history日誌

歴史と歌が大好きな私が日本史から世界史まで広く浅く書きます。 歴史の知識は素人レベルで、私が語る歴史の内容が真実かどうかは自信はありませんがw、楽しんでブログを書いていきます。教科書に載ってないようなマイナーな歴史の話もします。

カテゴリ:欧米の歴史 > アメリカの歴史

あけましておめでとうございます。今年もよいお年になりますように。

今年は酉年ということで、きょうは鶏にまつわるお話をします。

それでは、鶏インフルエンザの話を。うそうそ、新年早々縁起の悪そうな話はしませんw

鶏といえば英語でチキン、そしてチキンといえば、ケンタッキーフライドチキンのチキンはおいしいですよね。そう今日はケンタッキーフライド・チキンの創業者であるカーネル・サンダースのちょっといい話をします。

1985年、プロ野球で阪神タイガースが優勝したとき、阪神ファンがケンタッキーの店舗の前に飾ってあったカーネルサンダースの像を持ち出し、道頓堀の川に投げ込んだといいます。それから長いこと阪神は低迷して・・・・すみません、新年から変な話をしましたw

本題に入ります。


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1 大統領選をひかえ
 前回まで15回にわたってイスラエルとパレスチナの歴史を振り返ってみましたが、今日はアメリカとイスラエルの関係にふれます。今年はアメリカの大統領選がひかえているので、わりとタイムリーな話題かと思います。

ちなみに、今回の大統領選挙の共和党候補こうほ者のハナフダ氏じゃなかったwトランプ氏はイスラエルを「アメリカの最も信頼できる友」としており、「我々は100%、イスラエルのために戦う。1000%戦う。」と大変おそろしいことをいっております。こんな人が大統領になったら中東はますますゴタゴタしますわ。

じゃあ民主党候補こうほのクリントン氏(ヒラリー)なら安心かと思うとそうとは言えません。クリントン氏は「私が政権を得てまず最初にすることは、イスラエルの首相をホワイトハウスに招くことです。」と言っていることからイスラエルに肩を持っているのです。結局どっちが勝っても中東に住むアラブ人にとってはありがたくないことなのですね・・・

それにしても両大統領候補がなぜここまでイスラエルに対して肩入れするのでしょう?それはアメリカに住んでいるユダヤ人たちの圧力団体が、イスラエルに不利なことに対しては公共・民間をとわず猛烈もうれつなロビー活動や糾弾きゅうだん運動を展開するからです。実際イスラエルを批判して政治生命を絶たれた政治家もいたといいます。また、大統領選挙においてユダヤ系団体のまとめる組織票も無視できないのですよね。

2 アメリカにわたったユダヤ人
 ユダヤ人がアメリカに初めて渡ったのは16世紀後半だといわれております。そのアメリカに初めてわたったユダヤ人はオランダからきたといいます。オランダからユダヤ人がはじめて渡ったところがニューアムステルダム、いまの入浴じゃなかったwニューヨークです。

その後、東ヨーロッパやドイツ出身のユダヤ人の大陸移住がすすみ、1880年以降はロシアなどからユダヤ人がアメリカにやってきます。ロシアでポグラムというユダヤ人弾圧がひどくなって、それを逃れてアメリカにやってきたのでしょう。

そうして現在アメリカに住むユダヤ人は500万人とも600万人ともいわれておりますが、アメリカの人口3億1905万人ということを考えると、そんなに多いわけじゃないのですね。けれど、アメリカに住んでいるユダヤ人の3分の1がニューヨーク州に住み、さらにニューヨーク市民の4人に一人がユダヤ人だといわれております。ニューヨーク市といえば、アメリカいや世界の経済の中心です。ユダヤ人は金融きんゆうに強い人が多いですから、当然ニューヨーク(特にウォール街)でも大きな力を持てるのでしょう。

3 ネオコンについて
 ここでネオコンの話に切り替えます。ネオコンとイスラエルは大きな関係があるのです。ネオコンとは寝言・オナニー・コンプレックスの略ネオ・コンサーバティブ(新保守主義)の略です。彼らの多くはユダヤ系アメリカ人で、第二次世界大戦から戦後にかけては過激左派だったのですが、1967年、第三次中東戦争でイスラエルが全パレスチナを占領していたのを、国連安保理こくれんあんぽりが「占領地からでていきなさい」と勧告かんこくしてからネオコンは変わったのです。

そのことにブチ切れたネオコンたちは反国連主義になり、イスラエルが全パレスチナを支配するためなら、戦争をおそれず、全世界を「アメリカ型民主主義」に変えなければいけないと主張しはじめたのです。イスラエルの近隣諸国きんりんしょこくに、「少しでもイスラエルとアメリカにさからう国家を許しては世界の平和はない」というのです。

ネオコンとイスラエルの関係をもっともはっきり表している文書が『完全な断絶・イスラエルの領土保全のための新戦略』(1996年に発表)というレポートです。その内容は、オスロ合意を完全に破棄はきし、パレスチナ人を徹底的に屈服させる「力による平和」以外にイスラエル国家の選ぶ道はないとうものです。このレポートは在米シオニストのリチャード・パールなどのネオコンが起草し、イスラエルの首相だったシャロンもパールの方針に従って、ネオコン路線をつきすすんだのです。

