえ戦争が終わった喜びから市民はクリスマスを楽しみたいという気持ちがあったのです。

インフルエンザでサンフランシスコの死者は3500人でした。そのうち1453人も亡くなりましたが、その1453人はマスク着用解除後の死者だったのです。

※ この記事はNHKの「ダークサイド・ミステリー」を参考にして書きました。
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1 暗黒の木曜日


 今日は1929年の暗黒の木曜日のお話です。アメリカの経済はうんと悪くなり、それは世界中に波及しました。そして日本とドイツにファシズムが台頭するようになりました。

とはいえ暗黒の金曜日が起きるちょっと前まではアメリカの景気はものすごく良かったのです。株を買うことがブームになって、借金をしてまで株を買う人がいたほど。80年代の日本のバブルや最近のサブプライム問題に似ているなと思いました。

ちなみに経済学者のケインズはこの暗黒の木曜日について次のように述べております。


グローバルでかつ個人主義的な資本主義は成功ではなかった。それは知的でなく、美しくなく、公正でもなく道徳的でもない、そして善をもたらさない。だが、それ以外に何があるかと思うとき非常に困惑する。



この暗黒の木曜日以降、損をする人がたくさんいたのですが、例外的に二人の相場師はこの暗黒の木曜日にも拘わらず大儲けをしたのです。その人の名はジョセフ・ケネディとジェシー・リバモアの二人ですです。



2 ケネディ大統領の父



_1938

ジョセフ・ケネディ

ジョセフ・ケネディとは、あのケネディ大統領のお父さん。顔写真みたけれど、やはり似てるわwこの人の本職は実業家なのですが、相場師もやっていたようです。もうけるのはかんたんだ。法律で禁止される前にやれば良い。」というのが彼のポリシーで結構アクドイことをしたようです。そのためジョセフ・ケネディのことをうらんでいた人も少なくなかったそうです。

3 ジェシー・リバモア

ジェシー・リバモア

この人の武器はその情報力です。各国の株の相場の情報を随分集めていて、さらに「空売り」をして大もうけをしたそうです。僕は株のことはよく知らないのですが、株の値が下がったところで「空売り」をすると儲かるそうですね。ちなみに、暗黒の木曜日の大暴落のときも、この人は大変な大もうけをしたそうです。なんでも1億ドル以上の利益をあげたとか。


4 二人の明暗

 実は二人とも、いづれ株が大暴落を起こすことを事前にわかっていたそうですね。本当かウソか知らないけれど、ジョセフ・ケネディはくつみがきの少年が株の話しをしていて、それを知ったとか。

しかし、暗黒の木曜日を発端とする大不況は二人の人物の明暗をわけました。ケネディのほうは、相場の世界から身をひき、実業界に専念しました。

さらに、ジョセフ・ケネディは政界にまで進出しました。まさに勝ちっぱなしの人生でした。

「ふん、あやかりたいものだねw」と言いたいところですが、その彼のツケはケネディ大統領ら子供達の代に回ってくるのですが・・・

一方のリバモアは1934年ごろに破産をし、一人さびしくピストル自殺をしました。リバモアの残した遺書にはこのように書かれていたといいます。「どうしようもない。事態は悪くなるばかりだ。私は戦うのに疲れた。もう続けていけない。私にはこれしか方法がない。私は君の愛には値しない。私は失敗者だ。本当にすまないが私にはこれしか方法がないのだ」と・・・


ちなみに彼が死に際して残した信託と現金は500万ドルにのぼっていたといいます。

※ 参考 

「その時歴史がうごいた」
「新・映像の世紀」

ウィキペディア


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1 ドイツ賠償金を課したモルガン
第一次世界大戦が終わってアメリカは好景気に沸きました。そのときのアメリカの大統領はウィルソンでした。しかし、アメリカで指導力を発揮したのはモルガン家でした。ウィルソン大統領のウィルソンは「十四か条の平和原則」を発表し、ドイツに賠償金を課すことに難色を示したそうですが、ウィルソンと違ってモルガン家はドイツに重い賠償金を払わせようとしたのです。

