history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: インドの歴史



ここのところ、YouTubeとかSNSでもマザー・テレサの暗黒面がいろいろ取り上げられてます。「死を待つ家」の衛生状況が悪いとか、注射針を使いまわしとか、マザー・テレサは銭ゲバで資産が相当あった、独裁者と繋がりがあったとか、患者にはロクな治療もせず、自分はペースメーカーをつけたから。それを見た人たちが、「マザーってこんな悪い奴だったんだ!」とか「だまされた」って声もききます。

マザーも人間ですからね。どんなすばらしい人であっても、ほじくり返せばいくらでも欠点も出てくる。よく、悪人がたまに良いことをすると「見直した!」ってほめられ、良い人にちょっとでも悪い面というか欠点がでてくると「あの人がなんで?」って話になる。おかしな話ですね。近年のマザー批判もそれと同じかなって。でも、いろんなことを割り引いてもマザーの功績は大きいです。というか、並の人間ができることではない。マザー批判をしたところで、マザーと同じことをやれと言われたら、とてもとても。

善意で人に良くする行為って、ものすごく骨が折れるし、そうした善意が時に人から偽善と誤解されるし。それにお金もかかる。マザーもそういう意味で本当にご苦労されたと思う。



マザーテレサの自伝的映画で、マザーが困っている人たちのために何か新しいことを始めようとする際、マザーは「神様が守ってくれるから大丈夫」とあくまで楽観的なのに対し、マザーの側近の男性が「そのお金はどうするんだ!」って食ってかかるシーンが出てくるのですね。そんなやり取りは実際にあったと思いますよ。マザー本人よりも側近たちが、よく言えばリアリスト、悪く言えば、お金にうるさく、そうした側近の行動がマザーの顔に泥を塗ったこともしばしばだったのかなって。

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しかし、いくらマザーが良いことをやっても、多くの人の賛同を得られるわけではなく、むしろカトリック教会も最初は冷淡だったといいます。それどころかマザーの活動を何年にも渡り妨害したといいます。当然、インド政府なんて異教徒のマザーに対して当初から反感をもっていましたし。独裁者から寄付金をもらったというけれど、援助が期待できない状況で、周りが敵だらけだとしたら、相手が独裁者であろうとありがたい話だろうと。しかし、マザーの心の内では、すごいジレンマがあって、もらうべきかどうか悩んだみたいな話も聞いたことがあります。


マザーの死を待つ人たちの家が衛生状況が悪いって批判もあるけれど、マザーたちの献身的な看護で助かった命もあるし、感謝している人も少なくないから、単純な話ではなんですね。それに、マザーの施設の衛生状況は決して良いとは言えないかもしれないが、最低限のことは抑えてあるってなんかの本で読んだことがある。事実、死を待つ人々の家で長年ボランティアをやっている人が「もし、自分たちが本当に衛生に気を遣ってなかったら助かる命も助からない」って反論しているし、病院に連れていいたほうがよさそうだと判断したら、迷うことなく病院に連れて行くそうです。


そもそも、死を待つ人々の家は医療機関ではなく、医者にも見放され明日にも亡くなりそうな人を看取るところ。精一杯、お世話して人間としての尊厳を大事にしようという趣旨。よく、施設も古く、マザーの看護も旧式だという批判もあります。批判者の言う通り最近の医療機器を揃えたら維持費もかかりそうだし、そうなれば患者さんからお金取る羽目になるかもしれない。死を待つ人々の家はお金もとらずに、やってるわけで。

インドは国民皆保険制度はとっておらず、お金がないとまともな病院に行けないそうです。一応、お金がないひとのための無料の診療所や病院(国営)があるけれど、診療所の衛生状況はよいとはいえず、中には死を待つ人たちの家どころじゃないところもあるそうです。それで、薬代も有料だと。

話は変わりますが、最近、インドにナラヤナ・ヘルス病院グループが注目されております。診療代も安めで、かつ医療の質も高い。徹底的なコスト管理がされているのです。この病院グループを率いるのが、臓外科医のデビ・プラサド・シェティ氏。彼はマザー・テレサのアンチテーゼとして、そのような病院を建てた?いえいえ、むしろ逆。シェティ氏はマザー・テレサの主治医だった人で、マザーの活動に深い感銘を受け、自分もそのような貧しい人を救う人間になりたいと思って病院を作ったのです。現に彼の執務室にはマザーの肖像画が飾れ、マザーへのリスペクトが感じられます。シェティ氏だけでなく、マザーの影響を受けて奉仕活動をされている人はたくさんおります。