4 利権
 『完全な断絶』が発表された翌年の1997年、このレポートの起草者であるリチャード・パールなどのネオコンが中心になって共和党保守派とともに「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」というシンクタンクを結成し、「軍事力を増強し、先制攻撃をさずにアメリカの国益と価値観を世界に広げるべし」と主張しております。

PNACのメンバーにはチェイニー元副大統領やラムズフェルド元国防長官、ジェブ・ブッシュ(ブッシュ元大統領の弟で今回の大統領選挙の候補に名乗りを上げたが撤退)やアフガニスタン戦争で石油利権をめぐって暗躍あんやくした人物などが名を連ねています。

アメリカがイラクに攻め込んだのも、フセインを倒し、アメリカに忠実な傀儡政府かいらいせいふ(※1)をつくれば、石油資源支配のためにも、中東の中心部に米軍基地がおいてアメリカ・イスラエルに批判的ひはんてきな国や勢力ににらみを利かせることもできるという点でも、イスラエルとアメリカにとってこれほどうまい話はありません。もっともその思惑おもわくは今日の中東のゴタゴタを見ている限り裏目うらめに出ているとしか思えません。

※1 表面上は独立した政権であるが、影で他国など他の勢力に操られ、それらの強い支配や統制に置かれている政権のこと。


※参考文献

今年は終戦から70年という節目ふしめの年を迎えます。今年最後のエントリーは戦後70年企画ということで、日系アメリカ人の戦中と戦後について簡単かんたんではありますがお話をします。日系アメリカ人の人たちの苦労はそれは大変なものだったようです。

とくにパールハーバー以降、アメリカ大陸の太平洋岸諸州にいた日系人たちはアメリカ人たちに目のかたきにされてしまいます。日系人は太平洋戦争間もなくして大統領の命令により、臨時の収容所に強制的に移され、やがて山間部や砂ばく地帯につくられた施設に収容しゅうようされました。

収容所内にいた日系二世の若者たちは偏見へんけんの目で見られる一方で、1944年以降、徴兵ちょうへいの対象になったのです。これを日ごろバカにしているアメリカ人たちの見る目を変えるチャンスと思う若者がいる一方で、アメリカ人としての権利がうばわれている状況では徴兵におうじられないと、それを拒否する若者もいました。

一方のハワイにいる日系人は人数が多くハワイでは不可欠の働き者だったので、合衆国はハワイの日系人たちを収容所にいれることはしなかったといいます。そして、ハワイ在住の日系人にも徴兵されるようになります。

日系人の部隊は激戦地であるイタリア戦地に送られました。そのため犠牲ぎせいになった日系人も少なくありませんでした。日系人の部隊はいくつにも分かれていましたが、特に勇敢ゆうかんに戦った部隊は表彰状ひょうしょうじょうおくられました。

戦後になってトルーマン大統領が「あなた方は敵と戦っただけでなく偏見とも戦って勝った」たたえました。

議員として長く活躍かつやくしてきたダニエル・イノウエという人がいたようですが(僕も本を読んではじめてしりましたw)、かれも戦争で奮戦ふんせん負傷ふしょうした勇士でした。

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(陸軍少尉しょうい時代のイノウエ。ウィキペディアより)

日系人が忠誠ちゅうせいなアメリカ人として認められるためには、このような命をかけた戦場での奮戦が必要だったし、あるいはアメリカ人として忠誠をくす必要があったのです。

今年の春先に「紅白が生まれた日」というドラマを放送したのですが、その時ミュージシャンの星野源さん演じる日系人がGHQとして働きつつも、日本人としての心が捨てられず、なやむシーンが描かれておりましたっけ。自分には日本人の血が流れているのにアメリカ人として働かなくてはならない、そんな矛盾むじゅんした心境しんきょうに悩む日系人も多かったと思います。

一方で、食料不足で悩む日本国民のために、食料などの援助物資を送る運動を日系人たちが盛んに送る運動もしていたといいます。


私事になりますが、僕の母が小さいころに、GHQで働く日系人にケーキだとかお菓子かしだとかをいくつももらったという話も聞いたことがあります。

第二次世界大戦後のアメリカでは反日感情がうすくなり、差別のかべは低くなりました。そうして日系二世、三世たちは多くは教育の機会を得て、次第に社会的地位を得るようになりました。

そして戦時中に日系人という理由だけで収容所に強制収容した不当性をアメリカ議会に認めさせ、補償ほしょうを得ることができるようになりました。

議会は日系人強制収容所の根本的不正義をはっきりみとめ、生存する被害者に二万ドルを補償することを定めた日系人補償法が可決し、時の大統領のレーガン大統領の署名も得ました。それは1988年のことです。


※ おまけ

今年もあとわずかになりました。来年もみなさまにとって良いお年になりますように。今年の干支えとであるひつじの動画をどうぞ。



※ 参考文献


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