モルガン家にとって重要なのは第一次世界大戦で各国に貸し付けた戦費の回収でした。大統領をしのぐほどの発言力をもつモルガンは「ウォール街の帝王」とよばれたほど。

しかし、ドイツに多大な賠償金を課したツケがヒトラー率いるナチスに苦しめられる結果になるのですが。

2 タイタニック号沈没にかかわっていたモルガン


モルガンはカメラ嫌いで、公の場に登場することはなかったのですが、彼が注目されるようになったのはタイタニック号の沈没です。

1912年4月10日、タイタニック号はイギリスからアメリカに出港しました。しかし、その四日後タイタニック号は氷山にぶつかり、沈没しました。

タイタニック号の船の運航会社のオーナーはモルガン家の一族のものでした。

救命ボートの不足、救済も金持ち優先したことの疑い、それから船に巨額の保険金もかけていたこともあり、モルガン一族は批判にさらされましたが、モルガン家は動じませんでした。なにしろモルガンはアメリカの影の支配者で、実際にアメリカの企業のいくつかはモルガン家の投資で大きくなりましたから。

たとえば発明王のエジソンの会社もモルガンの投資で大きくなったそうです。




3 関東大震災とモルガン家

このようにモルガン家は血も涙のないように思えますが、日本が関東大震災で大変な時には、手を差し伸べたといいます。モルガンは日本政府が発行した復興公債一億五千万ドル(現在の価値で20億ドル)を引き受けたといいます。

しかし、それも所詮は借金。日本がこの債務を払い終わるのは40年後の高度成長期だといいます。

4 暗黒の木曜日と第二次世界大戦がはじまって

そして訪れたのが1929年の暗黒の木曜日。当時のモルガン家の当主ジャック・モルガンは議会の聴聞会によばれました。過剰な投機熱をあおったこと、自分だけはいち早く資金をひきあげ被害を免れたこと、そして脱税が指摘されたのです。

モルガンなどをはじめウォール街のひとたちはドイツ、イタリア、日本を資金面で支えていたのですが、第二次世界大戦がはじまると態度を変えたそうです。モルガンはアメリカが発行する戦時公債の販売を引き受けました。モルガンらウォール街は一致団結して戦争協力しました。

そうした勝ち組たちがいる一方で、若者たちが危険な戦地に送り込まれ、たくさんの尊い命が失われたのです。


※参考 
『新・映像の世紀』より
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1 80年前から続くアメリカの国民的行事


本題に入る前にこちらの動画をご覧ください。



こちらの動画はニューヨークのロックフェラーセンターにおけるクリスマスツリー点灯式です。 クリスマスはまだですがw、この行事はおよそ80年前から続いているアメリカの国民的行事だそうです。

このツリーの背後にそびえたつロックフェラーセンターを建てたのはジョン・ロックフェラーです。ロックフェラー一族は石油で大儲けをしました。彼が石油で築いた財は現在の価値で22兆円だそうです。すごいですねえ。まさに人類史上最大の富豪とよばれるわけです。

ちなみに2001年に無残に崩れ去ったワールド・トレード・センターもロックフェラー家の理想(自由貿易による世界平和)を体現化したものだったそうです。

2 石油で財を成したロックフェラー

_Rockefeller_1885

(ロックフェラーの肖像画。なんか人相わるいねえw)

ジョン・ロックフェラーはライバルを冷酷に叩き潰すところから悪魔とも呼ばれたそうです。ウィキペディアによりますとジョン・ロックフェラーの父は「チャンスがあれば息子達も騙す。そうして奴らを敏感にしたい」と言っていたようです。そうした父に育てられたものですから、人もうらやむような大成功を収める一方で自分たちの利益のためなら手段も選ばぬような人間に育っていったのかもしれません。

ジョン・ロックフェラーの子供や孫たちは莫大な富を背景に政財界に進出しました。あるものは慈善団体のリーダーに、あるものはアメリカの副大統領、ほかにも州知事や世界屈指の銀行のトップになるものもいました。