それと、なんのブログかサイトか忘れたが、死を待つ人々の家にボランティアに来たら、みすぼらしいサリーを着たヨボヨボのおばあさんが、炎天下のなか一人掃除をしていたと。サイトの主さんは、こんなおばあちゃんに掃除を押し付けるなんて、マザー・テレサは酷い人だと思ったそうです。のちに、そのおばあさんこそ、マザー・テレサその人だと知りサイト主さんは驚かれたと。マザーテレサの顔は、写真だとかドキュメンタリー番組だとかで何度も見たはずなのに、実際に会った印象があまりに違うので驚かれたとか。もっと偉そうな感じかと思ったら、小使のおばあちゃんと見間違うほどだったのですね。その話をしり、マザーはやはりホンモノだなって。能ある鷹は爪を隠すって言いますからね。


※ 参考サイト
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO74013320Z00C14A7000001/(日本経済新聞のサイト)

今日は降誕会、お釈迦様がお生まれになった日です。今日はお釈迦様のお話を少々。

お釈迦様といえば「天上天下唯我独尊」という言葉が有名ですね。言葉の意味は「天上にも天下にも俺よりすげえやつはいねえ、俺は尊い」って意味なんですね。なんとお釈迦様はお生まれになった時、この言葉を述べられたという伝説があったのですね。昔は暴走族もこの言葉を言っていましたねwでは、実際にお釈迦様がこの言葉を言っていたのでしょうか?

結論を先に申し上げれば、言っていませんw
よくよく考えれば、傲慢チキな言葉ですものね。仏教は、謙虚になりなさいという教え。その仏教の開祖たるお釈迦さまが、そんな傲慢な言葉を言うわけないなって。


『長阿含経』では釈迦以前に出世したといわれる過去七仏の第1仏である毘婆尸仏(びばしぶつ)が誕生した際に言ったとされております。しかし、それが、釈迦が生まれた際に、他の人々がそのように讃嘆したという説が生じて、のちに釈迦自身が誕生直後に自ら言ったと信じられるようになったそうです。

あと、お釈迦様がお生まれになった時、天の龍がお慶びになり、甘露の雨が降らせたといいます。お釈迦様は、その雨を浴びたと言います。降誕会になると、赤ちゃんのお釈迦様の像がお寺に置かれ、その像に甘茶をかけるのが習わしになっております。僕も昔、甘茶を飲んだことがあるのですが、正直言って口に合いませんでしたw

また、4月8日は、いろいろな花が咲き誇る春に行われることかから、降誕会を「花まつり」とも言われております。



前回の記事で「オオカミ男」のお話を取り上げましたが、オオカミ男の話をしているうちに「アマラとカマラ」の話を思い出しました。アマラとカマラのことは僕が小学生の時に家庭科の授業で習いました。オオカミに育てられると人間はオオカミのようになる、つまり人間は育った環境がとても大事だという話です。でも、僕は子供ながらに疑問に思っていたのですよ。本当にオオカミが人間を育てるのかって。そして、2、3日前にようつべの検索欄ケンサクランに「アマラとカマラ」と検索ケンサクしたら、その関連した動画がいくつも出てきたのですが、「アマラとカマラ」の話はウソの可能性が高いという動画をみつけたのです。それから動画の話は本当かなって図書館でアマラとカマラの本を借りたら、やはりウソの可能性が高いと。


もちろん、アマラとカマラは実在はしたようですが、オオカミに育てられたわけではなさそうです。
もっと言えば、アマラとカマラがオオカミに育てられた子供で、幼少期の教育が大事なんだよなんて教科書で取り上げるのは日本くらいで、世界ではアマラとカマラはフェイクニュースの典型で真実を見極める目を養いなさいと教えられるのが常識だそうです。


