1 ドイツ賠償金を課したモルガン
第一次世界大戦が終わってアメリカは好景気に沸きました。そのときのアメリカの大統領はウィルソンでした。しかし、アメリカで指導力を発揮したのはモルガン家でした。ウィルソン大統領のウィルソンは「十四か条の平和原則」を発表し、ドイツに賠償金を課すことに難色を示したそうですが、ウィルソンと違ってモルガン家はドイツに重い賠償金を払わせようとしたのです。
モルガン家にとって重要なのは第一次世界大戦で各国に貸し付けた戦費の回収でした。大統領をしのぐほどの発言力をもつモルガンは「ウォール街の帝王」とよばれたほど。
しかし、ドイツに多大な賠償金を課したツケがヒトラー率いるナチスに苦しめられる結果になるのですが。
2 タイタニック号沈没にかかわっていたモルガン
モルガンはカメラ嫌いで、公の場に登場することはなかったのですが、彼が注目されるようになったのはタイタニック号の沈没です。
1912年4月10日、タイタニック号はイギリスからアメリカに出港しました。しかし、その四日後タイタニック号は氷山にぶつかり、沈没しました。
タイタニック号の船の運航会社のオーナーはモルガン家の一族のものでした。
救命ボートの不足、救済も金持ち優先したことの疑い、それから船に巨額の保険金もかけていたこともあり、モルガン一族は批判にさらされましたが、モルガン家は動じませんでした。なにしろモルガンはアメリカの影の支配者で、実際にアメリカの企業のいくつかはモルガン家の投資で大きくなりましたから。
たとえば発明王のエジソンの会社もモルガンの投資で大きくなったそうです。
3 関東大震災とモルガン家
このようにモルガン家は血も涙のないように思えますが、日本が関東大震災で大変な時には、手を差し伸べたといいます。モルガンは日本政府が発行した復興公債一億五千万ドル(現在の価値で20億ドル)を引き受けたといいます。
しかし、それも所詮は借金。日本がこの債務を払い終わるのは40年後の高度成長期だといいます。
4 暗黒の木曜日と第二次世界大戦がはじまって
そして訪れたのが1929年の暗黒の木曜日。当時のモルガン家の当主ジャック・モルガンは議会の聴聞会によばれました。過剰な投機熱をあおったこと、自分だけはいち早く資金をひきあげ被害を免れたこと、そして脱税が指摘されたのです。
モルガンなどをはじめウォール街のひとたちはドイツ、イタリア、日本を資金面で支えていたのですが、第二次世界大戦がはじまると態度を変えたそうです。モルガンはアメリカが発行する戦時公債の販売を引き受けました。モルガンらウォール街は一致団結して戦争協力しました。
そうした勝ち組たちがいる一方で、若者たちが危険な戦地に送り込まれ、たくさんの尊い命が失われたのです。
※参考
『新・映像の世紀』より
第一次世界大戦が終わってアメリカは好景気に沸きました。そのときのアメリカの大統領はウィルソンでした。しかし、アメリカで指導力を発揮したのはモルガン家でした。ウィルソン大統領のウィルソンは「十四か条の平和原則」を発表し、ドイツに賠償金を課すことに難色を示したそうですが、ウィルソンと違ってモルガン家はドイツに重い賠償金を払わせようとしたのです。
モルガン家にとって重要なのは第一次世界大戦で各国に貸し付けた戦費の回収でした。大統領をしのぐほどの発言力をもつモルガンは「ウォール街の帝王」とよばれたほど。
しかし、ドイツに多大な賠償金を課したツケがヒトラー率いるナチスに苦しめられる結果になるのですが。
2 タイタニック号沈没にかかわっていたモルガン
モルガンはカメラ嫌いで、公の場に登場することはなかったのですが、彼が注目されるようになったのはタイタニック号の沈没です。
1912年4月10日、タイタニック号はイギリスからアメリカに出港しました。しかし、その四日後タイタニック号は氷山にぶつかり、沈没しました。
タイタニック号の船の運航会社のオーナーはモルガン家の一族のものでした。
救命ボートの不足、救済も金持ち優先したことの疑い、それから船に巨額の保険金もかけていたこともあり、モルガン一族は批判にさらされましたが、モルガン家は動じませんでした。なにしろモルガンはアメリカの影の支配者で、実際にアメリカの企業のいくつかはモルガン家の投資で大きくなりましたから。
たとえば発明王のエジソンの会社もモルガンの投資で大きくなったそうです。
3 関東大震災とモルガン家
このようにモルガン家は血も涙のないように思えますが、日本が関東大震災で大変な時には、手を差し伸べたといいます。モルガンは日本政府が発行した復興公債一億五千万ドル(現在の価値で20億ドル)を引き受けたといいます。
しかし、それも所詮は借金。日本がこの債務を払い終わるのは40年後の高度成長期だといいます。
4 暗黒の木曜日と第二次世界大戦がはじまって
そして訪れたのが1929年の暗黒の木曜日。当時のモルガン家の当主ジャック・モルガンは議会の聴聞会によばれました。過剰な投機熱をあおったこと、自分だけはいち早く資金をひきあげ被害を免れたこと、そして脱税が指摘されたのです。
モルガンなどをはじめウォール街のひとたちはドイツ、イタリア、日本を資金面で支えていたのですが、第二次世界大戦がはじまると態度を変えたそうです。モルガンはアメリカが発行する戦時公債の販売を引き受けました。モルガンらウォール街は一致団結して戦争協力しました。
そうした勝ち組たちがいる一方で、若者たちが危険な戦地に送り込まれ、たくさんの尊い命が失われたのです。
※参考
『新・映像の世紀』より