さてジョン・ロックフェラーが石油で財をなしたとはいえ、石油を掘るとうのはリスクが高いものでした。日本に例えれば温泉を探し当てるようなもので、あてずっぽうに掘れば出てくるものではありません。石油を掘る作業中に事故だっておきることもありますし。

ジョン・ロックフェラーは自ら石油を探し、掘ったわけではありません。彼のやった方法は他人が採掘した石油を買い集め生成し、それを販売したのです。優秀な科学者を雇い、どんな不純物を含んだ石油でも生成できる技術も開発したのです。そうしてできた会社がスタンダード石油。スタンダード石油はアメリカの石油のシェアの90パーセントを独占したといいます。

3 ロックフェラーのお金の使い方
 ジョン・ロックフェラーは道行く人にコインを渡すのが習慣だったようです。僕がその時代にいたらロックフェラーに「くれ、くれロックフェラーのおじさま」というかもしれませんがw、お金をばらまくなんてずいぶん成金趣味で、お金を湯水のように使うような人かなと思いました。けれど、ジョン・ロックフェラーは苦労して財をなしただけあって、わずかなお金でも粗末に扱わなかったようです。

「たった5セントと思うかもしれないが、軽んじるべきではない。これは1ドルの金利なのです」とロックフェラーといったように。



またロックフェラーは慈善活動にも熱心だったそうです。ロックフェラーが設立したロックフェラー財団は、途上国の医療水準を向上させたり、公衆衛生の改善なども行っていたようです。これはアメリカの勝ち組に共通しているなと思いました。アメリカの勝ち組は慈善事業をしたり、寄付をしたりします。税金対策もあるのかもしれませんが、慈善活動をすること自体が彼らにとってのステータスのようです。

そういえばマイケル・ジャクソンも慈善活動に熱心でしたっけ。チャリティに寄付した金額は5億ドル以上(約500億円以上)と言われています。他にも薬物乱用の若者を救う運動に取り組んだり、飲酒運転防止キャンペーンに協力したり。芸能人だけでなく、企業家も例外ではありません。以前にニュースでリーマン・ブラザーズなどの企業が貧しい人向けの無料の食堂に寄付しているという話を知ったときは僕もずいぶん驚いたものです。(しかし、先のリーマンショックの影響で寄付金も減ったとか)

とはいえ、ロックフェラー家が慈善活動をしたのは、ロックフェラー家のイメージアップとともに資本主義が素晴らしいものだということを途上国に伝えるためだともいわれています。ロックフェラー財団のボスだったロックフェラー2世(ジョン・ロックフェラーの息子)は「世界一金を使うのがうまい男」と呼ばれたほど。

4 ロックフェラーの悪魔ぶり

 そんなロックフェラーに危機が訪れます。労働運動が盛んになったのです。ロックフェラー一族が所有する炭鉱会社でも労働者が蜂起しました。それをロックフェラー一族は鎮圧部隊をつかってまで弾圧し、女子供をふくめ30人ほどの人たちが殺されたといいます。

そのことをヘレンケラーははげしく非難しました。「女性と子供たちをあんなに無慈悲に虐殺するなんて、ミスター・ロックフェラーは資本主義のバケモノです。慈善事業の裏では無力な人たちが殺されるのを許しているのです。」と。

ロックフェラーは、自分の商才を神から与えられたものだと認識しておりました。そして、商売を通して世の中の人たちを幸せにするのだと考えておりました。そんなロックフェラーは97歳の時に亡くなりました。長生きですねえ。憎まれっ子世にはばかるとはいいますが、ロックフェラーの生き方を見ていると本当にそう思ってしまいます。

亡くなる少し前に、ロックフェラーのところへ自動車王のフォードがお見舞いにきました。ロックフェラーが「さらばだ、天国で会おう」と声をかけました。するとフォードはこのように返したといいます。

「あなたが天国に行けるならね」






※ 今回の記事はNHKスペシャルの「新・映像の世紀」を参考にして書かせていただきましたが、ロックフェラーのことについて知らないことばかりだったので(しいて言えばロックフェラー家の陰謀論くらいw)、ずいぶん参考になりました。




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