オオカミの習性も昨日ネットで調べさせてもらいましたが、人間を育てることはまずありえないそうですね。また、人間の子が必要とする乳の成分とオオカミの乳の成分は違うものであり、オオカミの授乳は2カ月程度ですが、人間の赤ちゃんが2ヶ月程度の授乳では成長できないといいます。

アマラとカマラは1920年にインドで見つかったそうです。二人はキリスト教の牧師夫妻が経営する孤児院に引き取られたといいます。アマラとカマラはオオカミのように四本足で歩いたとか、遠吠えをしたとか暗闇クラヤミで目が赤く光ったとか、歯がオオカミにようにトガってっていたとか、実際にアマラとカマラがオオカミのような身体的特徴をしていたと主張するのは、牧師夫妻とその近親者だけだったそうです。専門家でアマラとカマラを見たというものは誰もいないのですね。新聞社とかにはアマラとカマラのことをもらしていたのに。おそらく牧師はアマラとカマラを専門家の目に触れさせることを非常に恐れたからだと思われます。専門家が二人を検証すれば、アマラとカマラがオオカミの子じゃないことがバレてしまうからでしょう。

まず、人間が狼のような身体的特徴になるとは思えません。そりゃ歯がすり減ることがあっても、オオカミのような生活をすることで歯が尖ることはあり得ないのですね。また夜行性の動物でさえ、光のないところでは目は光りません。暗闇で目が赤く光ったとはウソっぽいですね。

また、牧師は二人が肉を食べたし、カマラなんて木にのぼった、これこそ二人がオオカミに育てられた証拠だと主張。実際、カマラが木にのぼった写真もあるのです。実はオオカミって木に登らないのですね。ところが、インドではなぜかオオカミは木にのぼるという言い伝えがあるのですね。だからこそ、「牧師はカマラが木にのぼった、オオカミの子供」だって主張したのでしょうね。それにオオカミは雑食で、肉だけを食べるわけじゃないのです。肉を食べたからといってオオカミの子だと断定するのは無理があるのです。

いくつかの写真も残っておりますが、これは牧師が二人にオオカミのように振る舞えと命令した疑いがあるのですね。例えば、ご飯を食べる時もオオカミのように四つんいになって、がつがつ食べろいう具合に。

それから牧師がアマラとカマラのことを本に書いて、引きとった際の記述はなんと2ページにわたって書いているのですが、なぜか肝心の時刻が書かれていないのですね。アマラとカマラを引きとった前日までの記述には、早朝、夕暮れ、夕食後、午後何時と詳しく書いてあるのに、なぜか引き取った当日にはそれがない。なんらかの意図があって時刻の記述を外した疑いありと。

それにしても、なぜ牧師夫妻ボクシフサイがこんなことをしたのでしょうか。それは牧師夫妻本人に聞かなくてはわかりませんが、孤児院の寄付キフを得るためという説があります。「オオカミに育てられた可哀想な子供を牧師様が保護し、二人の教育をしている、なんて素晴らしい牧師様だ」」って人々は思ったと。そんな牧師夫妻の慈悲深ジヒブカい深さ(❓)に感激した人々はこぞって孤児院に寄付をしたと。もしも、それが本当の話ならば、まさに偽善者ギゼンシャ。と言いたいところですが、孤児院の経営は大変だったらしく、アマラとカマラの他にも孤児がいたわけで。牧師様たちもかわいそうな子供達をのたれ死にさせるわけにはいかないと思ったのかなって。

ただ、アマラもカマラも今でいう知的障害児で言葉が話せず、立ち振る舞いもどこか普通の子と違っていた点もどうやら本当のようでした。おそらく、お世話が大変ということで、両親は二人を捨てた可能性があります。捨てられたところを牧師様に拾われたのかと。

1921年になるとアマラとカマラは病気になり、その年の9月21日にアマラが亡くなったのですね。カマラは涙を流したといいます。アマラが死去した9月21日から9月27日までカマラはひとりでずっと部屋の隅でうずくまり、10月になってもカマラは意気消沈イキショウチンしたままだったそうです。

その後、カマラは元気を取り戻しましたが、1928年ごろに体調を崩し、1929年にカマラは亡くなったのですね・・・

それにしても、なぜアマラとカマラの話が実話のように受け入れられたのでしょう。それは、この話を信じるだけの素地が十分に整っていたからです。人間がオオカミに育てられたという伝説や伝承は古くからありました。日本の伝承にはそうした話は聞いたことがないが、インドやヨーロッパではそうした話が頻繁に出てくるのですね。オオカミに育てられた伝説で最も有名なのが、古代ローマの伝承。古代ローマ建国の英雄とされる双子のロムルスとレムス。育てられたのが二人というのもアマラとカマラと符合しますね。




※ 参考文献と参考サイト


(参考にした動画)



今日は、古代インドのアングリマーラという殺人鬼のお話をします。口をアングリして聞かないでくださいねw

アングリマーラが殺人鬼といいましたが、彼がもともと殺人鬼だったわけではありません。もともと彼はアヒンサという名前でバラモンの子供でしたが、500人の弟子をもつバラモンのもとで修業をしました。アヒンサはその500人の弟子をもつ師匠に大変気に入られておりました。

しかし師匠の奥さんがアヒンサに恋をしてしまったのです。師匠が出かけているとき、奥さんはアヒンサを誘惑しました。しかし、アヒンサは「修行の邪魔をしないでください!私はよこしまなことをしたくないのです」と。そりゃそうですね。不倫ですもの。しかし、それで収まらないのが師匠のおくさん。師匠の奥さんは自分の衣装をやぶり、あたかもアヒンサに犯されたように見せかけました。この奥さん性悪ですな。帰ってきた師匠はその姿をみてびっくり。師匠はアヒンサを激しく罵り、そしてアヒンサに無理難題を押し付けます。

それは百人の人間を殺し、その死体から指を百本集めなさいというもの。この師匠、すげえ悪い奴ですね。もちろん、アヒンサははじめは考えたのですが、ほかならぬ師匠の言葉だからと、この師匠の愚かな主張をそのまま受けいれてしまうのです。素直というか、バカというかなんというか。素直で人の言うことをよく聞くとのは良いことなのかもしれないけれど、時と場合によりますね。素直すぎて悪人の手足になるようでは元も子もありません。

そして、アヒンサは本当に次々と人を殺してしまうのです。いつしかアヒンサはアングリマーラという有り難くないあだ名がつくほど人々から恐れられたのです。アングリマーラとは「指の首飾り」という意味だそうです。

そして99人もの人を殺した後、アングリマーラはお釈迦様(ブッダ)に出会いました。アングリマーラはブッダを殺そうとしましたが、ブッダはアングリマーラをとがめず、さとしました。無益な殺害をやめさせました。そしてアングリマーラは罪を悔い改めブッダの弟子となりました。

アングリマーラがブッダの弟子になって10日ほどたち、アングリマーラが町へ托鉢たくはつにいきました。托鉢とは、お坊さんが修行のため、はちを持って、家の前に立ち、経文を唱えて米や金銭の施しを受けて回ることです。しかし、アングリマーラが托鉢にいくたびに彼は血まみれになるのです。なぜでしょう?

それは、アングリマーラに殺された遺族たちが、石や棒でアングリマーラをボコボコにしたのです。殺されたものの遺族の悲しみは大変深いものです。今回の座間の事件でもそうでしょう。事件現場のアパートの近くにメッセージ付きの花束がおかれており、そのメッセージには「うちの子に生まれてきてくれてありがとう」とありました・・・そして、殺害者に対して恨みさえ思うのです。

アングリマーラの額から血を流し、着ていた衣は破け、身体はあざだらけになり、帰ってくるのです。それも毎日。いくらアングリマーラが極悪師匠の命令でやったとしても殺されたほうは許さないのです。

アングリマーラの姿を見てブッダは言いました。「アングリマーラよつらいだろうけれど耐えなさいよ。お前は本当は地獄へ行き何万年も苦しむのですよ。これに耐えてこそ、お前は本当に生まれ変われるのです」と。

そして、アングリマーラは殴られても、罵られても耐えに耐えました。そして、石を投げられることも次第になくなりました。アングリマーラが心から自分の罪を償い精進をしたからです。その姿に、かつて石を投げたり、ぶったり、罵った人たちも思わず手を合わせたのです。


※ 参考サイト


http://buddha-tree.com/2013/07/17/352/

あけましておめでとうございます。今年は申年さるどしです。それで今日はサルがでてくる昔話をします。
サルが出てくる昔話といえば、『桃太郎』に、『サルかに合戦』、『西遊記』、それからほかに何かあったでしょうか?

じつは『桃太郎』や『西遊記』の原型ではないか?と言われている物語があります。それはインドの叙事詩じょじし(※1)である『ラーマーヤナ』です。

※1 英雄詩とも呼ばれ,歴史や伝説に現れる神や英雄が行ったことを高揚した文体で歌う長編の物語詩。

ラーマーヤナ
エリザベス シーガー
子ども文庫の会
2007-01





「ラーマーヤナ」という言葉を僕が初めて聞いたのが、こどものころにみた宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』です。悪役であるムスカが いった「旧約聖書にあるソドムとゴモラをほろぼした天の火だよ ラーマーヤナではインドラの矢とも伝えているがね」(※2)のセリフがすごく印象に残ったのです。「ラーマーヤナ」ってどんなお話なのだろうって子どもながら興味をもったものです。

それから数10年たってw、NHKの高校講座世界史で「ラーマーヤナ」のことを学びました。

どういうお話かというと、主人公であるラーマ王子がサルの将軍であるハヌマーンとともにランカー島という島に住む魔王と戦うお話です。

それでは、もっとくわしく「ラーマーヤナ」について語ります。

ラーマ王子はヒンズー教の神・ヴィシュヌ神の生まれ変わりだとされています。賢く、勇敢ゆうかんなラーマ王子ですが、王位継承争いに巻き込まれてしまいます。

ラーマ王子は王宮をはなれ、美しい娘シータ、それから弟のラクシュマルとともに森の中で暮らしていました。シータと聞くと僕はまたしてもw『天空の城ラピュタ』の主人公を連想してしまいます。(宮崎さんは『ラーマーヤナ』から名前をとったのかな?)

ところが、ラーマとラクシュマルが狩りに行っている間に、シータはランカー島の魔王に誘拐ゆうかいされてしまいます。シータを取り戻そうとラーマ兄弟は、ランカー島にむかいました。途中とちゅうでサルの将軍のハヌマーンなどを味方につけました。

ランカー島にたどりついたラーマ一行は、魔王の軍勢とはげしい戦いをします。ラーマ軍は苦戦をしますが、ラーマは味方の助けもあり魔王を倒すことができました。そしてシータ姫を救出することができました。でめたし、でめたしw(野原しんのすけ風に)

このお話はインドの物語なのですが、このお話は東南アジアにも広まりました。たとえばジャワの民族舞踊みんぞくぶようなどにも取り入れられています。ほかにもバリ島のケチャとよばれる音楽劇があるのですが、これも「ラーマーヤナ」が題材になっていて、ほほえみの国タイではコーン仮面舞踏劇かめんぶとうげきという伝統芸能に『ラーマキエン』とよばれる演目があります。これは『ラーマーヤナ』がモチーフだそうです。


(ジャワ島の民族舞踊)


(ケチャの様子)


(タイのコーン仮面舞踏劇かめんぶとうげき「ラーマキエン」)

このように『ラーマーヤナ』は東南アジアの文化にも影響を与えたのですが、王権を強調するその内容から支配階級にも親しまれまれたといいます。そして、中国や日本にも『ラーマーヤナ』の話が伝わり、「西遊記」や「桃太郎」の話ができていったのではないか?という説もあるのです。確かにあらすじが似ているなと思いましたが、あくまでも説ですので。


今年最初のエントリーはインドと ASEAN諸国の歴史を取り上げました。今後は日本のみならず、アメリカや中国、 ASEAN諸国や中東の歴史などもどしどし取り上げていきます。特に昨年は ASEAN経済共同体が発足しましたし、中東ではイスラム国の情勢など予断が許されない状況です。そういう意味で ASEAN諸国や中東の歴史に触れるのも意味があるのではないかと。

最後にインドのおまつりの動画を。ハヌマーンまつりです。ハヌマーンはインドで尊敬されているのですね。




※2 実は「インドラの矢」は『ラーマーヤナ』には出てこないそうです。やはりインドの有名な叙事詩の『マハーバーラタ』にでてくるそうです。
※ 参考


NHK高校講座世界史

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